”もの”と出遭う! |
やってました。
その時
作家が納得のゆくものを作るためには
時間も手間もかかり、
それらの労力に値した価格をつけたいと
思いましたが、
なかなか難しく、
また作家やモノづくりの人々が
生活し再生産できる価格となると
これもまたたいへん難かしゅうございました。
”もの”というものは
人間の心の投影でもありますから
”もの”がどいういう扱われ方をするかは
その人間の心や存在が
「どう扱われているか」という事を
暗示していることにもなります。
流すようにものを使い捨ててゆく
自分の欲求不満の代償として
物を所有する、モノを浪費することに
明け暮れていく。
自分が”損をしないように”
”もの”に譲歩させて
自分が得をする。
自分が得をするということは
相手より自分が上位になれる・・・。
反対に自分の中の何かが
そのものに惹かれたり
そのものを買うことで
心の中が満たされる
自分だけの世界を投影する”もの”
物が存在するには
その”もの”を作り出した人間の
エネルギーや息吹やそして
その人の人生の時間、
過ぎ越してきた日々の鍛錬などが
込められている。
だから私たち買う側は
そこに敬意を払い
対価を払うべきだと
私は思っています。
ものというものはすべて
食品にしても
工業品にしてもその対極には
必ず「ひと」がいる。
たとえ安価な廻る寿司でも
そこには”ひと”が
係っていると思う時
きっと安価にするためには
誰かが犠牲になっている・・だろうくらいは
察しがつきます。
”もの”と向き合うということは、
そういうことだと
私は思っています。
たくさんの”もの”を所有する必要はない。
自分がほんとうに好きなもの
自分がほんとうに心地よい、もの
自分の心が深く心底から満たされるもの
自分の大好きな”もの”を創ってくれるその人が
消耗して意欲をなくさないように
そういう風になったら
困るのはわたしだから、
ちゃーんと身銭を切る!
ほんとうに心が満たされるものに出遭えた時は
こころが弾んで
元気がでます。
そういうものに
たくさん出遭えたらなあーと
思います。