なりたい自分になる・・・とは・・・? |
人間嫌い病がやっと峠を越えて
治まってきた・・・・やれやれ・・・笑!
自分の中にある人間認識のひとつの
人間データーとして
それがあるんですね。
そしてそれに関連して
しきりに思い出したのが
幼い頃、
当時私たち一家は父の会社の社宅に
住んでいたのだが
ある夜、突然、
父親の会社の同僚二人が
酒によって家に怒鳴りこんできたこと。
その時確か父が片手に木刀をもって
応対したこと。
その時の恐怖が今も頭に焼きつている。
それはいつもいいおじさんなのに
酒を飲むと豹変して、
目が据わった、ものすごい形相になって
襲ってくる・・・という人間観で
しかし
朝になると人が変わったように
気のいいおじさんになって
父と一緒に会社へ出かけていった姿も
覚えている。
こういう日常の体験が
日ごろは深層に潜んでいて
自分がなにか消耗して、
気持ちが鬱になりかけたときに
すーっとマイナスの人間に対する
シュミレーションを
してしまうのですね。
たぶん体もつかえれきっていたらしく
家事をやる気も
料理をやる気も
なかなかエンジンがかからなく、
暇があると、寝たくなるので、
まあ知らず知らずうちに
疲れがたまったのだと
思います。
それでも
自分でこの”人間嫌い”を
なんとかしたいとずーっと頭の片隅では
思い続けていたためか
昨日
ふっと
人間とは
そういう負の部分を抱えていることが
当たりまえなんだから
それはそれでいい・・・と
頭ではなく、
胸がすっとしたからたぶん
これで治まっていくと
思います。
そういう人間の負の部分を
受け入れられたのかなーと
思いますから、
また
元気で暢気な
自分に戻るでしょう。
昨日も書きましたが、
どうも
手軽に自分の心理を変えられるような風潮が
あるらしく
それを商業化しているところもたくさんあると
聞いた。
本屋に行っても
・なりたい自分になれる…というような類の本が
ずらりと並んでおり
又、どうしたら頭がよくなるかというような
ハウツー本もたくさん売られている。
でも
そんなもの
安直には
手に入らないです。
そして
なりたい自分とは
どういう自分なんですかね・・・?
以前にも
書きましたが、
人間はいつも
そのひとに一番ふさわしいとこで生きてます。
そのふさわしいというのは
例えば
その人が
大金持ちになりたいと
思っていても
その人がお金を得るために
なりふりかまわず
一切の事を犠牲にしても
大金持ちになることを
一心不乱に
追求しているなら
きっと大金持ちになるでしょうけど、
大金持ちになりたいけど
無意識のところで
何かを犠牲にするのは嫌だとか
そのために気の遠くなるような
努力や追求をするのも嫌だ
金だけしか目にはいらない
嫌な人間に見られたくない
と思っているひという人は
いくら望んでも大金持ちには
なれません。
大金持にあこがれて
いるが
しかし金儲けにばかりに
はしらない
まあバランスがとれた
ただの人・・・という位置に
ちゃんといます。
おとぎ話でも
大金持ちになりたい女が
魔法使いから願いを三つ
叶えてやろうといわれて
ついソーセージが食べたいと思うと
ソーセージが出てきて
その女は
あゝお金持ちになりたいと思ったのに
ソーセージが出てきたのを
忌々しく思い
そのソーセージなんか
亭主の鼻についてしまえと
ついおもってしまうと
ソーセージが亭主の鼻についてしまい、
離れなくなる。
とうとう仕方がないので
三番目の願いとして、
亭主の鼻からソーセージが離れることを
叶えてもらう。
つまり人間は
その無意識のところにある願いを
ちゃーんと
叶えている・・・ということです。
だからどういう人間になりたいかは
もうすでに今の自分がそうで
そこからさらに発展させていくには
今の自分を総ざらい洗いこんで、
心の中をチャ―ンと整理して
その具体的なイメージを浮かべ
その人間になるためには
何をしたらいいか、
逆に何を捨てて何を拾うとか
なにをどのように努力すべきかが
無意識レベル前に定着するように
日々努力したらいいんじゃないでしょうかねー!
つまり一番の方法は
乖離している意識と無意識の距離を
縮めていくこと。
自我の一致と言いまして
自分心の添った正直な言動を
心がけることです。
昨日も書きましたが
心の中を変えるというか
ある目的を果たすためには
絶え間ない努力が必要です。
脳のシナップスは繋がっても
すぐ外れてしまい。
それがつながるまでには
何回も同じことを繰り返す必要が
あるそうです。
しかしいったん繋がってしまうとそれは
なかなかもとには戻りませんから
例えば習得した技術などはその人の
財産になっていきますし、
思考の回路などもより複雑な思考回路が
使えるようにんるらしいから
やはりひびの地道な努力こそ
王道でしょう。
しかし脳には盲点があり
いつも同じ思考回路ばかり使っていると
そこだけが強化されていきますから
どうしても
変形になっていきます。
それが自我の感情の
怯えや怖れと
符牒してくると
自分が信じたこと(心理依存した状態)以外は
排除してしまう・・・という盲信になりますかから
絶えず自分を
客観的に洗う必要がありますね。
それが
至難の業ほどに
難しいのです。
その至難の業に挑戦するには
私たちはできるだけ
自分と違和なもの
或いは
理解できないこと
また
自分では思いもよらないようなことに対して
聞く耳
見る勇気
そして近寄って
或いは
交流する
行動力を
持っている必要が
あるのです。
自分を客観的に
見つめるには、
自分がいつも陥ってしまうことや
自分が苦手にしてることや
自分が嫌っていることの中に
ヒントがあります。
あれっ・・・これって
気づいていなかったけど
わたし無意識で同じことばかり
やっていたんじゃない・・とか
すごく嫌いだけど
それって
わたしの裏返しじゃない・・・とかですね。
ものごとにはチャ―ンとつじつまがあり
そして意識と無意識は
反転していますし
また
意識と無意識は
お互いを補完しています。
あゝだんだん頭が朦朧としてきました。
今日はこのくらいに
します。

● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
『伝心柱マガジン』も書いちょります。
良かったらどうぞ!