曽野綾子著「本物の『大人』になるヒント」から |
買って読みました。
私もほんものの『大人』になりたくて・・・。
曽野さんの本は若いとき
「心に残るパウロの言葉」というのを読み
たいへん感動し救われました。
曽野さんの容赦ない研ぎ澄まされた言葉にも
触発されました。
さてこの「本物の大人になるヒント」という本
なかなか素晴らしいことが書いてあります。特に
・どんなひとにも感情の捌け口が必要である
人間の感情もまた下水と同じで、
必ず出口を作ってやらないと溜まって
所ならない所から溢れ出す。
・沈黙によって閉ざされた精神には
毒が回る。
などは
ほんとうにその通りで感情を下水に例えられたあたりなど
素晴らしいです。
カウンセリングなどはまさにその下水の排泄と
排水溝作りそのものです。
曽野さんは
自分と社会との距離をちゃーんと計算に入れ
人間という集団の中で
バランスをとること、
そして甘えず責任と義務を果たすことなどを
歯に衣着せず言いきっている。
この言い切るということも
とても大切なことで
なかには、その断定的ないい切に
反発する人もいますが、
甘えがなく、自分に依拠した言葉を吐き
自分の言葉に責任を持ちますよ・・という覚悟がないと
なかなかできないことです。
厳しいことを言いますと
共依存のバランスの中にいると
なにかを突き付けられたような危機感が起きて
反発をおこします。
そういう日本の依存土壌のなかでは
曽野氏はことばを曖昧にして
自己防衛することをせず
なかなか立派です。
だから
きっとアンチ曽野もたくさんいると
思いますよ。
しかし
本を読み進むにつれ
ああ私は曽野さんと少し違うなあ・・ということを
感じてきました。
曽野綾子さんはわたしより16年先輩ですから
当然戦前に生まれ
その分、たぶん
戦後2年に生まれた
わたしよりずーっと厳しいしつけや倫理観や
階級性をもっておられるように
思います。
キリスト者としてたしかに
深い愛情を持って他者や世間を見ておられるが
ご自身のなかには
ゆるせることと許せないことの
秩序が整然とあり
それがちょっと息苦しい気がしました。
私の方はもっと
だらしなく
もっといい加減で
人間の救いがたいこころの闇の深さやまた
自分ではどうにもできない
自分の脳の記述から来る
愚かしい行為などに対して
人間が何と無力で不毛かと
おもっています。
世の中には
自己救済など
思いもつかない人間もたくさいて、
そういう人間が生き延びてゆく時
極端に言いますと
何をしても自分を許す、受け入れる
自分を許すに、
いかなる条件も
つけない。
更に自分を解放して行く時は
人を殺める以外はなんでもアリくらいに
自分を大胆に解き放ってほしいと思っています。
それくらいの自在さをもってはじめて
人間はささやかに扉を開けることができるし
人が生きるということは
一切の先入観念や既成観念を
おもいっきり
自分の心の中から
取っ払うくらいの
自由さがほしいと
思っています。
だから
秩序も倫理も時には責任も義務も
そういうものさえ
どうでもいい。
もう何ものにも
脅かいされず
全身の鎖を解いてのびのびと
はつらつに
自分を
生き延びて行ってほしいと
思います。
何度も書きましたが
自分がオチコンで
おちこんで
どうしても自分を掬うことができなかったとき
高速道路をぶっとばして
自暴になっている私に
なんだか遠くから聞こえてきたのは
生きさえすれば
それだけでいい・・・という
良寛の声でした。
人間は生まれた以上
生きるしかないない。
だから
生きることが
いちばんの目的で
それをはたしてゆくためには
まことに
自由自在でいいよ、
なんでもありさ・・・という
ような意味だと
私はそのとき
思いました。
この本を読みながら
大変参考になったことも
たくさんあり、
それはそれで素晴らしい
しかし
私はやはり
自分に条件をなにもつけないことのほうが
いいように思います。
それは
いい加減で
ゆるくて
タルイけど
それだけ人間の心奥ににあるひかるものを
信頼することでもあり
そのほうが
わたしには大切なように
思っています。
可愛いね!