2011年 10月 10日
アンデルセンの童話より・・・「しゃんとしたすずの兵隊」 |
「しゃんとしたすずの兵隊」
この「しゃんとした」というのは
毅然としたとか
動じないとかいう意味で
アンデルセンはつけたのでしょうか・・??
確かになにがあってもこの錫でできた
片足の兵隊はいつもしゃんと屹立しています。
この兵隊は一本のスプーンをとかして
造られた25人の兵隊さんのなかの
ひとりです。
ただ一番最後に作られたため、
錫がなくなって片足しか
出来なかったのです。
でもその兵隊は
赤と青の軍服を着て
銃剣を肩から下げて
他の兵隊には負けず
しゃんと立っていました。
兵隊がいるその部屋には
紙で造られた
目を見張るようなお城があり
そのお城のドアのところには
紙でできたバレリーナーの少女が
片足で立っていました。
少女は片足ではなく
もう一方の足を高く上げているため
片足にみえるのですが、
兵隊は自分と同じように
一本足なのだと
思い込んでします。
少女はふんわりとした
上等のモスリンのスカートをはき
細いブルーのリボンを首に巻き
それを大きなピカピカ光る
スパンコールでとめてありました。
兵隊は彼女に恋をし
お嫁さんにしたいと
おもいました。
ところが兵隊は窓のそばに置かれたため
風に飛ばされて外に落ちてしまいます。
そして
いたずらっ子に拾われ
新聞紙で作った船にのせられ
側溝のなかに流されます。
下水の中を船はどんどん流され
どこへ行くともわからない、
それでも兵隊はしゃんと立って
ぴくりとも動かない。
下水はトンネルのなかに入りそこでは
ドブネズミから
「パスポートをもっているか」と
威嚇されますが
兵隊は銃剣を持つ手に力を籠めて
平然としています。
ネズミはさらに
通行税を要求して追いかけてきますが
流れがドンどん早くなっていき
おいつけません。
そしてトンネルをでとたんに
渦を巻きながら下水は水路にへと
まるで滝のように
落ちていきました。
新聞紙はぐにゃぐにゃになり
兵隊は水没しながらバレリーナの事を
想うと
歌声が聞こえてきます。
すすめ、すすめ、兵隊さん
おそれずに、運命に立ち向かって
その時ぱくりと
魚に呑み込まれてしまいます。
しかしその魚は釣りあげられ
市場で売られ、
驚いたことに
いちばん最初の家の
台所へと運ばれて、
腹を開けられた魚から
兵隊が取り上げられます。
本来ならここでめでたしめでたしの
はずなんですが、
アンデルセンは、
そうはしませんでした。
帰ってきた兵隊の前には
あの紙のお城があり
お城のドアのところには
紙のバレリーナ―がいます。
しかし不思議なことがおこります。
アンデルセンがなぜか
上記のように
不思議と記述しています。
不思議・・・とは
そこにいた少年のひとりが
すずの兵隊をつまみあげて
暖炉のなかへ放りこむのです。
そんなことをする理由はひとつもないのに。
兵隊は同じおもちゃのびっくり箱の
子鬼のしわざだろと
瞬間におもいますが、
もう熱い炎の中で
身体がとけていきます。
その時
ふいにドアが開き
そのいきおいであの
紙のバレリーナが、まるで
空気の精のように暖炉のなかへと
吹き飛ばされてきます。
そして彼女も
すずの兵隊のそばで炎に包まれ
燃えてしまいます。
次の日女中さんが暖炉の灰を
かきだしたとき
すずの兵隊は融けてちいさなハート形の
錫になっており、
そのそばにはスパンコールだけが
すすで真っ黒になって
のこっていました。
さて
このすずの兵隊こそ
私はアンデルセンの自己投影
そして彼の男性性だと思います。
アンデルセンは自分が
身分の低い下層階級の出であり
容姿も美しくない・・・という
コンプレックスを
もっていたかもしれません
片足の兵隊のように。
