2011年 04月 25日
瓦解してゆくものたち・・・№3・・欲望について! |
昨日の新聞に私が尊敬する数少ないうちのお一人である
”小沢昭一翁”のインタヴュー記事が載っていた。
その中で
戦後はなにかも失って、今日一日食うものもない
貧乏暮らしだけど、今度こそ貧乏をバネに
俺の好きな生き方をしようと一人ひとりが
独立心を持った・・・云々が書かれてあった。
戦争中は自由が奪われた抑圧の中にあり
それが、敗戦により政府や軍部が崩壊し
何もかも失ったが、逆に自由という
素晴らしいものも手に入れた。
そこからはほんとうに自力で生きる世界が
始まった・・・・といことだと思います。
私は戦後2年で生まれました。
それでも幼いながら
子供たちはいつも汚れたボロボロの服を着て
裸足で遊んでいたことを覚えています。
戦争中の食糧難の話は親から繰り返し
聞かされていましたし、
実際のところ
地域に一つしかない水道のことや
やっとお風呂の釜ができた日や
川でおばさんたちが洗濯していた光景は
今でもはっきり覚えています。
駄菓子屋に一円を持って買いに行ったら
飴玉が二つ買えたこと。
お醤油やお酒はからのビンをもって
遠い道を酒屋までお使いさせられたこと
思い出すとキリがありません。
今回のことで
いちばん先に思い出したのが
「坂道」という壺井栄さんの小説です。
たぶん私と同世代の方は、
教科書にのった、作品から抜粋された文章を
覚えおられるかもしれません。
・ある日戦後の焼け跡にたつ家の間借りに
ひとりの青年が訪ねてきます。
お腹をすかしてひもじいその青年のために
母親がきまえよく、その頃貴重品であった卵を割って
ご飯にかけアミノ塩辛をつけて
ごちそうします。
日ごろ卵なんてめったに食べられない子供たちは
その光景をもー羨ましそうにみている。
そんな風なことが書いてあったと
思います。
そういえば卵もほんとうに貴重品で
叔母の家には、鶏が飼っていて
時々鶏が産んだ卵を、おぼろにして
ごちそうしてくれたましたねえー。
2年前に亡くなった母は、
晩年甲状腺の疾患になっていましたが
広島に原爆が落とされたとき、
彼女は門司にいましたから
今から思うともしかしたら
放射能をあびたのかもしれません。
それでも85歳までいきましたよ。
これも新聞記事に載っていたもので
どなたかは覚えていにのですが、
今回の買占め騒動の心理には
”いままであるものが無くなる”という事に対する
「強迫観念」的心理がはたらいたのではないかと
言っています。
本当は物は溢れるほどあるのに
”溢れるほどある”という事が常態化した社会で
その満杯の状態に欠落が少しでも見えただけで
パニックが起き、その心理連動が起きる。
なるほどと思いました。
人間はそもそも現状を維持をしていると
とても安心します。
逆にその現状維持にちょとでも不安材料が
入り込んでくると
心理動揺が起きてしまいます。
しかし
その現状・・と云うものに対する
冷静な観察や検証が為されているのか・・というと
今回の件もそうですが
残念なことに、今の社会は
そういう人間のほうが圧倒に
少ないです。
私は夏目漱石が大好きで
特に「硝子戸の中」というエッセイは
自分を取り返すために
何度も読んでいます。
夏目漱石の作品には
新聞小説が多く
あの内省的で、粘着的な文章を
明治の大衆が読んでいたことも
子規も「「病牀六尺」などを新聞に掲載しており
もしかしたら当時の大衆のほうが
知性がたかかったかもしれませんねえー!
