離婚について、その1 |
時として、こちらの方が
相談者から気づかされることも
多い。
どう見てもろくでもないから
多分
離婚したほうがいいんじゃないかなーと
思う場合でも,
当事者である相談者の中にある
こころの中に積もった感情は
すぐには捨てきれない、いや
逆にすてきれないからこそ
そこに
人生の大切なメッセージが
潜んでいるようにも
思う。
私自身、結婚以来順調かといえば
とんでもないことで
長女を出産したあたりから
夫婦の間に微妙な亀裂というか
違和が湧いてきて
それはだんだん夫が家族を放置して
仕事にのめりこむという事態を
産んでいった。
彼は帰宅拒否症だったかもしれませんねえー。
今から考えると結婚ということそのものが、
男女間の幻想で
知らない者同士の人生が家庭という
小さなの壺の中で
ブツカリアウのであるから
お互い想定外だらけのことばかりの
はずである。
それでも
外へと逃げて
家庭という薄暗さを忘れて
浮気をしたりする男に比べ
女性は子供を抱えて身動きできず
いや
そうでなくても
女性はあまり浮気にはしらないから
凄いなあーと
思う。
私の場合も
仕事にのめりこむ夫は
帰ってくると”抜け殻”で
そういう抜け殻とは
空虚な会話しか成立しない。
当然、抜け殻でない夫と向き合い話をしている
会社の女性や
外の女性に対する
御しがたい嫉妬に悩まされ続けた。
けど
とにかく産んだ子供を
育てなけれならないという
自分の責任と役割に追われ、
やっとかっと、
ともすると
落ち込んでしまいそうな
自己を憐憫する感情を、
どうにか、こうにか
払いながら生きていたと
思います。
辛かったなあー!
その不全な心を何とか救いたいと
すがりつくように
本を読み
宗教書をあさり、
宗教へとすがりついた時期も
ありました。
しかし、
カウンセリングを学ぶことと
本を読むことが
そこからの私を掬い上げ、
心理の世界、脳の世界、科学の世界、
物理の世界などなど、
何か生きるヒントがあると思える本を
喉の渇きをいやすように、
乱読し、
自分を苦しみから掬い上げようとしたことが
結果的には
自分をしゃんと立たせることに
繋がっていきました。
自分が苦しまなかったら
暗闇の中の出口を
手探らなかったら
こうは
ならなかったと
思います。
おそらく良寛にも、空海にも、親鸞にも
道元にも、キリストにも
会えなかったし
自分が熟することも
できなかったかも
しれません。
ユングやフロイトや
脳科学も、宇宙物理にも・・・ねえ、
人間とはなにか・・・という問のなかで
ずいぶん助けてもらいました。
深層心理からみると
結婚とは決して偶然ではありません。
人間は結婚相手を選ぶとき、
自分の無意識の目でちゃんと
”その時の自分”にふさわしい人間を
選んでいます。
”その時の自分”が必要とする人間を
選んでいるのです。
”その時の自分”とは
それまで生きてきた中で自分が培った自分で、
結婚とは
”その時の自分”からすべてが始まる
物語ともいえます。
しかし当然のことながら現実は
自分の思いこみとは違う想定外のことが
起きてきます。
はっきり言い切ってしまいますが、
その想定外に起きてきた現実は実は
その人が直面しなければならない
人生の課題なんです。
結婚してから、こんなはずじゃなかったと
思う自分が
何故その人を選んだのか・・を
考える必要があります。
そこには自分が克服しなければならない課題が
突きつけられています。
それはその人間がその課題を克服しない限り
相手を変えても同じことが起きてくるでしょう。
この人を選んだ自分は
何を期待し、何を投影していたのか・・・という
自分の無意識領域に潜む、
欲求やコンプレックスやトラウマと
しっかり向きあい
潜在意識にある自分の問題を
解決する必要があります。
一番ダメなのは
自分が失敗したと思ったり
相手が悪いと決めつけたり
最本質的なところに目や意識がいかず
自分にメスを入れないまま
離婚をして
一件落着の解決をしてしまうことです。
人間は複雑で、しかも脳の内容は
一人一人が個絶した世界です。
だからそんなに簡単に
自分のことも
相手のことも
分かるはずがないのです。
ま―分からない場合は、
時に死ぬまで相手のことが
理解できないかも
しれません。
恋愛の愛情ほど
独りよがりで、
手前がってなものは
ないかもしれません。
相手のなかに自分のほしいものが
全部あるわけじゃない、いや
私から言うと
あるわけがない…のです。
しかし
自分が無意識のところで
相手を見、選んだからには
やはりそこに
自分の心を投影する
なにかが
あったはずなんですよ。
自分の無意識は
相手の
なにを見たのでしょう。あるいは
相手のなかに何を
発見したのでしょうか?
私達夫婦も、
60歳を超え
結婚40年を経て、やっと最近
相手のことを
受け入れられるようになりました。
抜け殻だった夫の言葉の中に
夫婦の連帯らしき
生きた感情が漂うように
なりました。
ほんとうに
つい最近ですよ。
結婚した若い男女が
夫婦になるのも
家族になるのも
お互いの葛藤や
格闘を経ながら
時間がかかるものだと
思います。
ときに絶望するかもしれませんね。
離婚するなとは言いませんし
離婚したほうがいい場合も
沢山あるでしょし、
離婚をして人生をやり直すことも
大切です。
しかし
人間と人間の出逢いは、
みんな意味があり、
特に生涯連れ添う相手なら
なおさら
大きな意味があると思います。
多分無意識のところで
自分が出会いたいと願っていた
相手だと
思いますよ!
しかし、
ほとんどは想定外のことが
起きてきて、
実は自分がほんんとうに欲した珠玉まで届くには
とんでないほどの苦労と努力が
必要です。
夫婦の違和に直面しながら
夫婦があがきながら
苦しみながらも、
そこから
1センチ、また1センチと
根気よく相手と付き合い(出会い)
迷いの中をなんとか手探りで
何十年もかけて初めて
家族の絆ができてきます。
しかし
離婚しなくても
ただ一緒に暮らすだけでは
ダメなんです。
やはりお互いが
心をひらき
まっすぐ向き合う努力を
しなければなりません。
そのためには時に
激しい喧嘩も口論も
もしかしたら
掴み合いだって
必要でしょう。
安易に、安直に
インスタントなんかに
人間の絆が
できるものでは
ありません。
それは夫婦だって
親子だって
同じです。
人生が少しずつ熟していくのと
同じように
いろんなことを乗り越えて
初めて
やっと
夫婦になり
家族になっていくのだと
私は思います。
私が家に引きこもり、父はやっと私と向き合ってくれるようになりました。
今は全く父とは連絡を取っていませんし、顔を合わせても一言も話をしませんが。
家族が揃っても、居心地が悪く泣きたくなります。
家族は私にとって私の存在を脅かすものだと冷静に思いました。
今の私は、愛されたいと切実に思う自分を切り離しました。
もう、家族から愛されなくていいと。
そう思ったら、本当に楽になりました。
自分という人間が暗闇から浮き上がってきたのを感じます。
垢を落として、今自分の道にやっと立てた気がします。
人との繋がりは難しいですね。
でも、自分がその人自体を拒否しない事が大切ですね。
もちろん自分にとって有害ならその部分だけを避ける
必要はあると思うのですが・・・・
好きになる事が一番ですね。
そこから、今度は闇も光も包み込める自分の愛情を、ゆっくり、時間をかけ、人生をかけながら創り出してほしいと私は願います。ゆっくりね、
あせらずね、がんばろうね。