だから、下水道のトンネルで
ドブネズミから
パスポートをもっているか・・・という風に
出世をして上流階級のなかに
はいれたとしても
おまえはちゃんとした
資格を持っているか・・と
出自を問われるような目に
たびたびであったかもしれません。
しかし彼はそういう輩を
ドブネズミとして
軽蔑していたのかも
しれませんね。
でも何があっても
この兵隊はしゃんとして
毅然たる自分を失いません。
それはおそらくアンデルセン自身が
自分の男性性に自信と
誇り持っていたからだと
私は思います。
詳しくいうと
男性性としての
知能や能力にたいしての自信と
自己肯定が
出来ているからだと
思います。
しかし
それでも
兵隊さんは、暖炉の中に
放りこまれます。
つまり
そういう自分でありながらも
階級からは
表面的には別としても
常に疎外感を
味あわされたかもしれませんね。
人間の社会って
そういう外面的なことばかりが
はびこります。
でも
アンデルセンにひとつの核心が
あったように思います。
それは、
暖炉の炎に包まれたとき
あの人魚姫の時とおなじように
「空気の精」が
救いの手を差し伸べます。
大好きなバレリーナがすっとそばに寄り添い
二人は一緒に焼かれてしまうのですが
でも
それは姿かたちを失っても
その魂はうしなわれず
ハートの形になる。
人魚姫場合は
その残酷な結末に対して
「空気の精」の救いは
なんだか付け足しのようでしたが
今回は
「空気の精みたいに」と
さらりと一行だけが書いてあります。
そこには
まだまだ階級の壁としての
差別を受けながらも
自分の才能と努力で
人生をひらく
ひとりの人間としての
アンデルセンの自負と誇りがあり
また
従来のおきまり
いわゆるおとぎ話の
容姿が美しことが
幸せになる・・という
女性性の神話を
超えてしまおうとする
アンデルセンの童話の骨格になる
”女性性”が
あるように思います。
つまり容姿の美醜コンプレックスに
感情が翻弄されるのではなく、
そのコンプレックスを
ひとりの自立した人間として
超えてしまおうという
気概が芽生えてきているように
思います。
なぜなら
この作品のあとからは
美しいことが幸せになる・・ではなく
人間としての試練をこえていくことが
素敵なんだという
テーマに変容していっているように
思えるからです。
次回書こうと思っている
「白鳥の王子たち」
いま書くか書かないか
迷っている
「みにくいアヒルの子」などには
そういううすっぺらさなど
みじんもありませんからね。
錫の兵隊の最後の描写が
炎の中にほうりこまれて焼かれながらも
その読後に
残酷な悲劇のような胸の痛みが
少ないこと。
それよりももっと深い感慨を
感じさせることなど、
そこに
アンデルセンの人間観
つまり
最終的にはすべての人間を抽象化して
魂に帰結させていく・・という人間観が
あるように思います。
そしてその人間観は、
作品のベースに静かにながれて
あのマッチ売りの少女へと
辿りつく・・・ように
私は思います。
まだまだ封建社会のなかで
アンデルセンが
階級制を超えてすべての人間に
その人間観を布したとは
思えません。
もしかしたら
貧しく弱いひとびとだけに
その苦悩の」代償として
魂への昇華をイメージしたかも
しれませんが、
それでも
なにがあっても
おそれずに
運命にたちむかって
と歌い上げるアンデルセンのこころの奥には
人間とはすべて
姿かたちも、階級も
貧富もなく
誰もが
あの兵隊さんの
焼かれてとけたあとに残った
錫のハートのようなんだよ。
という確信が潜んでいるように
私は
思います。
つぎは
「白鳥の王子たち」
11人の王子の妹姫
エリーザのお話です。
それでは
またネ!

すずの兵隊が恋した紙のバレリーナ―!
