無欲になってはじめて真のリアリティーが・・・! |
読んだら、
ホントにほっとする、人間の心理のふかいことばが
書いてあり
ほっとしました。
『無欲になって、はじめて
真のリアリティーが見えてくるのだよ。』
この言葉の指すところも
ほんとうにそうであって
自分の心にこびりついた垢や思い込みを
取り除いた時初めて
人間や物事の実相、輪郭や、骨格が
見えてきます。
心に不安や防衛やそのことからくる欲が
こびりついていると
枯草が幽霊にみえ
些細なことを膨張させて深刻化したり
逆に
自分の都合に合わせて
真実を捻じ曲げたりと
まーそういうことに
振り回されてばかりで
ちっとも
ホントの事がみえないですね。
『無用な心配と余計な欲をふりすてりゃあ
けっこう道はつくもんだ。
行き詰まってもー』
これもその通りで
後生大事にいろんな余計なものを抱え込んでいるから
なかなか道が見えてこないけれど
優先順位をチャンとつけて
無用なものを捨ててしまえば
ものごとは意外とシンプルで
道や出口が見えてきます。
『「無為」とは何もしないことではなくて、
”作為”をしないということです。』
作為をしてその作為の中で
逆にがんじがらめになってしまい、
動きがとれなくなる。
そうではなく
自然の流れの中でぷかぷかと浮かびながら、
悠々と、自在に動けるためには
策を弄しないことだと
思います。
『足りることによって自分のなかに
富を見つけ始める』
『何かを他に求めないで、
いまの自分に満足するとは、
自分の内側に心を向けることです。』
自分が一番欲しいものは
自分の中にあります。
しかし人間は、それを外や他人に投影して
その、霞にのようなものばかり追い求めて
彷徨います。
ほんとうの答えはを
ご自分の潜在意識にきいてごらんなさい。
目を閉じて、リラックスし
心を鎮めて、身体と心をひとつにしながら
集中を深めながら
ご自分に聴いてみてください。
ホントに自分が欲しいものはなんだろう・・と。
『人間の潜在能力は、地下水のように、
見えないけれどもおおきな力です。
ポンプで無理に汲み上げると枯れてしまいます。
けれども、それを自然に任せると、
限りなく出てくる。
頭を使ったって潜在能力は出てこない。
自分の在るがままでいる時に
自分から出てくるんです。』
そのとおりでね、
わたしもそうやって今
このブログを書いてます。
『清々しい静けさ、それだけがこの世の狂いを
直すんだ』
『ほんとうに現在にの私たちは、
内なる命以外の価値に
びっしり取り囲まれていて、
内なる命は見えにくくなっています。
そのひとつは過剰な情報に刺激されて
自分の内側を見る機会がないことです。
それに慣れた日常生活だからです。』
山のような過剰な情報に囲まれて
矢継ぎばやに襲ってくる
消費と商品化した文化の中で
自分のほっとする時間を
確保していないと
私たちはどんどん消費され
淀んでいきます。
流されない自分の確保です。
『意識と無意識』
『いつも頭の意識で行動するだけの人は
深いエナジーを十分に汲みだせない。
タオの働きを信じて
余計なことをしない人は
いつしか大きなパワーに乗って
自分の生きる意味につながる。
その人の
本当の人間感情も
こういう大きな愛から動く。』
常に変化し、命をどう燃やそうかと
人間の無意識は
働いています。
本当はね
無意識の奥のほうに
自分がどう生きたいかも
自分にとっての幸福も
みーんな知ってるはずなんだけど
つまらないことばかりに
こだわって
余計な心配ばかりして
へたへたに疲れて
生きてる。
そうじゃなくて
自分のすべてを
信頼する。
自分のすべての行為行動を
全肯定する。
そういう風に
自分を立体的に
丸ごとの大きな”玉”として
受け入れ
楽しみ
頼りにして
生きれると
ずいぶん楽になります。
この本には
煌めくような宝のことばが
たくさんあります。
大きな字で
ほんの150ページほどの
薄い本なのにね。
素敵ですね!
美味しい朝ごはんをたべよーっと!
もうひとつブログを始めました。
このブログは重いけど、そちらのブログは軽ーいです!
よかったらどうぞ!『伝心柱マガジン』
言葉を吐き散らかしてしまう。
うまく、自分はこう思う、を出せない。
声を、震わせながら
人を、非難してしまう。
今日も。
苦しくなって、さっさと言い訳して、謝って、
をしてきたから、いつのまにか私は私を損なった。
言ったら言ったでそれ以上心をいじくるのはやめよう。
hashiraさんの言葉を繰り返した。
昔から、人に嫌われることが何よりも怖かった。
人に嫌われたことを今日も全身で感じながら
「何もいわずに」いれた。
人に幻影を見てるうちは
余計なことばっかりしてしまう気がする。
とりあえず、
言葉を吐き散らかさず
普通に思いを伝えられたらなあ!
それがないとすべてが上っ面で何十年生きても一緒、不毛なだけ。やっとわかった。
哀しい、すっごく。
自分をよく見せようとしないことがなぜこんな苦しいのか。
それだけ嫌らしい奴だったってわけで。
厳しいペアレントと無邪気なFCが突出しているイビツなエニアグラムの私だけど
少しずつ少しずつ、やっていこうと思います。
でも、もう少しずつ変って行こう・・・そこから第一歩がはじまります。