特に漱石は「行人」という先品のなかで
とめどなく人間の欲望に裏打ちされたものを
文明の進化として位置づけている社会に対して
違和を感じその文明が
加速されて行くことに対する危機を書いています。
その文明の進化の裏にある
人間の欲望がつきものが付いたように
独り歩きをはじめやがて
人間がどこかへ連れ去られていく恐怖です。
豊かであること
物が溢れるほどあること
そして便利で
何もかも、
不自由ということがない
ということの
逆の不安が
今度は人間の心理を
脅かしてしまう。
じゃあ―いったいどう考えればいいのか
人間とは
人間の欲望とは
進化とは
文明とは
そして
文化とは
私自身はもう大分以前から
今わたしたちに必要なことは
どういう文化を創造するかだと
言い続けてきました。…と言っても
その主意が理解できるひとはほんとうに
少なく、このブログがなかったら
ただの気がおかしいおばさんの戯言で
終わったと思います。
人間の欲望にもチャ―ンと原因と結果があります。
それは抽象的に”人間”とくくって
時代や文明の進化や社会の動向と
結びつけることもできますから
無関係ではなく
連動していることもたしかです
それでも
自分という個人の中にある
欲望の種を見つけ出すことで
人間はずいぶんその生き方を
変えることができます。
そして自分を悩ます欲望の種が
実は神秘的でも
不条理でもなく
また
自分を責める必要などまったくないこと。
じつはそれこそが
自分が人生をかけて、
癒し
満たし
そして
回復させてあげなければならない
自分の大きな傷(痛み)であること。
その傷も自分がつけたものではないし
自分の不始末からついたものでもないこと。
逆にその傷を受け取るしかなかったこと
また
その傷を受け取るとることで
自分の両親や周囲の人間を
守ろうとした、或いは心理的に
支えようとしたことだと
いう事を
肝に銘じながら、
自分の欲望の厚い皮のしたにある
自分を見つけ出して欲しいのです。
じぶんのなかにある
”欲”や”執着”を洗い出すことから
はじめてください。
例えば衝動買いに走る自分。
ブランド物を買わないではいられない自分。
着飾らずにはいれない自分
ついたくさん食べてしまう自分
逆に食欲に対して禁止する自分。
他人のことをいつも羨ましがる自分。
ついけちってしまう自分。
お金に執着する自分
宗教に執着する自分
他人をコントロールしたい自分。
常に他人より上位にいたい自分
他人に対して敵意や否定的な感情が
湧いてしまう自分。
ひとつのものに執着する自分
何かを収集せずにはいれない自分
動物に感情移入をせずにはいれない自分
自分より弱い人間ばかり相手にしたい自分(男性には多いです・・・笑!)
必要以上に人を救いたがる自分。
いつも旅をしたがる自分。
まあひとえに欲と言っても
いろいろありますから
自分の繰り返し起きてくる
衝動や欲や願望といったものを
点検してください。
物欲
金銭欲
支配欲
征服欲
闘争欲
逃避欲
食欲、性欲はじめ本能的な欲など
まだまだたくさんあるかなー!
断っておきますが
”欲”そのものは
悪ではありませんよ・・・。
悪ではなく
時には自分を非常に生産的にもしてくれる
エネルギー源のスウイッチでも
あります。
今回は
過剰に自分を突き動かして
自分が困ってしまう欲についての
検証です。
自分を客観的に突き放して
よーく自分に聞いて
もしそれが必要以上に
自分のなかに
欠損感として
いつまでも満たされないのなら
それを手掛かりに
自分の幼児期を
思い出してみること。
また両親はじめ
自分に特に影響を与えた人間
また、自分の生命や存在に対するカギを
握っていた人間達が
どういう欲や欲望や執着を
持っていたかを
検証する。
その時
自他の分離ができていないと
親を解析したり
批判したり
できません。
親を分析することに
罪悪感があるひとは
自他の分離ができていない人です。
そういう人はまず、焦らず、ゆっくりと
時間や日にちをかけて
時に年月をかけて、
自分に自立する意志があるかどうかを
聞いてください。
自立するのは
自他の分離ができていないと
恐怖がつきまといます。
それを”分離不安”と言います。
分離不安があるなあーと思ったら
無理に分離しないことです。
無理に分離することは
心理的な危険があります。
しかしいつか
自分が自分に対して
”分離しよう”
”分離したい”…という風に
気持ちが熟してきたら
その時は
徹底的に
容赦なく
親や対象の人を
批判しください。
身ぐるみはがして
分析し
解析してください。
分析し、解析できたら
次に
確実に自分にバトンされた親の欲やコンプレックスを
見つけだす。
それが
必要以上の欲望を
自分に仕掛けてくる
自分の欲望の種です。
さてその欲望の種を
どうするかは
後日書きます。
明日は東京の歯医者に行くので、
疲れ果てて書けないかも知れませんので
後日、なるべくはやく書きます。
今日は
これまでです。

ちいさな小さな小指の先ほどの
つつじの花です。
”小沢昭一翁”のインタヴュー記事が載っていた。
その中で
戦後はなにかも失って、今日一日食うものもない
貧乏暮らしだけど、今度こそ貧乏をバネに
俺の好きな生き方をしようと一人ひとりが
独立心を持った・・・云々が書かれてあった。
戦争中は自由が奪われた抑圧の中にあり
それが、敗戦により政府や軍部が崩壊し
何もかも失ったが、逆に自由という
素晴らしいものも手に入れた。
そこからはほんとうに自力で生きる世界が
始まった・・・・といことだと思います。
