離婚について、その2。 |
何かの意味があって、
例え嫌いなヤツや苦手な人間でさえ、
その人にとっては
なんらかのメッセージがある。
逆に
自分がなんも興味のない人間には,
相手がいることさえ
気づきもしないかも
しれない。
良くも悪くも人間は
自分の興味ある人としか
出会わないのです。
通りすぎて行く人はたくさんいても
デス。
そういう中で出会い
結婚までするのだから、
そこには自分が選んだ大きな意味がある。
選んだ何かの価値を持って相手はいる。
それは単に好きだから…ということを
大きく上回った自分の無意識の
はたらきがあり、
自分でも気づかない。
しかし若い人間の意識はまだまだ未熟で
自分の思いや願いが、そのまま
その人を通して、あたかも叶う、或いは
満たされるような錯覚、幻想のなかに
自分と相手を配置してしまう。
極論すれば、
そういう自分の思いや感情が
裏切られたとか
自分が傷ついたとかいうことこそ
実は
その人にとって大切な、重要なメッセージがあり、
まさにそこから自分という人間のテーマが
オーケストレーションしていくのだが。
そこで、
否定的な感情に乗っ取られずに
自分をみつめられたら、
素晴らしいんだけれど
なかなかそうはいかない!
難しいねえ・・・。
たいがいが自分の感情の淵の中に
引きずりこまれてしまう。
傷つき嘆き、
お互いのエネルギーを奪い合う戦いに
なってしまいます。
本当はそれがいちばん不毛なんだけれど、・・・。
自分が裏切られたという感情、
自分の心が傷つけられたという感情が
湧いてくるその裏には
そういうことがすでに、
成育歴のなかで
マインドセットされた
ネガとしてあり、
そのネガと
現実の事象が一致したとき
感情の蓋が開く。
一番のベストは
そのネガはどういう風に
ネガになったのか…という事まで
考え、分析が及んでいくと、
その人間が無意識のところで
抱え込んでいる
そのひとの問題が見えてくる。
カウンリングではそのネガの分析のために
その人の生育の歴史と内容を
洗い出す。
しかし
これはねーまあー至難の業でねー。
本人のなかに、そこまでの覚悟ができていない場合、
安易にその蓋をあけることは
危険でもあります。
こころのバランスを崩してしまい
かねません。
逆に
自分のこころの裏にある動機の世界を
見つめる決心をした人は
どんどん垂直にそこへと降りていきます。
大概の人間が、相手を非難し、憎み
傷ついたまま、かさぶたを・・・表面の修復をすることで
決着をつけようとし、
傷の奥にある影のような、もうひとりの自分を
発見するまでには至らない。
このもうひとりの自分こそ
実は、その人の真実の自分で
多くの人間はこの自分を裏返しにした”ポジ”を
自分だと意識している。
そのポジでその人の世界をつくろうとすると、
そこに、ポジとネガの矛盾が浮き出てくる。
それがいわゆる想定外のことや
相手との認識の落差や
感情のすれ違いなどとして
表出してくるのです。
争いになったとき初めて
人間は、他者の世界に直面する。
自分とはまったく違っていた
思いがけない他者の世界!
それを非難し、憎むのもいい、
しかし
そこに浮き出た他者の世界も
そのひとの真実がそこにある。
人間が自分の思い及ばない世界がある・・・という
認識、
それは遠くの他人ではなく、
すぐそばにいる
夫や、妻や、子供や
兄弟だって
そうなんだ・・・という
認識や自覚があると
いいねー。
人間が目で見ている世界は
見えているようで
見えていない世界・・・つまり、
闇の未知の世界をあたかも
見えているように錯覚して生きている。
しかし
無意識の世界ではちゃーんと
見えている。
ほとんどの人は気づかずに
見ています。
その無意識の世界でみえている世界を
手繰りながら、
様々に直面しては
見えている世界を書き変えて
やがて
意識の世界と
無意識の世界が
歳月を重ねながら
”わたし”によって
意識的に統合、止揚されていく。
すごいねえー。
結婚は、
そういう闇と闇の世界が初めて対峙し
クロスする
横綱相撲で、
取っ組み合っては
転び
取っ組みあっては
勝ち、
そして負けながら
次第に相手の全貌がみえてくる。
相手の全貌が見えてくるころには
自分の強きところも
弱きところも
見えてくる、或いは
相手からしらしめされる。
途中で土俵を降りるのも
自分の決断。
最後まで務めるのも
自分の決断。
生きることは
そういう自分のネガが
ポジに裏がえりながら
写真という焼き付けの記事に
なっていく。
写真に焼かれた自分の姿や表情を
よーくみると
やっぱり
ネガのなかにある影やよどみは
ちゃーんと写っている。
にんげんは
ごまかせないように
なっているんだなーと
思います。
キリスト教のカソリックの世界では、
結婚は神様の取りおこなう神秘の秘跡として
永遠であり
離婚を禁じています。
離婚を禁じることに関しては
まあ
異論がありますが
宗教とは
切り離しても
つくづく、
結婚とはほんとうに
自分のなかの矛盾を止揚するための
出逢いの神秘として
神のはからいのようにも
思います。
以上、熟女達全開!
スゲーッ!
52歳 主婦です 今日 ラジオで 茨城のり子さんの詩 ・感受性くらい・にカツを入れられ 最近のイライラの反省をしました 帰宅して早速 茨城さんの アレコレを検索していると あなた様に 行き当たりました
まだ 全部は拝見していませんが 悩み多き(^^)更年期主婦にガツンときています
これから 楽しみにしています
今日は 茨城さんと あなた様に知り合えて 良い日でした
長々とすみません
失礼しました おやすみなさい