2011年 05月 16日
自己嫌悪もせず、絶望もせず・・・!! |
プネウマというのはギリシャ語で、
「人間の生命の原理。一切の存在の原理。」という意味で
キリスト教では「聖霊」のことを指すそうだ。
井上洋治神父は、そういう生命の原理、
そしてそこに働く神のはたらきを、
『風』のようなものとされたのだと思う。
それは人間の中を循環し
通過して働くエネルギーでもあり、
人間の肉(感情)の温度によって
時に熱く時に冷たく
しかし基本は生きとし生けるものの
その命を生かそうと稼働する働き、
その本質は風のように
さらさらとした
エネルギーなのだろう。
昨夜我が家で、放射能汚染をめぐって
家族のなかでちょっとした小競り合いが
起きた。
放射能汚染を巡る危機意識の温度差が
原因だが、
私も相手のあまりの鈍さに若干血圧が上がり
ムカついたが
このところのセルフ・カウンセリングのおかげで
すべては自分の心理の投影であるという認識が
効いていて
私の怒りの根っこにある
私自身の不安や無力感のほうへと
意識がシフトしていけた。
自分のなかの不安や怯えや無力感を
相手がそれを理解せず
その苦しさを察せず
理屈でそれを封じ込めようとすることに
対しての怒りだが
よく考えてみると
自分の不安や無力感が生じるのは
その解決を相手に依存しているからですね。
相手が自分のことを理解せず
自分の思うように動いてくれない。
そんなこと
あたり前なんですけど
どこかでまだ家族というくくりのなかで
甘えている自分がいる。
よっしゃ、
自分の不安は自分で解決しちゃおう!
・・・
昨夜のことも含め
このことも
このブログでお伝えしておこう思うことがあり
書きます。
私もそうですが、
若いころは自己嫌悪のかたまりみたいで
ほんとうに苦しくて堪りませんでした。
しかし自己嫌悪の心理メカニズムは
きちんと事象に対応したり
解決の行動化をしない代わりに
自分を責めることで
代償するということがあります。
同じように絶望することも
自分の無力感を乗り越えるための
行動をしない代わりに
絶望する。
自己嫌悪や絶望のうらには
動かないですます、
行動するリスクやめんどくささから
逃避する。
例えば対人関係の中でトラブルが起きたとき
率直に相手に謝罪するのを回避して
代わりに自分を嫌悪する・・・とか。
本当は相手に立ち向かい
戦うべきなのに
それを回避して
自分も相手も嫌悪するとか。
人間は強くないですから、
それに
子供時代にそういう立ち向かう力を
挫かれている人もたくさんいますから、
そういう人の受け皿として働く
こころの作用でしょう。
しかし
ホントはね
そう逃げないで
ちゃーんと自分を行動化させた方が
うんと楽になります。
解決できると
自分の存在が
どんどん強化されま。
絶望だって
山のように立ちはだかる
或いはそびえたつ
相手や
事象に対して
そのままちいさな、脆弱な自分で
いっきに
立ち向かおうとするから
無力感に陥ってしまいます。
アルプスのようにそびえ立つ山でも
深く切り立った谷でも
延々と遠い道のりでも
とにかく
目の前の一歩から
始める。
恐ろしく長い時間が要すると想像できても
とにかくそういうことは
何も考えずに
今日いちにち
今の数分から始める。
そして少しずつ
そろりそろりと
解決へと近づいていく。
ぼんやりとしてでもいいから
そのうち解決できるだろう・・・くらいに
楽天的に、でも
少しずつやり遂げていく。
決して
被害者に陥ってしまわないことです。
自己嫌悪もせず
絶望せず
軽やかに
颯爽と
いきたいものです。
※ これは蛇足ですが、
とうていかなわない・・という相手でも
少しずつジャブを食らわせることで
もしかしたら最後は倒せるかも・・・・


私もKurokiさんの真似をしてモノクロで!