私は戦後2年で生まれました。
それでも幼いながら
子供たちはいつも汚れたボロボロの服を着て
裸足で遊んでいたことを覚えています。
戦争中の食糧難の話は親から繰り返し
聞かされていましたし、
実際のところ
地域に一つしかない水道のことや
やっとお風呂の釜ができた日や
川でおばさんたちが洗濯していた光景は
今でもはっきり覚えています。
駄菓子屋に一円を持って買いに行ったら
飴玉が二つ買えたこと。
お醤油やお酒はからのビンをもって
遠い道を酒屋までお使いさせられたこと
思い出すとキリがありません。
今回のことで
いちばん先に思い出したのが
「坂道」という壺井栄さんの小説です。
たぶん私と同世代の方は、
教科書にのった、作品から抜粋された文章を
覚えおられるかもしれません。
・ある日戦後の焼け跡にたつ家の間借りに
ひとりの青年が訪ねてきます。
お腹をすかしてひもじいその青年のために
母親がきまえよく、その頃貴重品であった卵を割って
ご飯にかけアミノ塩辛をつけて
ごちそうします。
日ごろ卵なんてめったに食べられない子供たちは
その光景をもー羨ましそうにみている。
そんな風なことが書いてあったと
思います。
そういえば卵もほんとうに貴重品で
叔母の家には、鶏が飼っていて
時々鶏が産んだ卵を、おぼろにして
ごちそうしてくれたましたねえー。
2年前に亡くなった母は、
晩年甲状腺の疾患になっていましたが
広島に原爆が落とされたとき、
彼女は門司にいましたから
今から思うともしかしたら
放射能をあびたのかもしれません。
それでも85歳までいきましたよ。
これも新聞記事に載っていたもので
どなたかは覚えていにのですが、
今回の買占め騒動の心理には
”いままであるものが無くなる”という事に対する
「強迫観念」的心理がはたらいたのではないかと
言っています。
本当は物は溢れるほどあるのに
”溢れるほどある”という事が常態化した社会で
その満杯の状態に欠落が少しでも見えただけで
パニックが起き、その心理連動が起きる。
なるほどと思いました。
人間はそもそも現状を維持をしていると
とても安心します。
逆にその現状維持にちょとでも不安材料が
入り込んでくると
心理動揺が起きてしまいます。
しかし
その現状・・と云うものに対する
冷静な観察や検証が為されているのか・・というと
今回の件もそうですが
残念なことに、今の社会は
そういう人間のほうが圧倒に
少ないです。
私は夏目漱石が大好きで
特に「硝子戸の中」というエッセイは
自分を取り返すために
何度も読んでいます。
夏目漱石の作品には
新聞小説が多く
あの内省的で、粘着的な文章を
明治の大衆が読んでいたことも
子規も「「病牀六尺」などを新聞に掲載しており
もしかしたら当時の大衆のほうが
知性がたかかったかもしれませんねえー!
特に漱石は「行人」という先品のなかで
とめどなく人間の欲望に裏打ちされたものを
文明の進化として位置づけている社会に対して
違和を感じその文明が
加速されて行くことに対する危機を書いています。
その文明の進化の裏にある
人間の欲望がつきものが付いたように
独り歩きをはじめやがて
人間がどこかへ連れ去られていく恐怖です。
豊かであること
物が溢れるほどあること
そして便利で
何もかも、
不自由ということがない
ということの
逆の不安が
今度は人間の心理を
脅かしてしまう。
じゃあ―いったいどう考えればいいのか
人間とは
人間の欲望とは
進化とは
文明とは
そして
文化とは
私自身はもう大分以前から
今わたしたちに必要なことは
どういう文化を創造するかだと
言い続けてきました。…と言っても
その主意が理解できるひとはほんとうに
少なく、このブログがなかったら
ただの気がおかしいおばさんの戯言で
終わったと思います。
人間の欲望にもチャ―ンと原因と結果があります。
それは抽象的に”人間”とくくって
時代や文明の進化や社会の動向と
結びつけることもできますから
無関係ではなく
連動していることもたしかです
それでも
自分という個人の中にある
欲望の種を見つけ出すことで
人間はずいぶんその生き方を
変えることができます。
そして自分を悩ます欲望の種が
実は神秘的でも
不条理でもなく
また
自分を責める必要などまったくないこと。
じつはそれこそが
自分が人生をかけて、
癒し
満たし
そして
回復させてあげなければならない
自分の大きな傷(痛み)であること。
その傷も自分がつけたものではないし
自分の不始末からついたものでもないこと。
逆にその傷を受け取るしかなかったこと
また
その傷を受け取るとることで
自分の両親や周囲の人間を
守ろうとした、或いは心理的に
支えようとしたことだと
いう事を
肝に銘じながら、
自分の欲望の厚い皮のしたにある
自分を見つけ出して欲しいのです。
じぶんのなかにある
”欲”や”執着”を洗い出すことから
はじめてください。
例えば衝動買いに走る自分。
ブランド物を買わないではいられない自分。
着飾らずにはいれない自分
ついたくさん食べてしまう自分
逆に食欲に対して禁止する自分。
他人のことをいつも羨ましがる自分。
ついけちってしまう自分。
お金に執着する自分
宗教に執着する自分
他人をコントロールしたい自分。
常に他人より上位にいたい自分
他人に対して敵意や否定的な感情が
湧いてしまう自分。
ひとつのものに執着する自分
何かを収集せずにはいれない自分
動物に感情移入をせずにはいれない自分
自分より弱い人間ばかり相手にしたい自分(男性には多いです・・・笑!)
