わたしのリーダー論! |
サジェスチョンを頂き
わたし自身が考えるリーダー論をすこし考えてみたら
面白いなーと思った。
私自身はリーダーになったこともなく
自分はリーダーの資質など
全く持ち合わせておらず
確かに若き日にカウンセリング理論における
「リーダースキル」を勉強したが
ほとんど興味がなく
すっかり忘れてしまった。
しかし見じかにいる何人かのリーダー達を
観察し、多分失敗するであろうと思った人は
やはり失敗し
失敗というだけでなく
”敗北”してゆく道すがらを眺めたこともある。
むしろ失敗、敗北の人のほうが
圧倒的に多く、
時代の推移を掴めなかったり
人心を把握できなかったり
リーダーという者が
いかに難しく
また人間としての格闘
葛藤を乗り越えられる
強靭な神経と
胆力を持ち合わせていないと
疲労困憊の中
敗北してゆくだろうと
思う。
そこで
大変興味深いことでもあるし
まあ
思うにまかせながら
シリーズとして
つらつらと
書いてみることに
しました。
リーダー論を書こうと思いついたとき
ふっと頭に浮かんだのが
「宮澤賢治」で、
彼は詩人であり、科学者であり
そして思想家でありまた、
その地学の知識から
農民を貧困から救いだそうとした
リーダーもどきでもあったが、
結局最後
彼はリーダーとしてのスキルに欠けていため
救い出そうとした農民によって
引きずりおろされて
敗北していった。
なぜかというと
彼はあまりにも人間を美化し
現実のすざまじい人間の抗争に対して
おそろしく無防備で
無策であった。
つまり現実的な戦略も戦術も
持ち合わせていなかった。
リーダーとして彼がイメージできたのは
人々のため殉死するリーダーで
自分の身を投げだすという
最もリーダーとしては
してはならないことを
してしまったと
私は思います。
つまりリーダーたる人間は
”人格者”をめざしては
いけない。
”いい人”でも
ダメですね。
日本人は何につけても
感情のレベルでとらえてしまいますから
どうしても
リーダーイコール
人格の優れた人
徳のある人を
もとめてしまいますが、
そこには日本人独特の
民衆の中に潜む依存と甘えがあり
敗北するリーダーのほとんどは
この共依存のなかで
どんどん消費され
身をしゃぶられて
消耗していきます。
日本の現代の政治構造は
この共依存構造の産物いがいの
何物でもないと
私はおもいますよ。
リーダーの条件はと
聞かれたら
わたしとしては
まず
〇「自我の汚れを取れる人間」
自我の汚れ
これはどんな人間にも
自我の汚れがありますが、
その自我の汚れを洗ってから
判断や決断をしない限り
どうしてもその汚れが
影を落としてしまします。
つまり、次々と起きてくる問題に対して
自分の感情や思いを突き放して
問題の骨格と本質に
短時間で向き合えるような
自分の意識の改革ができるひと。
そのためには
常に自分を取り込もうとする
自分の個人的(自我の)感情や欲望を
客観的に洗い出して心的処理をするという
大変な自己葛藤を
乗り越えなくては
なりませんね。
二番目は
〇「権力の功罪を熟知して、その上で
権力を使いこなせる人間」
難しいですねえーこれは。
そもそも
リーダーになりたがる人間も
人の上に立ちたがる人間も
その深層心理の根底には
強烈なコンプレックスや
愛情の欠落があり
以前に書きましたように
不特定多数の人間から
愛されたい
支持をされたいという欲望が
潜んでいいますから
その最終目的は
自分の自我がいかに満たされるかという事であり
最終的には集団の利害と対立していきますし
またそれが一瞬の山で満たされたとしても
実体のない愛情と支持ですから
当然自滅
或いは自己崩壊していきます。
つまりこういう人間たちの深層心理は
エゴに汚れていますから
リーダーになるために彼ら自身が
懸命に努力し、一瞬は頂点を征したとしても
それはいわゆる”リーダーもどき”で
真のリーダーにはなれません。
そうではなく
その集団の底辺から出発し
集団の持つ問題性を熟知したうえで
リーダーシップを発揮できる人間。
その集団の問題性を熟知していますから
常に意識の改革にこころみなお
その集団の文化を育成しながら
その集団の最終目的が
その集団の成員の自律と
自己をいかに生かす場となることを
保障していくことが
できる人間。
成員一人一人が
自分の目的を獲得していくことが
同時にその集団のダイナミズムに
つながることを
知っている。
そのためには
リーダー自身が常に依存と甘えを
検証し
自分の自我の汚れと向きあい
それ洗いながしながらも
しっかりとした堅牢な自分の
骨格を打ち立てていくこと。
しかしこの堅牢な自分もそこに
固執する自己防衛の自分ではなく
最終的には
後者に乗り越えられていくことを
願望したものでなければ
なりません。
つまり
自分自身を生かす道が
同時に他者を生かす道であることを
120%も承知していること。
故に
自分を全肯定しつつ
全力を投げ出して
リーダーとしての
権力を自信をもって
行使する。
それは時に
冷徹な強権でもあり
それが広く理解されないことも
重々承知の上で
自信と確信をもって
権力を
行使する。
今日はこれから来客があるので
これまでにしますが、
宮澤賢治の失敗の一つは
人間は弱い人間
自分達が抗しやすい人間
いい人間
そして自分と同等かあるいは
少ししか優れていない・・・と見定めた人間に対しては
残念ながら
足を引っ張り
潰そうとします。
リーダーになるには
このことを熟知したうえで
圧倒的に
優れている
圧倒的に自分達が
叶わない・・・ということを
みせしめなければ
いけません。
人間は小事のことでは
小競り合いを繰り返します。
小競り合いをしている時だけは
自分を諦めないですむ。
しかし
自分がかなわないと
自覚したときから、
はじめて
相手を尊重し
耳を傾けることができます。
小競り合いの本質は
その集団の行く末や
目的の達成より
自分を認知してほしい
自分の存在を知らしめたいという
人間の潜在意識にある
本能的な欲望です。
このレベルで
人間は常に小競り合いをしては
お互いをつぶしあいます。
リーダーとなった人は
まずこのレベルに
自分がいないことを
指し示す必要があります。
それが権力の行使です。
権力の行使は
集団すべての成員に対して
公正でなくてはならない。
そのことは
リーダーが
圧倒的に成員の感情的レベル
心的欲望、心的欲求のレベルを
超越してこそ
その集団を生かし
その集団の目的を
成就させるために
大胆に
かつ
自信にあふれて
権力の威力を
行使する。
そのためには
リーダーの中に
不安や
迷いや
ブレがないこと。
つまり
自分のエゴを捨て
自分の本質的な才能を
提供し
自分を全肯定しつつ
英断を持ってリーダーシップを
発揮する。
そのことが
時間の推移ととも
成員の自立を促し
成員が自分の才能を発揮し
集団に提供、貢献できる・・・と
浸透しはじめたとき
権力≒リーダーシップが
生き生きと
生かされるでしょう。
いずれも根気よく
焦らず
しぶとく
老獪に
待つことが
必要です。
ああ
もう
時間が
きました
また
続きを
書きます。
更にいろんなことを
書いていこうと
思います。
自分でも
お伝えしたくて
わくわくしてきました…笑い!
伝心柱マガジン・・やってます・
こちらはこのブログみたいに重たくない、カジュアルなものです
よかったら、どうぞ!