北海道からかえってきました。 |

一日目は雨曇りの天気でしたが、
景色は雄大でした!
北海道からかえってきました。
帯広空港を一歩出た途端に
雄大な北海道の景色が広がり
たちまち心を奪われました。
体中が伸びをして
セイセイするような解放感あり
ずーっと車外に広がる草原や畑に
めを奪われ続けました。
やはり人間は
いきもので自然のいち部分で、
自動的に自然にいやされるプログラムを
内蔵しているんだなーと
思いました。
所沢で小さく煮詰まっていたものが
いっぺんに解放されて
からだの外に出ていきました。
旅の中身の事は「伝心柱、マガジン」に書くとして、
この5年間ブログのテーマにしてきた
人間の内面、深層心理については
ほぼ書きつくした感があります。
その間、私自身も常に成長する契機に
出遭い続け
何度も脱皮し、
殻を脱ぎ続けたと思います。
脱いでも脱いでも行き着くことのできない世界を
ずーっと
彷徨してきたけれど
やっとその終着が見えてきたように
思います。
そして今思うことは
人間は、なんてそれぞれの思い込みの世界を
生きては、苦しんでいるのだろうと
いうことです。
自分が思い込んでしまった世界と外界が衝突しながら
脳が常に自分を編集しなおし
身体はゆっくりと適応していく。
この繰り返しの中で
人々は悩み、苦しみます。
しかし
ホントはね、
苦しむ必要なんかはないんですね。
コンプレックスだって
自己嫌悪の感情だって
自分と他者とを対抗させる感情だって
みーんな思い込まされたものに
過ぎないのです。
なのに
人はそれに振り回されて
苦しむ。
自分を脅す不安や怯えも
その人間の観念が作り出している
幻想、妄想です。
自分の能力を規制し
抑圧しブレーキをかけているのも
自分の思い込んだ観念です。
そういう思い込みの観念が
また他者との間で
お互いを規制し、抑圧して
相互に依存とブレーキをかける。
そういう中にずーっと
私たちは気づかずに
生きてきただけです。
生きるということは
ほんらいは
全きの
自由なんですね。
だから嘆く前に
あきらめる前に
自分の思い込みの観念を
解き放つことだと
思いますよ・・・。
若いころは他人と自分の違いに
怯えたけれど
今、他人は
自分とは全く違う未知の世界を生きている、
自分には思いもかけないような
異能のひとです。
人はそれぞれ個絶した世界を生きている
だからこそ
オモシロいし
思いもかけないことがおきるし
そして
その衝突や交叉や交流が
また自分に新鮮な刺激を与える。
だから
自分を粗末に扱わないこと。
自分のなかには
自分が採取した宝物が
つまっていること。
勿論他者の中にも
詰まってます!
そのことに
いっこくもはやく気がついて
自分を大切にして
ほしいと
思います。
雄大な山も
草原も
荒野も
平野も
そして海も川も空もすべて
自律のリズムの中を
自然に
生きており
人間だけが
勘違いをしている。
人間だけが征服欲に
つき動かされ
所有しようと
ずる。
つまりねえー
どんなふうに
自分が生きようと
自分の自律のリズムに叶っていれば
それはそれでいいんです。
命は生きようとするにちがいないから
自分のいきかたがそうなら
それでいいんですよ。
人間だけが
なるべく自分が損をしないように
リスクをおわないように
自分の自律のリズムを捻じ曲げても
得をしようと
はかる。
可笑しいね・・・・

そんな欲も得もさっさと捨てて
自分のリズムに乗っかって
生きることだなーと
つくづく思いました。


よかったらどうぞ!

時折自分自身をでっかい景色の中に身をおくってことはとても有意義だと思っています。富士山のふもとまで丸ごと見えるような景色とか、利根川の河原で関東平野を感じつつはるか西の遠景に富士山が見えるとか木曾の御嶽山のような独立峰を眺めるとかしているとさまざまなことがらを感じさせてくれますね。