バカといっったら・・バカという・・・? |
おはよう
といったら
お早う
バカといったら
バカ
ごめんねといったら
ごめんね…という風に
言葉が帰ってくる。
それをコダマかと聞いたら
いいえ
誰でも・・・と。
私は言葉というものは、
できるだけ
そのまま受け取ったらよいと
考えています。
ただそれは面と向き合って
話しているいる場合です。
政府やマスコミや、その他の公的機関などの言葉は
別です。
人間はどうしても自分という膜を通して言葉をききますから
相手の言葉がそのまま自分の受け皿に合致するとは
限りません。
こちらの発した言葉は
相手の膜を通して
相手の中に入っていきます。
だから、自分の意図したとおりに
受け取ってもらえるのは、まー不可能に近いかもしれませんね。
そして
相手が、自分の言葉をどう解釈しようがしまいが
それは相手の自由で
一度ほうりだした言葉は
もう自分の手元からはなれた・・・ということです。
同様に自分も相手からの言葉を
自分の膜をとおして聞いて、受け取っているわけですから
極端に言うと
ことばというのは
誤解だらけかもしれないのです。
私が考えているのは
人間というのが
集団でしか生きれなくなった現実が
言葉を創造し
またそれは
究極には
自分という人間を
分かってもらいたい・・・という
生命保全の
自己表現じゃないかなーと
思うのです。
たいがいのひとは
聞くことより
しゃべることの方が
好きです。
逆に他人の言葉を聞き続けるというのは
かなり苦痛を伴います。
ほんとうは
人は
自分のことを
はなしたくて
しかたがない。
こういうと中には
いや自分はなるべく
自分のことは
明かしたくないし
知られたくもない・・・と言う人も
いるかもしれません・・・・・・が
ね・・・。
しかし
私の経験では
自分の心が解放されてくるに比例して
その人間は、よくしゃべるように
なります。
確実に・・・・笑い!
なかには
ずーっと自分を押し殺したように
無口な人が
すごく朗らかかになって
びっくりします。
言葉はとても大切なコミュニケーションツールです。
だから粗末に扱ったり
軽々に
まき散らしてはいけません。
また自分をカムフラージュする道具でも
ありません。
自分をカムフラージュしようとしても
相手の無意識がその偽装を読み取って
ばれていますから
無駄です!!
※ はっきりとした意識にはなりませんが
たいがいコイツは嘘をいってるなーと
漠然とキャッチします。
ことばは
素直に
すなおに吐いて
相手の言葉を深読みせず
そのまま受け取るのが
いちばんいいです。
一番効率的です。
だって
相手の言葉を自分の膜でろ過する無駄、
それをまた自分の自我で
解釈するエネルギーの浪費!
お互いがさぐりあう
不毛!
相手のために言葉を尽くすのは誠実ですが
分からせようとするのは
支配欲です。
でも
例外は喧嘩の時
この時だけは、中途半端に言葉を止めず
徹底的に
交戦する!・・・笑!
ことばが
朗らかに
宙に話される(放たれる)ときって
ほんとうに
楽しいです。
いつもお世話になっています m(__)m
>相手のために言葉を尽くすのは誠実ですが分からせようとするのは支配欲です。
深く響きました。
どれだけ支配しようとしていたことか (涙)
反省です。
治らないかもしれないけど (涙)×2
自分の中からの素直な言葉を出しての会話の なんという開放感。
衣や膜をまとったままする人との会話の後の なにか虚しい感じ。
自分の内部を素直に出しての 本当の会話ができたときの充実感。
私はいつでも 本質の会話をしていたいのだ と このごろ気付いてきて
いたところでした。
表情がない場合のコミュニケーションは本当に難しく、気を使います!