アンデルセンの童話より…親指姫・・2 |
人間の一生も物語であり、
そしてもしかしたら
社会も時代も
物語の中を生きているのかもしれないな―と
思いました。
そして今回の原発事故の事を考えると
やはり私たちはなにか
思い違いをして、取りかえしのつかない
終末にむかって、
物語をすすめているような気がして
なりません。
今私達に必要なことは
物語の中の強欲な人間が滅びていくように
私達のなかにある
欲望を考え直し
賢さを取り戻さねばならないのかも
しれませんねえー!
さて今日は”親指姫”のお話からです。
”親指姫”は、
アンデルセンの30歳の時の
クリスマスに合わせて
書かれました。
どうしても子供が欲しい女の人が
魔法使いにもらった大麦を撒き
そしてその花のなかから
親指姫が出てきます。
可愛らしく、歌も上手で
スープ皿の中では花びらの船に乗り
遊びます。そして
クルミのベッドに寝ている時に
ヒキガエルに
さらわれてしまいます。
ヒキガエルは自分の息子の
お嫁さんにしようとし、
彼女を睡蓮の葉の上に残し
泥の下に新婚の部屋を造っていますが、
そのスキに
親指姫に同情した魚たちが、
睡蓮の茎を噛み切って
にがしてやりま。
そして川の流れにのり
流れていくのですが
今度はコガネムシに掴まれ
さらわれて行きます。
しかし
コガネムシからすると
脚が二本しかないし
触覚もない親指姫は醜いと
さんざんこき下ろされて
野原に
置き去りにされてしまいます。
親指姫はさまよいながら
冬がきてしまい、
寒さのなかで、切株の下にある
野ネズミの家へと物乞いにゆき、
お婆さんのネズミに助けられます。
しかし野ネズミのお婆さんは
ご近所の金持ちのモグラと姫を
結婚させようとはかります。
モグラに気に入られた姫は
野ネズミの家とモグラの家を結ぶ地下道で
死にかかっているツバメにであいます。
もう瀕死の状態のツバメのために
毛布を掛けたり、お水を運んで飲ませたりと
冬のあいだず―ッと面倒をみます。
やがて春が来て
ツバメは回復してその地下道から
飛んで行こうとし、
その時
親指姫を一緒にいこうと
誘うのですが、
姫は親切にしてくれた野ネズミの事を思い
思いとどまります。
しかし婚礼の準備が進むにつれ
モグラとなんか結婚したくない姫のこころは
悲しみに沈んでいくのですが、
秋がきて、いよいよ婚礼の日が来たとき
ふたたびツバメがやってきて、もういちど、
一緒に温かい国へいこうと
誘います。
今度は即座に「いくわ、一緒につれていって!」と
ツバメの背中に乗り込み
これまで見たこともない国へと
生きます。
そこで
花の守護精の王様と結婚して
めでたし、メデタシとなるのです・・・が。
昨日もかきましたように
イニシャル作品ともいうべき
「火打ち箱」の姫の登場から
一転して
アンデルセンの深層心理のなかのアニマ(女性性)が
小さい、未熟な女の子という形で
生まれたのだと
私は思います。
そしてこの女の子(親指姫)は
心根はやさしいのですが、
意志というものがありません。
すべてが受け身です。
さらわれて、流されて、捨てられて
われて、そして自分の結婚すら
決められてしまおうとする。
しかも
結末はツバメが運んできてくれた花園で
なーんもしてないのに
可愛いというだけで
王と結婚できちゃう・・・・???
いったいアンデルセンはなにを
いいたかったの・・・?って
思います。
きっとまだ物語に対する構想が
出来ておらず、
文才だけで
書いちゃった・・・というかんじですかねー!
しかしさすがに
登場してくるシャドウやトリックスターたちは
とてもよく描けています。
最初のヒキガエル(グレートマザー))
茎を噛み切る魚(トリックスター)そして
意地悪で下品なコガネムシ(シャドウ)
親切な野ネズミのお婆さん(グレートマザー))
モグラ(アンデルセンの男性性のシャドウ)
そして
ツバメ(アンデルセンの男性性・・・老賢人)
などは
とてもよく描かれていますよ。
特にヒキガエルの母親と
野ネズミのお婆さんなどを見ると
アンデルセンのなかにある女性性の
存在の大きさと
強さを感じます。
おそらくこの女性たちがいつも
アンデルセンに知恵を出し
勇気づけ、
彼を守ってきたのだとおもいます。
だから
彼が童話を書こうと思いついたとき
おそらく、
自分のなか在る原型たちの塊、
なにかわからないけれど
まだまだ不明瞭だけれど
とりあえず
そこから行こう・・・きっと
なにかがあるだろう・・・という
確信が生まれたのではないかと
思います。
それはアンデルセンのなかでは
混沌としたカオス状態ではあったが、しかし
そこにボツボツとあの
海地獄の泡のように浮き出る
まだ、方向性をもっていない
原始的なエネルギーを
直感していたと
私は思います。
だから
単純な
勧善懲悪とか
ロマンチックな夢物語や
めでたし、めでたしのおとぎ話でもなく
シニカルな寓話でもない
アンデルセンの人間観を投影した
人間の原型を
昇華させていく物語の
始まりが
始まったように
私は思います。
次にあらわれるのは
「人魚姫」ですが
この人魚姫もどうしてあの結末なのだろう・・と
不思議に思いますから
考えてみましょう。
でもそのまえに
あの名作「王様のあたらしい服」(裸の王様)を
明日、ちょっと覗いてみましょう。
では、
また。
デンシンバシラさん。
雪の女王の話の意味がよく分からず、色々と探していたらこのブログにたどり着きました。
興味深く、記事をいくつか拝見させて頂いています。
特にアンデルセンの成長する女性性についての話はとてもおもしろいです。
ご自由にというお言葉に甘えコメントを書かせて頂きます。
親指姫についてですが、私は昔の女の子《もしくは、養子》の生きずらさを書いているのかな?と思っていました。
親指姫は可愛いくて優しい女の子、それしかない女の子です。お母さんに可愛がられてしかいなかった遊んでばかりの箱入り娘なのですからね。結構可哀想な子な気もします。
そんな子が周りの男性に振り回され、でも彼女には自分で生きる術も自らを守る術も賢さもなく。自分の家に帰ることもできず、それでも、どうにか自分として生きなければならない諦めを感じていました。
野ネズミのおばあさんにお世話になっているけど、ここでずっといるわけにはいかない。野ネズミのおばあさんは彼女の意見も聞かずに優良物件のモグラを勧める。
そして、お金持ちのモグラ《ツバメを見殺しにしようとしたけど、そこまで悪いモグラじゃない》が求婚してくれているなら、好きでなくとも結婚するしかない。
そんな話な気がします。人間なら、結婚する人もいるでしょう。
ツバメに関しては人に行った優しさは返ってくるよというメッセージなのかなと。
しかし、最後の王子様展開はよくわかりません。
最後の展開として
1好きでもないモグラと結婚する
2ツバメに乗せてもらい遠い国へ行く《遠い国でうまくやれるとは限らない》
3ツバメの案内で王子様と出会い結婚
このように並べてみると、結婚というのが女の子のゴールなのかなと思えます。
言葉にすると薄っぺらいですが。
それなら、モグラと結婚では、あまりに夢がないから、自分が真摯に行った善行によって幸せになるという話にしたのかなぁと思いました。
ブログ、楽しく読んでいますので
無理なくゆったり更新頑張ってくださいね^ ^