今朝の続き! |
これから読んでくださるかたは
前回「ひたすら傾聴・・・・心の鬱を吐き出してもらうために!」から
どうぞ…長いですけど・・・

〇 〇 〇
こんなことを書いたら
不謹慎とか、
無神経とか言われそうですけど
言葉を曲解せず、素直に受け取ってほしいのですが・・・。
人間は小さな危機や不安には絶望しますが
大きな危機には案外絶望しないものです。
つまり
命というのは
命を保全するために
絶望的な危機のときには
それを救おうする機能が働きます。
物事を実際より鈍く感じさせたり、
恐怖をぼかして思い出さないようにしたり
いろいろと
その人間が生き延びていくように
働きます。
ですから
他からもみれば気の狂いそうな状況でも
本人がそれを真正面から受け取らないように
命が保全してくれるのです。
つまり肉体に自己治癒力が
あるように
心にも自己治癒力があります。
しかしそれも
当時者の感情の器のレベル、
意識の水準に応じて
本人が自分の内部において
少しずつ受け取る器あるいは受け皿を
用意していくのです。時間を経ながらね
個人差がいろいろあるんですね。
一心に耳を傾け
聞いてあげることにより
本人の中で団子状態で、或いは
散らかって切れ切れになってしまった意識を
本人自身がそれを言葉に変えながら
整理していきます。
私たちは自分のなかにも
他人の中にもある
この生命の内発力を信頼して
その人が
自力で扉を開け、語り
そして自分の命の受け皿を造っていくことに
力を貸すだけです。
またその時
聞く側は、
真剣に聞きますが、
聞いたことを
自分の中にいれない。
自分の感情をそれに重ねない。
まあ不謹慎な言い方ですが
右の耳で聞いたことを
左の耳で流していく・・・くらいでいいです・・・笑!
聞いたことも忘れるくらいでね。
決して自分で受け止めようとしては
いけません。
聞く側は”鏡”の役割です。
鏡は感情がない【理性物体】でしょ。
その人が潜在意識で
出口を探しているなら
そこにその人の姿が映るだけで
人は、はっと察知し
考えます。
そしてこれも肝に銘じてほしい
人間の心模様ですが、
聞いてもらう方は
ただ聞いてもらうだけだと
とても安心します。
しかしそこに
聞いてくれる人の感情が
混ざってくると
話がだんだん混同されて
お互いのエネルギーがぶつかり合い
二人ともが消耗していきます。
しかし
何を聞いても
デンと動じず
感情が不安定にならない人には
自分が吐き出したい本当のこと
辛いことや哀しいことや
他人には話しにくいことなど
何を話しもいいんだなあーという
安心と安定(信頼)が生まれます。
自分が丸ごと支えてもらえているような
安心感があるのですね。
また聞く方も
自分が相手の感情に溺れず
取り込まれないことにより
感情が安定し
理性がちゃーんと働いて
何を話されても
客観的な視点から物事をみることが
できます。
現在のような災害や危機の時
ほとんどの人は
同情心をよせて
人々に寄り添い
救われることを願います。
それはそれで
とても尊い人間の感情です。
しかし
本当に大切なのは
被害にあわれた人々が
ひとり、ひとり
しっかり
自分を取戻し
生命エネルギーを
再び溢れさせながら
生きのびて行くことです。
それには
まず
その人の中には
自力で生き延びていく力がある・・・という事を
徹頭徹尾
信じ、信頼することですね。
昨日書いた放射能汚染に対して
「覚悟を決める」ということは
大仰な、またとんでもないことでも
ありません。
人間は覚悟をきめる
或いは
いちばんあってほしくないことや
いちばん目をそむけたいことを
えいっと
懐に入れて
それを受け入れる用意ができたときこそ
人間の精神がもっとも強くなった瞬間です。
そして
次のステップへと足を踏み出すことが
可能になっていくのです。
人間が人間史の中を生きのびてきた
人間が人間たる脳の力と体の生命力を
発揮できるのです。
人間が存在する・・・ことを
全肯定できた瞬間・・・という事ですね。
今回
この未曾有の災害を
いつか
ぜんぶ受け止めたとき
その方々はきっと
災害を乗り越えて
すてきな人間になると思います。
そのためには
時間という神の魔法があります。
ながく
時間をかけて・・・ね!
また私達も
微力ながら
応援できると
いいですね。

深い眼差しや深い思考に触れられて、私も少しずつ変わってきています。
前回の暖かいお言葉から、生きる事に夢中になるってどういう事か考え出しました(笑)
いつも、ありがとうございます。
暖かい眼差しがあるから、私は自分の力で歩いていけます。