父の遺産・・・! |
天から言葉が降ってこない・・・・笑!
心理支配された父は
子どもの頃はホントにオトロシかったです。
しかし一方で、
これは父からもらった財産だなーというのが
あります。
父は形式的なこと
儀礼的なこと
そしてこころが伴なわないことは
しないひと
でした。
在るいる意味とても正直で
我儘だったかもしれませんけど。
定年になってからは
儀礼的なつきあいは
ほとんどしなくなり、
地域自治会にも入らず、
またお葬式なども
ほんとう心から悼む人以外は
いきませんでしたし
喪服もたず
行く時は
平服に黒い腕章をして
お通夜にずーっと付き添いました。
だから私も社会人になって初めて
儀礼的なことにも付き合わなければならないことや
フォーマルにはそういうドレスを
着なければならないこと
世の中には
いわゆる”おつきあい”ということが
あることを
知りました。
ホントに世間知らずでしたから
ずいぶん痛い思いもたくさんしましたよ。
ホントに
なにも知りませんでしたから、
自分の意に添わなくても
妥協しなくてはいけないことや
おつきあいで
いろいろ参加しなければならないこと
なかでも
子どもの学校のさまざまな僭越な
家庭に介入してくること
例えば、子どもが小学生の頃
生活表・・・とかいって
何時におきて朝ごはんをたべたかとか
驚いたのは
ウンチをしたか・・ということまで
毎日記録して提出しなければならないことなど
学校には学問を習いにゆくのに
何で家庭の事まで介入するのか
びっくりしました。
それに
PTAのへんなつきあいなんか
もうとても苦痛でしたねー。
まあ子供のためにと
ひたすらそういう
バカバカしいことにも
付き合いましたが、
いまから考えると
なんて形式的で
儀礼的で
偽善的なことの
多い世の中でしょうか。
だから
子どもの高校卒業と同時に
そういう世界からも
足を洗いました。
そして49歳の時に
もうこれからが
自分のほんとうに生きたい人生を
生きようと決心して、
まず、グランドピアノを売りとばし
音楽とはここでおさらばとまず
父から委託された音楽家の自分を
卒業しました。
それは大きなこころの解放でしたねー!
わーい、もう音楽のことなんか
忘れちゃっおーと
そういう関係の事は私の中から
しめだしちゃおーって・・・笑!
痛快で
爽快で
胸がすーっとしました。
まあ―40歳半ばぐらいから
少しずつ自分が思い込まされている事や
どうしても自分が違和に感じること
また、やりたくないことなどを
やらない
妥協しない
心から追い出すように
していましたが
いちばん大きくのしかかっていた
父親から委託された願望という
大きなこころの障害を
えいっ・・・と捨てられたことは
ほんとうに良かったと
思います。