なぜ人間は豚を食べても豚にならないか・・・? |
その中で”宇宙”という言葉を使いたいなーと
思い浮かんだ。
その時イヤ、この言葉はあまりに安易に使われすぎていて
はたして使うべきかどうなのか・・・と思いながら、
ちょっとムカついてきた。
本来私は、そうとうの怒り人間です。
若いときは瞬間湯沸かし器とも言われました。
なぜムカついたかというと
人間の不明な部分をすぐ神秘化して
宇宙・・・からの・・・と言う人たちが
まあ―
私は嫌なんだね・・。
大学時代の友人にもそういうのがいて
あうとやたら・・・貴女の前世はとか
守護霊はとか極めつけは
宇宙からの交信によると・・・と
もうーうざい!
本人は私を褒めようとか
励まそうとかしているつもりなのかもしれないが、
そういうことを口走る人間の深層心理には
”自分を特別な人間”と思われたいという願望があること、
裏返せば、
その人間は深層心理では
自分は”特別な人間”ではないというこを知っているから
より反動がついて、そうなる。
宇宙なんてそんなに簡単に口にできることじゃない。
小川洋子さんの
「科学の扉をノックする」という文庫本によると
まだ解明は3パーセントくらいにすぎず
でもその3パーセントだって
わたしにすりゃ
エライ難解で難しい世界で、
人間の努力と叡智もたいしたものだと
思うし、そういうものだからこそ
私は喰いつくけど・・・・・・・笑
わたしも
若いころには
悩んで苦しんで
キリスト教の教会に走りこみ
洗礼を受けた。
それはそれで
ほんとうに救われたと思います。そして
聖書の世界も素晴らしく
生きるための手引書として
なんど導かれたか、
しれません。
いまでも聖書は私の愛する本です。
しかし
聖書同様
仏教の世界も
儒教、道教(タオ)の世界も
素晴らしいなーと
思います。
善く知らない”イスラム”の世界だって
衆生救済のためにきっと素敵な言葉が
書いてあるとおもうよ!
しかし今はそういう神秘的な人格神は
ありえないと思っている。
それより
宇宙の果てしない神秘、しかし
それは
はてしない合理性に基づいた
神秘であり
そのスケールの大きさに
圧倒される。
人間というより
生物の遺伝子には
”生きるための情報”と
”死ぬための情報”とがペアで入っており
それはずーっと生命誕生以来の遺伝子情報記述に基づいて
人間の理解をはるかに超えて
私たちの”生きること”と
”死ぬこと”のために
働いてくれてるんだね!
また、人間が豚をたべて豚の遺伝情報が
からだに入ってもなぜ
私たちは豚にならないか・・・・!!って?
それはタンパク質を造るアミノ酸が
すべての生物に共通だからという事らしいです。
アミノ酸はその生物の遺伝情報に基づいて
人間なら人間
ぶたなら豚のたんぱく質を作り分けてくれる…つていう訳です
しかも
すごい威力の消化酵素が体の中に入ったタンパク質を
あっという間分解し、アミノ酸になるらしい!
そしてタンパク質の情報を解読する
解読表は全生物共通で
大腸菌から人間まで
おなじ解読表をつかって分解する。
つまりすべての生物が
遺伝子でつながっいるというわけだ!
昨日ちょっと”魂”と呼ばれる範疇にある
心象現象についても書いたけど
魂だって物質だよ・・・と
言いきらないにしても
人間の神経システムが
どんな生命も達したことのない複雑さの度合いに達したときに
生まれてきた思考、感情、意志という作用で
それをどんどん手繰っていくと
それはニューロンとシナップスという電気現象で
さらに原子レベルまでいく・・・・・?
らしいです。
私自身、ずーっと自分が生きるとは・・・と
考え続け、あがき求め続けてきた。
そしてあるときから
自分が生きているということに
神秘的な、わけのわからない価値を付加するのを
やめました。
イヤーこの世の中で価値があろうと
無かろうと
いきちょりゃーいい!
ただ生きてるだけで
いいんです。
つまり
自分の中にずーっと古代から書きこまれた
遺伝情報に基づいて
今の私があるのでありそれは
確実にもっと複雑な世界をめざして
進んでいくでしょう。
生きて死ぬという私のちいさな人生のスパンが
気の遠くなるような
宇宙のスパンのなかの通過点として存在しただけで
十分に
意味があるわけですね。
うまく言えないけど!
この世の中は
みんな人間の幻想や仮想や願望が
”価値”らしいものを
創り出し
序列しているに過ぎないなあー・・・とまあ
極端ですが
そう考えるようになったのです!
深層心理でいえば
人間に起きてくる困ったこと
例えば葛藤にしてもトラブルにしても
鬱にしても
すべてが必要に応じで生じてくる現象で
何一つ無駄なものはない。
そこを超えていくことが
もっと複雑な水準へと自分を導くことであり
それは思いもかけない創発や
生命の輝き(ベルグソン)を産むことも
多々ある。
ヘーゲルの弁証法・止揚ということは
その通りで
私たちは目に見えない何かむかっては
悩み苦しみ、しかし
それを超えたときはじめて
自分が獲得したいもの
本当は
ここに行きたかったんだという
もっと水準の高い目的地が
見えてくる。
それは
神とか
霊とか
神秘とかという人間が作り出したものではなく
生きもの本来の働きとして
私たちの
中に
もう
内蔵されている!
人間の意識が作り出したものは
半分は人間
或いは自分を縛るものにも
なるよ!
父が亡くなったときも
母がなくなった時も
火葬場から立ち上る煙にきっと
肉体体から分解されて
意識も融けて
元素から
原子になって
空にかえってくなーと
思い浮かべた。
ただ生きてるだけ
自分の存在に
なーんも価値をつけないということは
今の私にとって虚無でも空疎でも
なんでもない!
むしろ
思い込んだ想念や
思いこまされた不安や
憎しみの感情なんてのものから解放されて
つまり自我の執着から
解放されるって
ことなんだね!
淡々と
でも
おもろく
たのしく
ただ生きるだけでも
うれしい!
そういう
自分に
なりたいと
思います!

大船渡被災地の空!


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● 最近、書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないとにいたしました。
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