瓦解してゆくものたち№4…親とは! |
今日は歯科で40分待たされ、
レストランで30分くらい待って
とどめは、高速が事故渋滞で
いつもなら30分のところを75分かかり、
そういうわけで、頭がかなりイカレてしまったので、
今日は昨日のつづきとして書こうとした
”欲望の処置のまえに、
”親”について軽く書いてみたいと思います。
私たち人間の脳は、それぞれが独特のデーターを集めた上に
またその人間独特の認識というか
文脈で脳の記述(記憶)をしていきます。
だから極端にいうと
地球上に60億の人間がいたら
60億の脳の記述のパターンがあるという事です。
逆に言うと
60億分の一くらい
小さく、狭い世界をワタシという人間はいきている。
※ なぜ60億分のⅠなどどいうのかというと
それくらい人間はちいさな世界で
自分固有のデーターで生きているという認識が
必要であると私が思うのだからです。
なおかつその多くの情報源は
ほとんど両親や身内や周囲の人間からの情報のコピーで
その人間は、
親の包括する世界から脱し
親の記述とは異なる異世界に遭遇し
またそこでさまざまに直面し時に衝突し
挫折しながら、
その小さくてさせまーい!世界の扉ひらきながら
親とは異なる自分が得た情報を基に
脳の記述や文脈を書きなおしていきます。
つまりそうしながら自分独特の地図を
作っていくのですね。
その時当然ながら
親の世界に対する検証や批判や削除や
書き直しをしなければ
外の世界に自分が適応できなくなり、
苦しみます。
つまりその書き直しが
その人間がその人間らしくなるプロセスなのです。
時代が古く貧しい時は
子どもといえひとりの労働力であり
稼ぎ手として
なるべく早く親から独立して世の中に出て
働かなければならなかったので
必然的に両親からの卒業、
脱出が迫られました。
しかし豊かな現代は、子供の両親に保護される期間が
長く、また心理的な決別というのもしないで済みますから
なかなか親の世界との分離が出来にくいです。
親との分離とは
親を
ひとりのちいさな”人間”として
洗い直してみることができる。
つまり
尊敬できるとこも
或いは反面教師として嫌な面も
チャ―ンと冷静にみることができるようになると
言うことです。
しかし
子どもはその生命線を親が握っているわけで
親は子供の保護者であり
すべての行動のお手本であり
子どもからみると
自分の存在の全権を
握られていることになります。
また親は、親でもあり、ひとりの弱い人間として
自分の感情を露骨に吐き出す対象として
こどもにぶつけてしまいます。
人間は自分より強い人間や
関係が壊れたら困る人間、また社会的には
仮面をかぶっていますから、
そういう人間に対しては
自分をコントロールしますが、
自分よりよわく
また自分の感情をぶつけても
関係が壊れたり、ややこしいことが起きない
子どもに、心理的な甘えをして
自分でも気づかずに
子どもを感情の受け皿にしてしまいます。
自分の生存権を親に握られている子供は
さまざまに傷つくのですが、
それを自分の意識にのぼらせては
生きていけないので、意識の底の方に
閉じ込めてしまいます。
親は自分の保護者でお手本なのですから
逆に自分の親は自分をこんなに愛してくれたとか
自分の親こそ尊敬できる立派な人間だと…いう風に
脳が意識を偽装することさえあります。
親を批判したりすることは
自分にとってはタブーで
鍵をかけないと
自分が自分の意識に脅かされるから、
そんなことなどがんがえたこともない・・と
脳が意識を偽装します。
そしてそのことは
本人さえも知らない・・という事も
よくあります。
もういちど
親も
ひとりの脆弱な人間です。
子どもを育てる親はまさに
自分も人生の途上で
未熟で、子どもをどう育てたらいいか
格闘の真っ最中でしょう…無理もないのです。
素敵なところも
子どもに対する温かい愛情も
慈悲もあります。しかし
その一方では
親自身の抱えている苦しみや
コンプレックスや
制御できない感情など
まさに”人間”そのものなのです。
また親の愛という幻想がありますが
以前にも書きましたが
人間が他の人間にあげられる愛情や元気のもとのエネルギーは
ほんにささやかなものしか
あげられません。
どの人間も毎日
1600から2000そこそこのエネルギーで
やっとこさ生きてるのですから、
たしかに親は子供を育てながら慈しみますが
それも限界・・すなわち括弧つきのものです。
そういう親と子の人間同士の葛藤の中を子供が
生きてきて、だんだん親の正直な姿が赤裸々に見えてきます。
その時子供はそれまで意識の底の奥にしまいこんでいた
親への批判や抗議や反抗心を
むき出しにして来るのが
いわゆる”反抗期”です。
反抗期って大切なんですよ!
反抗期で子供は親に対峙し
対決し、
自分の自我の真実を取り返そうとします。
またそれまで、親に握られていた生命存在のカギを
今度は自分の手で握り自立しようとします。
この反抗期が徹底的に
親と戦われるといいです!
しかしそこに親も子供も
中途半端に依存があり
分離することに対する不安があると
これが不発に終わっちゃうんですね・・・。
昔は中学卒業で就職したり
もっと早く丁稚奉公にでたり
子どもを早く手放して口減らしをしたのですが
今は親も子もお互いが共依存でしがみつているケースが
多いです。
本当は
親は自分の子供が独立して
自力て生きてくれたほうが安心だし楽になります。
しかしその代償として
自分も寂しさや孤独をひきうけないといけません。
子どもは親とは全くの別人格で
子どもは、こどもの人生、生きかたがあります。
親は自分の負の部分もバトンしてしまった
それも人間としては、
しかたのないことで
しかし
子どもは自分の狭い小さな世界から脱出して
広く大きな世界で、さまざまに直面し
失敗や挫折を重ねながらも
しっかり
人間社会というものを
心得ていく。
そして生き延びていってほしいと
親は本当はそう
願っているのでないでしょうか?
俺のかばねを超えて前へ進め・・と。
わたしを踏み越えてお行きなさい!と。
残念なことに
こういう子どもが親を倒して前へ進む・・・とういう
親と子の分離ができていないと
子どもの意識は親のコピーのまま
生きてしまいます。
親の見た世界の姿をそのままなぞり
自分のみた世界の姿だと
思ってしまうのです。
例えばAさんが
自他の分離のワークをしたあと
Aさんは目を開けたとたんに
同じ風景が違って見えてきます。
今までその人をマインドコントロールしていた
親のフレームが取れるわけですから
自分のみたいように見えてくるわけです。
私自身も父親を退治して、
父親の脅威を感じなくなった途端に
それまでは男の人が怖くてしかたがなかったのに
その恐怖が取れました。
親というのもひとりの人間として
子どもを手放し
自分独りの人生を生きなければなりません。
人間は独りで死ぬのですから。
そして子供は自分の総力を結集して
生き延びていかないと
世の中はそうは甘くありません。
明日書こうと思っている
自分の中の欠損感の原因となる
親との関係
親から渡された負のバトンを
どうするか≒欲望の処理をどうsるか・・・・。
その前に
親の強さも
弱さも
美しさも
醜さも
すべてを
冷静に
冷徹に
洗い直し
正当に評価し
そこから
子は
自分がどう生きたらいいかを
導き出していくことで
やっと
自分の土壌が固まっていくという事なのですね。
それは
親にとっても
こどもにとっても
厳しい検証ですが
それができてはじめて
人間は大人になっていくのだと
思います。
軽く書くつもりが
やっぱり長くなっちゃった!!
アズキナシの新芽です。上品でしょう!