2011年 04月 23日
瓦解してゆくものたち…№2 目を凝らし、よーく見せてもらう。 |
「見せてくれているから、
よーく見るように・・・。」
なんてすごいことを言うのだろうと
思います。
とても覚めた非情にも近い
スタンスです。
でも原発事故で
自分達の国が人々が
放射能で汚染されるかもしれないという
危機のなか
非情なる厳しい目こそ
必要なように思います。
人間はお互いが鏡ですが、
時として
自分が受け入れがたい行為をしている他人に対して
非難したり
批判したり
失望したり
嘆きまた
怒りを覚えたりしますが、
しかし
他者を変えることは
出来ません。
自分から見たら歪んでいたり
或いはとても浅薄に見えたり
エゴの塊のように見える他人の行為を
咎めたり
攻撃できたとしても
変えることは
不可能です。
なぜなら
その人自身が”変わろう”と決心しない限り
それは変らないからです。
だから
他人を変えようとするより
自分の中にあるそれと同様な姿を、
同じようなもの芽が育たないように、
その姿をよーく見て
自分の肝に銘じろ・・・と
我が恩師は言ったのです。
それは
自分が見ているように
自分もみられているのだよ!と
という事でもあります。
しかし
見られているから
取り繕えということでは
ありません。
取り繕っても所詮見破られて
しまいますから、
常に客観的な視点を
忘れるな…という事です。
客観的な視点とは
自分が他者と一緒に生きていることを
忘れるな・・ということでもあります。
昨日、ブログで
厳しい目で洞察してほしい・・・・と
書きましたが、
あのUチューブの中で議論している人、特に
勝間さんは、自分が見られていることに対して
とてもうかつであるように見えました。
他の人の中にも
そういう迂闊な人がいました・・。
持論に固執する人は
ともすると
自分のことで頭がいっぱいになり
自分を冷めた目で見ている視線を
忘れてしまうのです。
それだけ正直なのかもしれませんが、
甘いです。
大衆を蔑視して
軽く見ています。特に
勝間さんは酷かったが
あそこにいた人々の何人かは
大衆を自分以下に位置づけていたように
思います。
たぶん無意識でだと思いますが。
勝間さんが言っていることはさも
理性論のように展開していますが
そこには”人間としての自己洞察に基ずく
自分の意見”が
欠落しているから
数字とかデーターとだけで
議論を征しようとしていましたね。
視点に欠落がありました。
もっと厳しいことを言うなら
アナリストなのに
データーの使い方を知らない・・・ことが
ばれてしまいました。
データーの裏に
生きた人間の息吹がないものなど
ただの数字にすぎません。
そこに
生身で生きている現実の人間に対する
洞察や共感がないものなど
使い物にならないということすら
彼女は知らない・・・・。
びっくりします。
これからは、
私達がほんとうに大切なことはなになのかに
気づき、そういう文化を今から新しく
築き上げていく必要を
感じます。
そしてもう
もうこういうたぐいの人たちに
時代を掻きまわされるのをやめさせることです。
やめさせるには
こういう人たちへ
決して依存しない。
そのまやかしを見破る。
そのためには
ひとりひとりがもっともっと
”自分の存在していることに自負と根拠”を与えることです。
自分の人生や、すぎ越してきた日々をすべて肯定する
つまり
自分が生きながら積み上げてきた自分のデーターを信頼することです
そして
自分を大地にしっかり根付けて
仁王立ちしてください。
そうして
偽物やまがいものを
見破る洞察力をもつことだと
思います。
すべては自分が根拠です。
今回災害において様々な人間がうごめきましたが
猫好きぷーさんの日記のように
普通の人々がどんなに素晴らしかったことかと
思います。
名もない市井の人々や
民間の商業や企業のほうが
どれ程誠実で
力強かったか。
そして
政治家をはじめ
オピニオンリーダーたちのなんと
無能なことか・・・・。
過日にも書きましたが
自分の存在に根拠が持てず
自信のないものほど
能力に自信ないものほど
自分を過剰に膨張させ、
不特定多数の人間から
支持や認知をされたがり
ひとの上へと立とうとするものです。
残念なことに
そういうまやかしや
偽のリアリズムが
はびこってしまいました。
不安な自分を
そういう人間たちに
依存させないでください。
その根底には
”欲望”というものに対する
慧眼や洞察分析が間違っているからだと
私は思います。
そのことはまた改めて
書きたいと思います。
今いろいろな事が瓦解して
様々な想定外のことが起きてきています。
だから
よーく見ていましょう。
じっくり
見せてもらいましょう。
よーく見る
よーく見させてもらうということは
みられている人間にとっては
とても恐ろしいことです。
逆に成熟した人間は
自分の身の程を知っており
裏も
表も
平気で
みせることが
できます。
できるだけ
感情を挿入せず
非情の目で見る。
なかなかできませんね。
しかし
ほんとうは
非情なくらい
冷めて(覚めて)
澄みきった
まなざしこそ
その厳しさの先には
ほんとうの意味での人間への信頼が
あります。
大切なことが守られ
最も必要なことが生まれます(創造されます)。
まず、自分をしっかり打ち立てて揺るがない!
