こころの休ませかた・・加藤諦三著・・・より |
憎しみの連鎖の事を書いたが
この息子を殺された両親がなぜ
こうも犯人の家族に対する執着と
憎しみが強化されていったかというと
そこには息子が殺される以前から
彼らが潜在的に持っていた
”憎しみの種”が
あるのかもそれない。
勿論愛する息子を殺されたという
異常なことが
かんたんに癒えることはない。
しかし人間が
憎しみを持ち続ける事は
その人間のストレスにもなり
そのストレス地獄から
自分を救い出そうとも
するもので、
それは時間とともに
その憎しみがすこしずつ緩和されて
ゆく。
しかしもともと
自分の中に憎しみの種がある場合
それを強化することが
時として、
その人間の倒錯した生きがいになることも
あります。
この両親の場合は
息子と分離できず、
或いは
分離せず
逆に
依存するという心理があったかも
しれませんね。
ある時期に息子の不幸な死を
受け入れ、自分の中で
心理的な線を引き
そして
新たに”自分の人生”を
生き始めるのはなく、
息子の死に依存しつづけて
そこから動かない。
つまり
時間を止めて
過去に生き続けようとしているからね。
まあードラマの中の話だからね、・・・・!
しかしドラマの中の話だろとしても
ちょっとこの人間の心理展開には
無理があるかも。。。。。
先日買ってきた
加藤諦三さんの
「こころの休ませ方」という文庫本(PHP文庫)を
読み終わりました。
相変わらず理屈っポイけど・・・笑!
鬱の事が中心に書いてありましたけど
鬱だけじゃなく
心理障害の原因は
この本に書いてあるとおりで、
ほとんどが
自他の不分離と依存で
自他の分離とは
親と子の分離ができていないこと
そしてそこから来る
親と子の共依存関係です。
それは
親から渡された感情や価値観に基づいた
”人間認識”(人間とは、こういうものだ・・・という
思い込み)で
幼児時代に獲得してしまったそのひとの
”生き方のひな形”です。
加藤さんはもともとフロイト系の
かただったと思うので
自他の分離とか依存という
そいうことばでなく
「親子の役割逆転」という言葉で
書いています。
まあ興味のある方は
読んでみられたら・・・と
思います。

