頑張って、・・・から・・・がんばろうね・・へ! |
被災をしてもう極限まで頑張っているひとに
頑張ってね!ってことばがいいのかどうか・・・?
胸にあふれる思いを伝えるには、
頑張ってね・・・・ってしか
言えない。
身体に気を付けて
気を落とさないよいうに
たいへんだろうけど
頑張ってね・・・・とみんな言う。
でも言われる人は
もうこんなに頑張っているのに、
これ以上頑張れないほど
頑張っているのに
まだ
頑張れってっていうの・・・とかなしくなるかもしれない。
イライラするかも
しれない。
『頑張ってね』という言葉の裏には
私は何もできないけど・・・という言い訳が隠れている。
だから
『頑張ってね』或いは「頑張って」といわれると
バトンを渡されたような
リスクがある。
言われた方がすでに心の整理がついていて
ある程度覚悟ができている場合は
励みになるが、
まだまだ不安のなかにいる人は
突き放されたような孤独感が浮かんでしまう。
ガンバロウ
頑張りましょう
頑張ってください・・・というのは
ペアレトの言葉で
受け取るほうは
チャイルドになるんだね、
だから
何度も言われると
嫌になる。
伝える言葉が浮かばなくて
伝える言葉がうまく言えないとき
頑張って…と言葉が浮かんだら
私もがんばるから
一緒に
『がんばろうね!』・・・と
伝えてください。
がんばろうね・・・の”ろうね”には
無理しないでいいから、
時間をかけて越えていこう・・という
包容力があります。
そして
わるぎはないんだろうけど、
頑張って・・・と
言われたら
そのまま受け取らずに(受け取るとストレスになる場合)
『あなたもね』と
返してあげてください。
(そこで相手がはっと気づくかもしれませんけど・・・?)
出来たら
『一緒にね・・・』がつくと
もっといいです。
こんなに頑張っているのに
まだ頑張れっていうの・・・と
悲しく、イライラしているあなたへ・・・。
はりつめているあなたのこころは
よーくわかります。
カウンセラーとして
できたら、
そんなに頑張らなくてもいいよ・・と
言ってあげたい。
事実ものごとは
焦らず頑張らなくてもいい、
なるようにしかなりません・・・と。
しかし
頑張って…と言われて悲しみやいら立ちが湧くあなたに
私はあえて
頑張れといいます。
なぜなら
私自身64年生きてきてやはり
人生の中で一度か二度起きてくる
たいへんな危機の時
頑張るところは
頑張りとおさないと
ダメなのだと
身に染みてきました。
安易に頑張らなくてはいい・・・なんて
言いませんよ。
頑張らなければならないときは
歯を食いしばって
身を奮いたたせて
頑張りとおさないと
ダメです。
こういう時こそ
甘えや
自己憐憫、
被害者意識を
蹴っ飛ばして
ひたすら気持ちを
頑張るほうへ絞りこんで
練っていく。
人間は
諦めたり
弱気になったりした途端
すーっと不安や
猜疑心が忍び込み
そのひとの生命エネルギーを
奪っていきます。
知らない間に
どんどん自分が
弱くなっていきます。
自分が他人や、
外的情報で
切り崩されていくのですね。
※ 放射能汚染に対しての心理も
同じです。
どうしよう・・・とうろたえだしたら、
どんどん自分の基盤が揺れだします。
迷いと猜疑心が募り、
ここはひとつ成り行きをちゃーんと凝視してから・・・が
出来なくなる。
それより、
今、原発の現場で頑張っている人々に
できるとこまで頑張ってくれ…
我々も応援してるからというエールを
全身で送ることが、逆に
自分の全体性をとりもどし、
自分の心理も強化してくれます。
このことは明日詳しく書きましょう。
アウシュビッツでかろうじて生き残った
ドイツの心理学者のビクトール・フランクル博士が
「夜と霧」原題が
「それでも人生に然りと言う」という著書で
ナチスの長く絶望的な収容所で
希望をなくしあきらめた人から
死んでいった。
最後まで希望を持ち
光をみようとしたひとが
お互いに励ましあいながら
生き延びていった。と
書いています。
※ ことが落ち着いてこころの余裕ができたときに
読んでください、お勧めします。
もう身も心もくたくただけれど
まだまだ
いける・・・!
そんなあなたを
遠くから見守るしかない自分の無力さを感じている
1億3000万の国民が
それでも
寄り添って
みんなで
がんばろうね・・・と
応援している。
まさに、頑張って”ではなく、一緒に頑張りましょう!です。
海を超えたコチラNYに住む邦人達も微力ですが出来る事を力を合わせて頑張っています。心底応援支援に尽くしています。