島田紳助さんの成功禁止令、続き! |
おもしろいねえー!
ひとりの人の人生を通して見えてくるのは
カウンセリング理論の一つである
「人生脚本」で
その根源はやはり
その人の深層心理に記述されていることから
くるなあー・・・と
思います。
昨日書いた成功禁止令も
それがちゃーんとお掃除されていたら
たぶん彼はその才能をもっと違う形で
生かせたと思いますよ。
成功を望む人の深層には
”成功したい”という強い願望があります。
願望がある…という事は
成功した体験がない、或いは
成功していない・・という自分の
原型がありますから
それはある意味
未知への挑戦であり、
何を獲得することが
成功であるか・・・を
ちゃんと見極めていないと
成功するということへ向かって
限りなく上昇していこうと
エネルギーが燃焼されます。
自分は成功することで
何を手に入れたいのか
が
しっかりと見極められていないと
こういう事態になってしまいます。
そして
それを見極めるのは
絶えず
自分の内面を洞察する力や
考察する力が
必要です。
自分の自我の汚れはどうしても、
貪欲になったり
不安の裏返しで
やりすぎたり
またかぎりない上昇は
最後は墜落になりかねません。
紳助さんが言ってた
武田鉄也さんの言葉の
「頂上までいったら
次は上手に下山することが大切」と
その通りですね。
しかし、
成功に目がくらんでいると
どこが頂上なのかが
分からなくなる。
ひとつ非常に気になるのが、
紳助さんが、自分の周りに、自分の分身のような人間を
たくさん配置していること。
それは
彼の掌でコントロール可能な人間ばかりで
”彼を中心”としたに同心円的に在ること。
今回の事件に登場している
Aなる人物も、やくざのBなる人物も
その、配置された人間のひとりだと
おもいますよ!
それは何を意味するのでしょう?
そして
彼は
”ひとり”ではないんですね。
さー
何故でしょう・・・?
成功するとは
自律することであり
ひとりでしっかり山を登り切り
足を踏みしめて
頂上に立つことです。
頂上に立つと
下界の全景が見えてきます。
そして
天の空はさらに広く
大きく
遠く
みえてきます。
そして
そのはざまに立つ
自分は
ひとりです。
ちいさな人間です。
誰かにたすけてもらって登った山は
自分の限界を超えた山です。
自分が楽々と上れた山は
自分と同じか
其れよりも下の山です。
いちばんいいのは
自分よりちょっと難しい山
ちょっとばかり
難儀をしないといけない山。
でも
難し山
厳しい山に挑戦するのも
いいですよ!
大いにやってください!
でも
それも
ひとり(自力)で登らないとねえー!
弱い人間ほど
自分の周りに集団や
派閥や
支持者や
ファンを造ります。
その関係の中で
言い方を変えれば
それを担保にして
自分を成功させようとします。
あまいですねえー!
人間の関係など
幻想に過ぎませんから・・・・。
自分が人生を通して
到達したい人間像の輪郭を
しっかりイメージで結ぶことだと思います。
たかだか100年未満しかいきれない
私たちの命、
その限られたエネルギーを
有効に
大切に使うって到達したい人間のイメージ
です。
それは様々に人によって異なるでしょう。だって
それぞれの人生脚本が違うのですから。
ひとりになった紳助さんは
きっと
今までの自分を振り返り
検証し
考える時間がたくさんできるでしょうから、
それらが
彼の人生の再セットになると
いいですねー。
洪水のように使った自分の才能を
今までのように
自分の
自己防衛ではなく
おだやかに
体を通り抜け
精神を浄化していく
ほんとうに
自分を満たす真水になって
いくと
いいですね。
釧路湿原に咲いていた花です。
素敵ですねー!
「伝心マガジン」もやってます。
北海道のガーデン巡りです。少し吠えてます・・・笑!
でも、自分は人を愛することが苦手だったので、自分を立派にみせることで、皆が離れないようにしていた感じがします。
逆に自分を頼ろうとしない(思い通りにならない)人は、自分を認めないと考えてしまい、徹底的に嫌ったのでしょう。
少し織田信長を連想してしまいます。