仁王のようなまなざしからですね。
最後にもう一度
このブログを読み、
いろいろお考えになられると思いますが、
勝間さんを個人攻撃するコメントは
ご遠慮ください。
しかし
今までの鬱積した思いのたけはどうぞコメントしてください。
私と同様に生きづらく思われていた方も
たくさんおられると
思いますから・・・・。
よーく見るように・・・。」
なんてすごいことを言うのだろうと
思います。
とても覚めた非情にも近い
スタンスです。
でも原発事故で
自分達の国が人々が
放射能で汚染されるかもしれないという
危機のなか
非情なる厳しい目こそ
必要なように思います。
人間はお互いが鏡ですが、
時として
自分が受け入れがたい行為をしている他人に対して
非難したり
批判したり
失望したり
嘆きまた
怒りを覚えたりしますが、
しかし
他者を変えることは
出来ません。
自分から見たら歪んでいたり
或いはとても浅薄に見えたり
エゴの塊のように見える他人の行為を
咎めたり
攻撃できたとしても
変えることは
不可能です。
なぜなら
その人自身が”変わろう”と決心しない限り
それは変らないからです。
だから
他人を変えようとするより
自分の中にあるそれと同様な姿を、
同じようなもの芽が育たないように、
その姿をよーく見て
自分の肝に銘じろ・・・と
我が恩師は言ったのです。
それは
自分が見ているように
自分もみられているのだよ!と
という事でもあります。
しかし
見られているから
取り繕えということでは
ありません。
取り繕っても所詮見破られて
しまいますから、
常に客観的な視点を
忘れるな…という事です。
客観的な視点とは
自分が他者と一緒に生きていることを
忘れるな・・ということでもあります。
昨日、ブログで
厳しい目で洞察してほしい・・・・と
書きましたが、
あのUチューブの中で議論している人、特に
勝間さんは、自分が見られていることに対して
とてもうかつであるように見えました。
他の人の中にも
そういう迂闊な人がいました・・。
持論に固執する人は
ともすると
自分のことで頭がいっぱいになり
自分を冷めた目で見ている視線を
忘れてしまうのです。
それだけ正直なのかもしれませんが、
甘いです。
大衆を蔑視して
軽く見ています。特に
勝間さんは酷かったが
あそこにいた人々の何人かは
大衆を自分以下に位置づけていたように
思います。
たぶん無意識でだと思いますが。
勝間さんが言っていることはさも
理性論のように展開していますが
そこには”人間としての自己洞察に基ずく
自分の意見”が
欠落しているから
数字とかデーターとだけで
議論を征しようとしていましたね。
視点に欠落がありました。
もっと厳しいことを言うなら
アナリストなのに
データーの使い方を知らない・・・ことが
ばれてしまいました。
データーの裏に
生きた人間の息吹がないものなど
ただの数字にすぎません。
そこに
生身で生きている現実の人間に対する
洞察や共感がないものなど
使い物にならないということすら
彼女は知らない・・・・。
びっくりします。
これからは、
私達がほんとうに大切なことはなになのかに
気づき、そういう文化を今から新しく
築き上げていく必要を
感じます。
そしてもう
もうこういうたぐいの人たちに
時代を掻きまわされるのをやめさせることです。
やめさせるには
こういう人たちへ
決して依存しない。
そのまやかしを見破る。
そのためには
ひとりひとりがもっともっと
”自分の存在していることに自負と根拠”を与えることです。
自分の人生や、すぎ越してきた日々をすべて肯定する
つまり
自分が生きながら積み上げてきた自分のデーターを信頼することです
そして
自分を大地にしっかり根付けて
仁王立ちしてください。
そうして
偽物やまがいものを
見破る洞察力をもつことだと
思います。
すべては自分が根拠です。
今回災害において様々な人間がうごめきましたが
猫好きぷーさんの日記のように
普通の人々がどんなに素晴らしかったことかと
思います。
名もない市井の人々や
民間の商業や企業のほうが
どれ程誠実で
力強かったか。
そして
政治家をはじめ
オピニオンリーダーたちのなんと
無能なことか・・・・。
過日にも書きましたが
自分の存在に根拠が持てず
自信のないものほど
能力に自信ないものほど
自分を過剰に膨張させ、
不特定多数の人間から
支持や認知をされたがり
ひとの上へと立とうとするものです。
残念なことに
そういうまやかしや
偽のリアリズムが
はびこってしまいました。
不安な自分を
そういう人間たちに
依存させないでください。
その根底には
”欲望”というものに対する
慧眼や洞察分析が間違っているからだと
私は思います。
そのことはまた改めて
書きたいと思います。
今いろいろな事が瓦解して
様々な想定外のことが起きてきています。
だから
よーく見ていましょう。
じっくり
見せてもらいましょう。
よーく見る
よーく見させてもらうということは
みられている人間にとっては
とても恐ろしいことです。
逆に成熟した人間は
自分の身の程を知っており
裏も
表も
平気で
みせることが
できます。
できるだけ
感情を挿入せず
非情の目で見る。
なかなかできませんね。
しかし
ほんとうは
非情なくらい
冷めて(覚めて)
澄みきった
まなざしこそ
その厳しさの先には
ほんとうの意味での人間への信頼が
あります。
大切なことが守られ
最も必要なことが生まれます(創造されます)。
まず、自分をしっかり打ち立てて揺るがない!
仁王のようなまなざしからですね。
最後にもう一度
このブログを読み、
いろいろお考えになられると思いますが、
勝間さんを個人攻撃するコメントは
ご遠慮ください。
しかし
今までの鬱積した思いのたけはどうぞコメントしてください。
私と同様に生きづらく思われていた方も
たくさんおられると
思いますから・・・・。
by denshinbashira
| 2011-04-23 15:01
| 瓦解してゆくものたち
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