・小峰書店発行 「アンデルセンと13の童話」より
挿絵 ジョエル・スチュワート
『伝心柱マガジン』も
やっちょります!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
この「しゃんとした」というのは
毅然としたとか
動じないとかいう意味で
アンデルセンはつけたのでしょうか・・??
確かになにがあってもこの錫でできた
片足の兵隊はいつもしゃんと屹立しています。
この兵隊は一本のスプーンをとかして
造られた25人の兵隊さんのなかの
ひとりです。
ただ一番最後に作られたため、
錫がなくなって片足しか
出来なかったのです。
でもその兵隊は
赤と青の軍服を着て
銃剣を肩から下げて
他の兵隊には負けず
しゃんと立っていました。
兵隊がいるその部屋には
紙で造られた
目を見張るようなお城があり
そのお城のドアのところには
紙でできたバレリーナーの少女が
片足で立っていました。
少女は片足ではなく
もう一方の足を高く上げているため
片足にみえるのですが、
兵隊は自分と同じように
一本足なのだと
思い込んでします。
少女はふんわりとした
上等のモスリンのスカートをはき
細いブルーのリボンを首に巻き
それを大きなピカピカ光る
スパンコールでとめてありました。
兵隊は彼女に恋をし
お嫁さんにしたいと
おもいました。
ところが兵隊は窓のそばに置かれたため
風に飛ばされて外に落ちてしまいます。
そして
いたずらっ子に拾われ
新聞紙で作った船にのせられ
側溝のなかに流されます。
下水の中を船はどんどん流され
どこへ行くともわからない、
それでも兵隊はしゃんと立って
ぴくりとも動かない。
下水はトンネルのなかに入りそこでは
ドブネズミから
「パスポートをもっているか」と
威嚇されますが
兵隊は銃剣を持つ手に力を籠めて
平然としています。
ネズミはさらに
通行税を要求して追いかけてきますが
流れがドンどん早くなっていき
おいつけません。
そしてトンネルをでとたんに
渦を巻きながら下水は水路にへと
まるで滝のように
落ちていきました。
新聞紙はぐにゃぐにゃになり
兵隊は水没しながらバレリーナの事を
想うと
歌声が聞こえてきます。
すすめ、すすめ、兵隊さん
おそれずに、運命に立ち向かって
その時ぱくりと
魚に呑み込まれてしまいます。
しかしその魚は釣りあげられ
市場で売られ、
驚いたことに
いちばん最初の家の
台所へと運ばれて、
腹を開けられた魚から
兵隊が取り上げられます。
本来ならここでめでたしめでたしの
はずなんですが、
アンデルセンは、
そうはしませんでした。
帰ってきた兵隊の前には
あの紙のお城があり
お城のドアのところには
紙のバレリーナ―がいます。
しかし不思議なことがおこります。
アンデルセンがなぜか
上記のように
不思議と記述しています。
不思議・・・とは
そこにいた少年のひとりが
すずの兵隊をつまみあげて
暖炉のなかへ放りこむのです。
そんなことをする理由はひとつもないのに。
兵隊は同じおもちゃのびっくり箱の
子鬼のしわざだろと
瞬間におもいますが、
もう熱い炎の中で
身体がとけていきます。
その時
ふいにドアが開き
そのいきおいであの
紙のバレリーナが、まるで
空気の精のように暖炉のなかへと
吹き飛ばされてきます。
そして彼女も
すずの兵隊のそばで炎に包まれ
燃えてしまいます。
次の日女中さんが暖炉の灰を
かきだしたとき
すずの兵隊は融けてちいさなハート形の
錫になっており、
そのそばにはスパンコールだけが
すすで真っ黒になって
のこっていました。
さて
このすずの兵隊こそ
私はアンデルセンの自己投影
そして彼の男性性だと思います。
アンデルセンは自分が
身分の低い下層階級の出であり
容姿も美しくない・・・という
コンプレックスを
もっていたかもしれません
片足の兵隊のように。
だから、下水道のトンネルで
ドブネズミから
パスポートをもっているか・・・という風に
出世をして上流階級のなかに
はいれたとしても
おまえはちゃんとした
