片隅に向けて・・・。 |
ちっとも言葉が浮かんできません。
それでも今朝未明に見た夢は
かなりオモロイもので、
断片的にしか覚えていないのですが
自分の心理の底の底にあり、
私自身も気づいていない、いや多分
気づきたくない自分の欲望や野心が
あったような気がします。
さてこの自分でも気づいていない、或いは
気づきたくない欲望や野心をどうするか・・・・?
たいがいの人はこの底の底から
ゆらゆらと陽炎のように立ち上ってくる
欲望や野心に
無意識にコントロールされて
それが
対人関係の動機に転写され、
現実の場面場面に展開され
直面しながら
具体化していきます。
具体化されたところにある
自分の行動や意志に
ピターッと自分の感情が嵌れば
共感がうまれ。
たいへん気持ちのいい達成感がありますが、
そこに何らかの違和や想定外や他者(外的世界)の抵抗による
不実現が生じると
人は混乱し不安定なります。
先日のこのブログの大バトルでも
底の底にへばりついている
その人の支配欲が、
どうしても私をコントロールしたい・・という
欲望にどんどん加速されていきましたね。
まあ、そういモンです人間は・・・。
誰もが常にそういう
自分を中心にした欲望と野心の世界を
持っていますから
時にそれがその人を乗っ取って
心理ゲームをしてしまいます。
心理ゲームが延々と続いていくのは
そういう底の底にある自分の
欲望や野心が安定するまで
本人がやめられないのです。
しかしそれはあくまでも
その人の
自分の自己中心の世界に起きてくることで、
所詮他人などコントロールできるはずがないのです。
だからゲームの終了はお互いが
とても不愉快な結末が残ってしまいます。
しかし
ゲームを仕掛けられたとき
もしゲームだと気づいたら
その不愉快な結末を引き受けることは
ありません。
その”秘術”(なんだかオカルトみたいですけど・・・笑!)は
圧倒的に却下、粉砕することです。
たいがいゲームは、
ああいえば、こういう…という風に
進行していきますから、
アレッと気づいたら、
”冷酷”に突き放し、まったく相手にしない。
”完膚なきまでに”論破するかして
ゲームを終了させる必要があります。
つまり
相手が自分ではかなわない強さを持っていると
分かると、
ゲームを仕掛けてこなくなります。
逆についゲームをしてしまう人は
自分のゲームに気づいて
意識的にゲームをやめることです。
さて、ゲームをやる人の深層心理には、
自己実現がされていない、
自分の人生の欲望の消化不良や
不全感があります。また
常習的な自己否定
(瞬間芸で本人も気づかないうちに
やってしまう。)
そして
孤立感や孤独感があります。
どうしたらこういう不安定な自分を抱えながら
ゲームをする自分を克服していくか・・?
冒頭のように
私自身の中にも
欲望や野心があり、それが
無意識の中に陣取って
私をコントロールしようとします。
では
私はそれにどう向き合っているか・・。
ひとつは自分の中にある様々な負の心理、
支配欲や征服欲やコンプレックスや
不安や怯えなどなど
物事に直面する度に自分が
落ち込み、また
ツイしてしまう行為を
検証してきました。
まあ
自分の半分くらいはこういう負の心理で
自分が”成立”しています・・・笑!
そしてそういう自分の”負の心理”つまり
”自分の弱さ”を
しっかり自覚しました。
それは
自分の中に湧きおこってくる”厄介な心”の
原因は…コレだなーという認識です。
じゃーこの厄介な負の心理をどうすれば
自分は満たしてあがられるだろうか・・・と
考えて
自分を”ケア”してきました。
できるだけ自分負の心理の欲望を
叶えてあげる。
そしてもう一つは
”自分の限界”をよーく
見極める。
自分の負の心理のなかには
親からバトンされた、
”親の自己実現”の代理・・・があります。
親の野心や欲望がかなえられず、
それを子供に託したものです。
これに関しては
”NO”或いは”捨てる”です。
親からバトンされた野心や欲望は
そのひとのものではありません。
しかし
その人はそれを親からの委託とは気づかずに
いたずらに自分を膨張させたり
背伸びさせたり
逆に、
自分を委縮させたり
自分を責めたり、自己嫌悪に陥ったり
して自分を苦しめます。
私はそういうもの
ぜーんぶ捨てて
自分の等身大にもどしました。
カーッとくる自分、
すぐヘナッとヘタレる自分、
どーんと
落ち込む
自分という”現象”
はんたいに
すぐ
いい気に浮かれてしまう自分、
コンプレックスの反対の優越感にひたる
自分、
そういうものを
総点検して、
やっと自分が安心し、
自分の手が”ゆき届く範囲”が
分かってきました。
自分の限界が分からない人は
苦しいでしょうね。
はんたいに自分の
限界を熟知してくると
そこからさらに前進が可能に
なります。
そして私の場合は
いちばん安定し、心が安らいでいる自分
小心で、
ちいさな、ちいさな私、
未熟で、分野によっては、
自分が思うよりずーっと無能な自分を
発見したということ。
(この無能というのは謙虚に言っているのではありません。
きわめて冷静に分析し、自分のテリトリー以外はほんとうに能力がないという事実を
発見しました。)
そして
そういう自分に対して
優しい目を向けることができました。
それができてくると
次には過去をぐるりと見渡して、
自分の中の欲望も野心もすべてを
受け入れ
懐に包み込んで
自分の優しさで溶かして
食べてしまう・・・・かなー!
つまりいつも口が酸っぱくなるほど
言っている
「自分のすべてを全肯定する」
ですね・・・笑!
まあ、参考になるか、ならないかは
分かりませんが、
これが今の私です。
よく、このブログの内容を本にしたらどうか・・という
お話も頂き、
自分でも
やろうかーとやり始めたのですが、
どうもあまり作業が進まない。
おそらく私自身のなかで
不特定多数相手に
自己表出しようという
そういう野心も欲望も
すでにないのだと
思います。
そういう中で今
思うことは、
このブログにたどり着いて読んでくださる方にだけ
ひたむきに書く。
ほんの片隅にむけて
ひっそり
伝えていきたい・・・(そう言うワリには言葉が強烈ですけど・・・笑!)
と
今はそう
思っています。
勢いずつく小花たち!
大吉にゃんさんから頂いた水仙です。
柏葉アジサイの芽です。
力強いです。