必要以上に人を救いたがる自分。
いつも旅をしたがる自分。
まあひとえに欲と言っても
いろいろありますから
自分の繰り返し起きてくる
衝動や欲や願望といったものを
点検してください。
物欲
金銭欲
支配欲
征服欲
闘争欲
逃避欲
食欲、性欲はじめ本能的な欲など
まだまだたくさんあるかなー!
断っておきますが
”欲”そのものは
悪ではありませんよ・・・。
悪ではなく
時には自分を非常に生産的にもしてくれる
エネルギー源のスウイッチでも
あります。
今回は
過剰に自分を突き動かして
自分が困ってしまう欲についての
検証です。
自分を客観的に突き放して
よーく自分に聞いて
もしそれが必要以上に
自分のなかに
欠損感として
いつまでも満たされないのなら
それを手掛かりに
自分の幼児期を
思い出してみること。
また両親はじめ
自分に特に影響を与えた人間
また、自分の生命や存在に対するカギを
握っていた人間達が
どういう欲や欲望や執着を
持っていたかを
検証する。
その時
自他の分離ができていないと
親を解析したり
批判したり
できません。
親を分析することに
罪悪感があるひとは
自他の分離ができていない人です。
そういう人はまず、焦らず、ゆっくりと
時間や日にちをかけて
時に年月をかけて、
自分に自立する意志があるかどうかを
聞いてください。
自立するのは
自他の分離ができていないと
恐怖がつきまといます。
それを”分離不安”と言います。
分離不安があるなあーと思ったら
無理に分離しないことです。
無理に分離することは
心理的な危険があります。
しかしいつか
自分が自分に対して
”分離しよう”
”分離したい”…という風に
気持ちが熟してきたら
その時は
徹底的に
容赦なく
親や対象の人を
批判しください。
身ぐるみはがして
分析し
解析してください。
分析し、解析できたら
次に
確実に自分にバトンされた親の欲やコンプレックスを
見つけだす。
それが
必要以上の欲望を
自分に仕掛けてくる
自分の欲望の種です。
さてその欲望の種を
どうするかは
後日書きます。
明日は東京の歯医者に行くので、
疲れ果てて書けないかも知れませんので
後日、なるべくはやく書きます。
今日は
これまでです。

ちいさな小さな小指の先ほどの
つつじの花です。
by denshinbashira
| 2011-04-25 10:33
| 瓦解してゆくものたち
|
Comments(5)
初めてコメントさせていただきます。
数日前より、寄らせていただいておりました。いつもコメントさせていただきたい衝動に駆られながらも何をどう表現して良いかわからずにいました。
・・・やっぱり上手く表現できないのですが、お伝えしたいです。
ありがとうございます。
と。
数日前より、寄らせていただいておりました。いつもコメントさせていただきたい衝動に駆られながらも何をどう表現して良いかわからずにいました。
・・・やっぱり上手く表現できないのですが、お伝えしたいです。
ありがとうございます。
と。
0
本題ではないですが、文明のことについてです。
今まで、偉人たちが残した文明、私たちはそれらを当たり前のように使っているから、いけないのですね。
私なんかは、携帯電話のない時代とある時代の中間なので、携帯で考えると、メリット、デメリットよく分かります。
文明は、よく理解して、完全依存せずに、使わないといけないです。今回の震災で、本当に思いました。
今まで、偉人たちが残した文明、私たちはそれらを当たり前のように使っているから、いけないのですね。
私なんかは、携帯電話のない時代とある時代の中間なので、携帯で考えると、メリット、デメリットよく分かります。
文明は、よく理解して、完全依存せずに、使わないといけないです。今回の震災で、本当に思いました。
tenchanmama様、コメントをありがとうございました。十分お心は頂きました。こちらこそお役に立てて嬉しいです。
おつきさま様、そうですね、文明もいいこと半分悪いこと半分で、それを一人ひとりが流されないで検証し考察しないと利便性の代償に自分が持っていかれてしまいます。文明が人間のほんとうの幸せかを考察する必要があるのだと思います。
少し変な文章でしたが、返信ありがとうございます。欲望については、最後まで熟読させてから、感想書きたいなと思ってます。