資格を持っているか・・と
出自を問われるような目に
たびたびであったかもしれません。
しかし彼はそういう輩を
ドブネズミとして
軽蔑していたのかも
しれませんね。
でも何があっても
この兵隊はしゃんとして
毅然たる自分を失いません。
それはおそらくアンデルセン自身が
自分の男性性に自信と
誇り持っていたからだと
私は思います。
詳しくいうと
男性性としての
知能や能力にたいしての自信と
自己肯定が
出来ているからだと
思います。
しかし
それでも
兵隊さんは、暖炉の中に
放りこまれます。
つまり
そういう自分でありながらも
階級からは
表面的には別としても
常に疎外感を
味あわされたかもしれませんね。
人間の社会って
そういう外面的なことばかりが
はびこります。
でも
アンデルセンにひとつの核心が
あったように思います。
それは、
暖炉の炎に包まれたとき
あの人魚姫の時とおなじように
「空気の精」が
救いの手を差し伸べます。
大好きなバレリーナがすっとそばに寄り添い
二人は一緒に焼かれてしまうのですが
でも
それは姿かたちを失っても
その魂はうしなわれず
ハートの形になる。
人魚姫場合は
その残酷な結末に対して
「空気の精」の救いは
なんだか付け足しのようでしたが
今回は
「空気の精みたいに」と
さらりと一行だけが書いてあります。
そこには
まだまだ階級の壁としての
差別を受けながらも
自分の才能と努力で
人生をひらく
ひとりの人間としての
アンデルセンの自負と誇りがあり
また
従来のおきまり
いわゆるおとぎ話の
容姿が美しことが
幸せになる・・という
女性性の神話を
超えてしまおうとする
アンデルセンの童話の骨格になる
”女性性”が
あるように思います。
つまり容姿の美醜コンプレックスに
感情が翻弄されるのではなく、
そのコンプレックスを
ひとりの自立した人間として
超えてしまおうという
気概が芽生えてきているように
思います。
なぜなら
この作品のあとからは
美しいことが幸せになる・・ではなく
人間としての試練をこえていくことが
素敵なんだという
テーマに変容していっているように
思えるからです。
次回書こうと思っている
「白鳥の王子たち」
いま書くか書かないか
迷っている
「みにくいアヒルの子」などには
そういううすっぺらさなど
みじんもありませんからね。
錫の兵隊の最後の描写が
炎の中にほうりこまれて焼かれながらも
その読後に
残酷な悲劇のような胸の痛みが
少ないこと。
それよりももっと深い感慨を
感じさせることなど、
そこに
アンデルセンの人間観
つまり
最終的にはすべての人間を抽象化して
魂に帰結させていく・・という人間観が
あるように思います。
そしてその人間観は、
作品のベースに静かにながれて
あのマッチ売りの少女へと
辿りつく・・・ように
私は思います。
まだまだ封建社会のなかで
アンデルセンが
階級制を超えてすべての人間に
その人間観を布したとは
思えません。
もしかしたら
貧しく弱いひとびとだけに
その苦悩の」代償として
魂への昇華をイメージしたかも
しれませんが、
それでも
なにがあっても
おそれずに
運命にたちむかって
と歌い上げるアンデルセンのこころの奥には
人間とはすべて
姿かたちも、階級も
貧富もなく
誰もが
あの兵隊さんの
焼かれてとけたあとに残った
錫のハートのようなんだよ。
という確信が潜んでいるように
私は
思います。
つぎは
「白鳥の王子たち」
11人の王子の妹姫
エリーザのお話です。
それでは
またネ!

すずの兵隊が恋した紙のバレリーナ―!
・小峰書店発行 「アンデルセンと13の童話」より
挿絵 ジョエル・スチュワート
やっちょります!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
by denshinbashira
| 2011-10-10 09:17
| アンデルセンの童話より
|
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