昨日の続き・・・顔を見破る! |
政治家の中で一人だけ”救い”が見える人がいる。
それは民主の岡田幹事長で
なぜ”救い”かというと
私は彼の政策や中身をよく知っている訳ではないが
この間彼だけが
目の下にくまを造り
ブツブツが顔にでき
もうほんとうに
心身ともに疲れ果てたことが
如意実にあらわれていたからです。
正直な顔だなーと思います。
この人が有能で頭が切れる政治家かどうかは
別として
おそらく、自分の利害優先に
顔を鎧化させて
偽悪に動くことは
ないだろうと思います。
昨日書いたように
顔はその人間の内を
如実に表しますから
それをちゃんと読み取る訓練をすると
かなりその人間が見えてきます。
そういう風に意識的に読み取ろうとしなくても
たいがいの人間は相手の顔色を見ながら
ほぼ無意識に読み取りながらいきてますから
そういう自分のデーターはすでに
脳のなかに蓄積されているはずです。
しかしなぜ
そのデーターを使おうとしない…かというと
実は
ほんとうのことを知るのが怖いからです。
例えば自分がつきあっている
或いは周りにいる人間は
本当は
自分にとって都合のいい人間ではないように見える。
もしかしたら相手は
自分を好きでもなんでもなく
或いは
もしかしたら
自分にとって不都合がおきるかもしれない
というようなことを無意識でよみとっいても
それが、明晰な認識になることを
おそれる。
明確になった場合は
自分が傷ついたり
リスクを負わなければならないかもしれない・・・から
それを
封印して
上っ面の意識で相手をみてしまう。
自分を盲目化して
しまうんですね。
政治家にしても
彼らの顔にチャ―ンとその本質が出ているのに
うかうか・・・とうわっつらの弁論や
擬装に
何度もこの国の民は
騙され続けているのだろう・・と
思います。
そして
いざ政権をとり
総理になったら
ボロがでるわでるわ・・・でねー!
それを叩きます。
そんなこと始めからわかってたんじゃないの?って
思いますけど。
つまり人間は、その自我が弱く
自律していないと
相手に必要以上の幻想をもち
それに
うかうかと依存して
生きようと
するのです。
相手が自分とたかだか一寸くらい違わず
自分と同じくらいの知恵やエネルギーしか持っておらず
それに依存しても
幻想を持っても
所詮、それは期待外れになる。
自分のことはすべて
すべて
自分で
まかなうしかないんだと
いう自覚があれば
逆に相手がどうであろうと
それに影響されることもないです。
そういう風になってくると
こんどは
物事がよーく見極められるように
なります。
まあ
本質というか
真実を
受け止められるようになると
いうことですかねー!
真実は厳しいですから
そういう真実
そういう現実を
まっすぐ受け入れらる覚悟ができると
自分の中の脳の機能(能力)として
相手や
他者の顔の中に或るほんとうのことを
見極められるようになると
思います。
よく私に会いに来た人が
自分の身ぐるみをはがされるのではないかと
おそるおそる来てくださるのですが、
わたしに見えるその人の真実は
その人が気づいていない
そのひとの素敵さのほうが
山ほどあります。
つまり人間は
素敵なほうが断然多くて
闇のほうが
小さいのに
闇のほうが
瞬間的な
殺傷力が強いので
自分の中のそれも
他人の中に投影されて見えるそれに対しても
過大に評価してしまうのですね。
だから警戒し
そしてそれが明らかになると
自分が困るので
幻想を課して
ぼかしてしまいます。
自分に否定的な人は
”否定”が
必要以上にそのひとの精神をのっとり
現実を
ほんとうのことより
肥大化した”否定”で
自分も
他者も見てしまうのです。
圧倒的に自分を信頼して、
自分の目で
できるだけほんとうのことを
しっかり見て
受けとめよう・・・と
覚悟や
決心ができてくると
自分のなかにすでにある
データーが
生き生きと
活用できると
思いますよ!

夏を乗り切って咲いてます!


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