このバラは皇太子の結婚を祝して作られた
雅子さんです。
大輪のピンクで
とてもいい香りがします。
「人間の生命の原理。一切の存在の原理。」という意味で
キリスト教では「聖霊」のことを指すそうだ。
井上洋治神父は、そういう生命の原理、
そしてそこに働く神のはたらきを、
『風』のようなものとされたのだと思う。
それは人間の中を循環し
通過して働くエネルギーでもあり、
人間の肉(感情)の温度によって
時に熱く時に冷たく
しかし基本は生きとし生けるものの
その命を生かそうと稼働する働き、
その本質は風のように
さらさらとした
エネルギーなのだろう。
昨夜我が家で、放射能汚染をめぐって
家族のなかでちょっとした小競り合いが
起きた。
放射能汚染を巡る危機意識の温度差が
原因だが、
私も相手のあまりの鈍さに若干血圧が上がり
ムカついたが
このところのセルフ・カウンセリングのおかげで
すべては自分の心理の投影であるという認識が
効いていて
私の怒りの根っこにある
私自身の不安や無力感のほうへと
意識がシフトしていけた。
自分のなかの不安や怯えや無力感を
相手がそれを理解せず
その苦しさを察せず
理屈でそれを封じ込めようとすることに
対しての怒りだが
よく考えてみると
自分の不安や無力感が生じるのは
その解決を相手に依存しているからですね。
相手が自分のことを理解せず
自分の思うように動いてくれない。
そんなこと
あたり前なんですけど
どこかでまだ家族というくくりのなかで
甘えている自分がいる。
よっしゃ、
自分の不安は自分で解決しちゃおう!
・・・
昨夜のことも含め
このことも
このブログでお伝えしておこう思うことがあり
書きます。
私もそうですが、
若いころは自己嫌悪のかたまりみたいで
ほんとうに苦しくて堪りませんでした。
しかし自己嫌悪の心理メカニズムは
きちんと事象に対応したり
解決の行動化をしない代わりに
自分を責めることで
代償するということがあります。
同じように絶望することも
自分の無力感を乗り越えるための
行動をしない代わりに
絶望する。
自己嫌悪や絶望のうらには
動かないですます、
行動するリスクやめんどくささから
逃避する。
例えば対人関係の中でトラブルが起きたとき
率直に相手に謝罪するのを回避して
代わりに自分を嫌悪する・・・とか。
本当は相手に立ち向かい
戦うべきなのに
それを回避して
自分も相手も嫌悪するとか。
人間は強くないですから、
それに
子供時代にそういう立ち向かう力を
挫かれている人もたくさんいますから、
そういう人の受け皿として働く
こころの作用でしょう。
しかし
ホントはね
そう逃げないで
ちゃーんと自分を行動化させた方が
うんと楽になります。
解決できると
自分の存在が
どんどん強化されま。
絶望だって
山のように立ちはだかる
或いはそびえたつ
相手や
事象に対して
そのままちいさな、脆弱な自分で
いっきに
立ち向かおうとするから
無力感に陥ってしまいます。
アルプスのようにそびえ立つ山でも
深く切り立った谷でも
延々と遠い道のりでも
とにかく
目の前の一歩から
始める。
恐ろしく長い時間が要すると想像できても
とにかくそういうことは
何も考えずに
今日いちにち
今の数分から始める。
そして少しずつ
そろりそろりと
解決へと近づいていく。
ぼんやりとしてでもいいから
そのうち解決できるだろう・・・くらいに
楽天的に、でも
少しずつやり遂げていく。
決して
被害者に陥ってしまわないことです。
自己嫌悪もせず
絶望せず
軽やかに
颯爽と
いきたいものです。
※ これは蛇足ですが、
とうていかなわない・・という相手でも
少しずつジャブを食らわせることで
もしかしたら最後は倒せるかも・・・・

私もKurokiさんの真似をしてモノクロで!
このバラは皇太子の結婚を祝して作られた
雅子さんです。
大輪のピンクで
とてもいい香りがします。
by denshinbashira
| 2011-05-16 10:56
| 人間
|
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