カウンセリングでも
ほとんどが
幼児期の
”親と子”の関係に
起因しています。
或いは親に代わるような存在、
つまり
その幼児にとって
自分の生命線をにぎられている人間との
葛藤です。
まあ
養い主ですかねえー!
ところが
本当は
親との葛藤で
そこにメスを入れなければならないのですが、
たいがいの人は
自分の親と対決するなんて・・・・・とんでもない
と思うらしい。
つまり
幼児時代にとって
親は自分を養ってくれる
大事な存在で
絶対的な
不犯してはならない存在なんですねー!
幼児にとって
それだけ親は脅威で
おそれる人間なのですね。
そしてもう一つ
まさか親から愛されていなかったなんて
思いたくもない・・・って思うんでしょうねえ・!
むしろ自分の親は
理想の親で
尊敬すべきだと
思い込んでいる人の方が
圧倒的に多いです。
しかし
子どもの心理を脅かさない親なんて
ありえない・・・ですよ。
それで普通なんです。
なぜかというと
たいがいの親は
子どもの心理など
あまり関係なく
ほとんどが自分流無意識で
子どもに接しており
子どもの前では
たぶん
気をゆるし
自分の本性丸出しで
接しているはずです。
言い換えると
子どもだけには
仮面をかぶった対外的な自分では
ない
すの自分をだしているはずなんです。
ほぼノーコンでね。
それは仕方のないことです。
だから子供は
親の毒や
コンプレクスや
攻撃的な感情や
モロモロのストレスの捌け口として
日常的に
傷つけられてしまう。
それがずーっと子供の人生
大人になっても
その人の人生に
影をさし、
影響をあたえ、
親と分離しないかぎり
深層から
心理支配されてしまうのですね。
じゃやーどうするか、というとね、
例え尊敬する親だとしても
愛着のある親だとしても
親と対決することです。
その親とは
現在の親ではなく
自分の幼児期に刷りこまれている
親のイメージです。
自分の心理に棲みこみ
深層から自分を心理支配する
幼い時の
親です。
幼児期に思い込んだこと
思いこまされたこと
つまりそれが脳に記述されているかぎり
消えませんし
なにかの衝撃なことや
大きな挫折があって
その人間がもう
親との分離をせずには
いられなくなったとき、
つまり親とは違う
自分の生き方を確立しないかぎり、
それは書き換えることができません。
親との対決をすると言っても
カウンセラーの誘導で
幼児期の感情を思い出し
その臨場感の中で
対決してゆくことが出来れば
いちばんいいのですが、
それはなかなか難しいことかもしれませんから
自分の幼児期を思い出し
親との関係を
検証することです。
幼児期の自分が
悲しかったこと
やりたくなかったこと
親から受けたしつけと称する
罰について
あるいは
自分を受け入れてもらえなかったこと
本当はすごーく傷ついていること
まあ
いろいろあるでしょう。
さらに
自分の本位ではないこと
明らかに親からバトンされた感情
コンプレックス
よけいな心配や
取り越し苦労
すぐに物事を
深刻に思う
癖
そして
親から否定さえれたり
責任を問われたりして
自分のなかではもー
瞬間芸みたいなっている
自己否定
自罰
自責
そんなものを
捨てちゃう!
そして親とは決別しても
自分らしく
生きチャル!と
決心すること。
もっと
気楽にのほほんと
生きれると
いいです。
加藤さんは
「日本人は
被害者意識に立ってモノを言う人が
多い。それは
日本人の心の底に根雪のような
憎しみがあるからだ」と
書いていますが、
私も日本人というのは
自己抑制が美徳のように思い込み
自分を日々殺しながら生きている人たちだと
思いますよ。
だから深層心理には
対外的な怯えと
自己実現をあきらめさせられた
憎しみや
自己不全感があると
思います。
そうじゃなく
自分の思うところを
存分吐いて
痛快に生きて御覧さいよ!
内向きに
内向きに
守ることや
受け身で
安全圏を生きているかぎり
そこには鬱だけでなく
自信を喪失し
共依存の中で
お互いが崩壊してゆく道しか
アリマセンヨ!
日本の社会全体が
そうやってきた
そのつけ(鬱)が
常態化して
いま来ているようにも
思います。
嫌だねー
自分を楽しみながら
そういうものは
蹴っ飛ばして
エネルイギーを
取り戻したいものです。

よかったらどうぞ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!

母親が嫌いでした。自慢話が多い、色々な嫌味をいう、私に意地悪をした、過剰な親孝行を要求し、「なんて冷たい子なの」と、私を非難するそんな母親でした。
私は、人が嫌いに、勉強が嫌いに、自信のない子供になりました。
母親の悪口なら、いくらでも言える、それがかえって、幸運でした。
「心の休ませ方」加藤諦三先生の本は、無意識(本音)が、書いてあり、私には、心当たりが沢山あり、そして私の気持ちを、分かってもらえたと感じた本でした。もっともっと読みたくなり、ネットで加藤先生の本を買い集め、読んでいる最中に不思議なことが起こりました。
「ああ、そうだったのか、私は私で良いのだ、自由なのだ」と、身体の中から、母親に埋め込まれた、劣等感と罪悪感が出て行った感覚で、不思議な体験でした。そして、あたりを見渡すと、花の色、草木の緑が色鮮やかに感じ、空気さえも清々しく、今まで重苦しかった、心身が軽やかになったのでした。
自分に自信が持てるようになりました。
後になって分かるのですが、その自己肯定感は、まだまだ、小さく、弱いものでした。
無知な私は、精神的に追い詰められて行きました。