自分の自意識で苦しんでいる人の為に・・・。 |
あるお嬢さんからSOSのメールを貰いました。
とても素敵なお嬢さんです。
そのお嬢さんが、ご自分のチャーミングさを生かして
イキイキと生きれるようになればいいなーと
思って書きます。
きっとほかにも同じように
苦しくてたまらないひともいると
思いますから・・・。
人間にとって”自分”という自意識は
とても大切ですね。
自分という人間を意識することによって
自分という独特な世界や生き方を
意識することですから、
それがなくなると、人間という、ひとくくりの
集団の中に埋没して、自他の境目なく
混沌と漠然しか
自分の実感がないという事ですから。
しかしこれが過剰に働くこも
生きる上ではとてもつらいことになります。
じじつ、わたし自身が自意識過剰な人間で
どれほど生きにくかったことでしょう。
じぶんを過剰に感じ、意識してしまう人たちは
どこかで
自分を特別な人間だと思われたい
扱われたい・・・という願望が
潜在意識のなかにあります。
自分は、そこらへんの人間とはちがうんだ・・・という
高い自意識とプライドがあり、
常に、じぶんがどう扱われるかを神経が見張り、
自分が普通に扱われると
傷ついてしまいます。
こういう人たちがどうしてそうなるかは
まあー幼児期におけるいろいろな事情や
親からバトンされたコンプレックスや
それが裏返ったりということも
あるでしょうが、
そのの一つとして
生まれて時から、過剰に親に期待されている。
つまりオギャーとうまれた瞬間から
生まれつきの天才であることを
期待されたり
凄い才能や
アタマの良さを期待されたり
時には美貌や美男や
スタイルまでを
親が期待していたり、
何らかの期待が
過剰に親や周囲の人間の潜在意識の中にあったら
それは間違いなく
その子の自意識へと沁みこんでいきます。
言っておきますが、
生まれたときは
どの赤ん坊も
ただの赤ん坊で、
いくら親がすばらしい遺伝子を持っていたとしても
それはいわゆる、因子であって
それがそのまま順調にいくとは
かぎらない!
つまり
この世に特別な赤ん坊なんて
ひとりもいません。
特別な環境に生まれた赤ん坊だって
赤ん坊は
ただの赤ん坊です。
むしろ
そういうところに生まれたことが
不幸かもしれないのに・・・。
その人間が”特別な人間”になっていくには
そういう
特別な環境で
特別な育て方や
特別な教育をされないと
無理です。
しかも特別になるには
その特別なことを
かなり偏ってやらないと
特別にはなりません。
しかしそれは
大きなリスクや圧力を
その赤ん坊に課すことにも
なりかねませんし
きっと子どもは
苦しいでしょうね。
たとえば今もてはやされている
ゴルフの石川君だって
おそらく沢山の事を犠牲にして
ここまできたのだと
思います。
もしかしたら子供らしい楽しいことを
犠牲にして
練習にはげんだかも
しれませんねー。
タイガーウッドだってかなり
歪んだ自分の内面を
どうすることもできないでいる。
断っておきますが
人生の前半で獲得したものは
よくもわるくも
必ず
人生の後半で
ひっくりかえります。
人間は
人生の前半で欠落させたものを
後半でそれを埋めようと
無意識にして
自分の全体を取り戻そうとするのです。
そういう意味からするとむしろ
誰にもいじくられていない
うまれたての赤ん坊こそは、
”ぜんたい≒完成”なのかも
しれませんね。
さて自分が特別なにんげんだと
思いたい”自意識”は
それが特別ではないところで
激しく反応します。
つまり自意識では特別でも
周囲がその人を特別とはおもうわない・・という
現実、あるいは真実を
突きつけられたとき
その人間の自意識が激しく震え、作動し
自分の特別さをわからないこの人たち…という風に
見下したり
嫌悪したり、否定したくなったり
バカにしたり・・・という
”自意識の工作”をして
自分のプライドを保つようにします。
こういう人は
”ある気づき”しないかぎり
人生をすべて
酸っぱい葡萄・・・にして
いつも孤立して生きてしまいます。
酸っぱい葡萄とは、
イソップ話で
ブドウを食べようとした狐が
どうしてもその葡萄に手が届かず
、そのブ葡萄のことを
この葡萄はきっと酸っぱいに
違いない・・・と
あきらめてしまうことです。
そうなんですよ、
本人はそう思わなくとも
実は
あきらめて
いるんです。
このトリック?はのちほど
解いていきますが・・・。
悲しいかな
ただの赤ん坊は
よほどのことがないかいぎり
ただの人にしか
成りえないのです。
しかし
人生はそれほど
冷酷では
ありません。
逆です。
あることに
気づいていくかぎり
人生に祝福のシンフォニーが
ながれます。
それは
自分の手で
自分が特別な人間になっていく・・・と
いうことです。
自分を追求することも
自分という
特別な人間になるんですけど・・・。
特別な人間になるためには
自分の目標に向かって
たくさんの努力をコツコツと積み上げながら
少しずつ
自分のイメージする
自分のなりたい自分と
なっていく。
それは親から期待されていた自分の像でも
それが無理のない心地よい事ならいいですし
親とは全く関係のない自分像でもいいんです。
自分がそういう人間に到達するためには
何をどのように努力したらいいか。それを
ゼロから立ち上げていく。
つまり
初めからあるのではなく
ゼロ、何もないところから
自分を一ミリずつでも
一枚ずつでもいいです
自分でコツコツと
”自分の内容”を
創りあげていく努力する。
そしてね、
もう一つたいせつなことは
自分のサポーターを
創っていく。
ゼロから始める努力は、すぐには実りません。
そしてそういう自分のなりたい像へと
到達するには
自分だけじゃあー難しいです。
それだけではなく
自分なんてたかだか知れたものしか
収穫できないが、
他者の収穫したもので
是非自分にも必要と思うわれるものを
分けていただく或いは
マネさせていただく。
一緒に成長できる仲間を
創る。
そのためには
自分のこころを開き
自分も自分の大切なものを
分けて差し上げる。
自分が経験した
楽しいこと
オモロイはなし
素敵な品々
なんでも
惜しみなく
そういうあなた自身が
廻りから見れば
すごーく魅力的に思えるかもしれない!
もしかしたら以前は
プライドが高く
嫌なヤツとして
孤立していたかもしれない
しかし
いまは
一緒にいると
ホントに楽しいひとに
なっている。
そういうあなたを受け入れたくれた人が
貴女の周りにいて
貴女自身もどんどん
自分のことが楽しく
好きになって
さらに自分の成りたい人間へと
近づいていく。
もっと嬉しいことは
親に期待されていたとき
つまり人生の前半で身につけたことや
獲得したことは
消えないでいますから
あんなに自分をくるしめたことが
逆転して
自分の感性や技術や教養として
財産になってくる。
事実私自信も
幼児期からやらされた音楽の世界、もー
ピアノを弾かなくなって20数年たちますが
それでも私の中には
音楽の感覚や感性や教養が
まだ、生きていて
私の財産になっています。
もう一度
初めから
天才なんかいない
初めから
特別な人間なんか
いない!
この葡萄は酸っぱいにちがいない・・・んなこタァーないよ!
酸っぱくなんかないよ、
美味しいよ
でもそれも
自分しだいさ!
ほんとうは人間はみな
それぞれが特別な”自分”という人間です。
そのことに
ちゃーんと気づいているか
いないかで
人生は大きく変ってきます。
誰もが自分という人間の
魅力に気づいて
お互いの楽器で
大いなるシンフォニーを
奏でられると
いいね
きっと
楽しいよ!
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