あたらしい時代へむけて、新しい文脈で・・・! |
つまり生きものの中で人間だけが
言語による意識をもち
文化と文明を獲得したその結果として
お金と権力の”今”があると
昨日書きました。
人間が二足歩行を獲得し
火や道具を獲得し
ことばにを獲得し
自我意識を獲得してきた背景には
人間が”いきもの”として
”生き延びてゆく必然”があったと
思います。
生きいものとしての
”命は命を喰らって生きる”の不条理のなか
生きのびてゆくための
不安や怖れそして危機の防衛として
脳は常に”新し創造”をしながら
人間はいきのびてきた。
しかしそれは必然的に
権力を産み
お金の格差を産みだし
その囲いの中で人間は
争い収奪や戦争を引きおこしても
きた。
そしていまやバブル期を超えて
お金が人間を支配するという
金融資本主義と
マネーゲームにより
ひとびとの意志ではなく、
お金で
世界が支配され、国の崩壊や
行く末すら
強欲なゲーマたちに
握られてしまった。
その原初のところに
幸福の条件としての
”お金と権力”という
人間の文脈が
営々と歴史の底流を
流れてきたからだと
書きました。
では人間の紡いできた文化も
文明も
間違いだったのか・・・。
いいえ
そうではありません。
ただもしかしたら
有史以来の大きな転換の
はじまりが
始まったからだと
私は思います。
つまりこれまでの、
情報を寡占、独占していた人間が
社会ヒエラルキーの頂点に君臨し
お金と権力を集中させていた時代から
IT革命により
いっきに
情報の解放、自由化と
データーソースのオープン化の時代が
やってきたことです。
この情報の解放と
データーソースの開示、解放は
誰もが
得たい情報とそのソースを
入手でき、
誰もが発信者そして
表現者として参加でき
自分の中に眠らせていた才能や
潜在意識のなかに潜む能力を
阻む壁が
極端に低くなったという事です。
そのことは
もしかしたら
次の時代こそが
たくさんの潜在的なポテンシャルが
開花する
創造性にみちた時代になるかも
しれないのです。
いや多分
人類はそこ向かっているのだと
私は信じたいのですが・・・・。
しかしそこへ行くまでには
まだまだ険しく
困難なハードルを
越えなければ
なりません。
次の時代は確実に
これまでの地域的な囲い込みや
権力の集中そして経済の独占が
できなくなる時代です。
そして今の人間の危機を超え
次の時代へと到達するためには
人間は、これまでの”文脈”を
変えなければならないのに
今だ古い文脈を押し通そうとする
旧勢力はアタマが錆びていて
気づけないのです。
日本も世界も・・・。
ついには
自分達が身ぐるみはがされて
衆人の目にさらされること
特権階級であった支配層の偽善や
カムフラージュの神殿が
崩壊するということの始まりに
まだ気づいていない。
ちょうどあの
カダフィーのようにです。
しかし一方
民衆の側もまだまだ眠りから
醒めていない。
今まで手が届かなかった道具や
情報が手にはいりだしたとき
それを
どのように扱ったらいいのかが
分からない!
それらは
まだまだ極めて個人的なレベルでしか
為されておらず、
扱ったこともないものが手に入ったはいいが
扱いようによっては
自分達の首を絞めることになること
また自分たちも崩壊の連鎖の中に
巻き込まれてしまうこと
もしかしたら
あの
今までの秩序が崩壊し戦乱や
群雄割拠の混乱がくるかもしれないことなどを
どのように解決してゆくのか・・・?
いまだに
その発想は拙く
小児的な状態です。
ものすごい大きな付託が
始まり始めたというのに・・・。
もう、幸福の条件は
お金と権力でもないことへ
意識が覚醒する必要が
あります。
そして
人間は
あたらしい文脈の幸福の条件を
造らなければなりませんね。
それはなんなのか・・・?
またこれまでのような
物欲のギラつく
物質依存の人間観も
当然淘汰されてゆくと
思います。
淘汰されるというより
それではもう
人間の精神や意識が
保てなくなるといったほうが
いいかもしれない!
そもそも幸福の条件としての
お金と権力の裏側には
人間が生きることの
”不安と怖れ”があります。
権力者たちはその”不安と怖れ”を
巧妙に心理コントロールしながら
富を独占しその地位を築いてきました。
不安と怖れを制覇するこが
権力の確立と富の集中を産み
その囲いの中で
情報を操作する。
文明と文化の囲い込みです。
そこには彼らの設定した規範が
設けられ
情報が制限されることにより
集団の規制と
民衆の自己規制の二重構造の
柵の中に人間がありました。
しかし新しい時代はもう囲い込の柵は
破れ
どんどん情報が私たちに流れてきて
襲いかかるくらいになるでしょう。
いわばこれまでの規範も規律も
秩序もどんどん壊れて行く中で
私たちはどうしたらいいかを
考えないとね。
私はまず
しっかりと
人間ひとりひとりが
自分の文脈を打ち立てることだと
思います。
情報が解放されてくれば来るほど
おそらく
山のような情報の海に
溺れたり
想定外のことが
たくさん
起きるでしょう。
また
人間が個絶している存在であることから
(まあ、このこともきっと明らかにされてゆくと思いますから)
これまでの人間幻想
社会の共同幻想が
崩れ
様々に矛盾することが
ニンゲン間だけでなく
地域間や
国家間の中で
起き
明らかになるでしょう。
これまでの思い込み(幻想)が
どんどん破れていくということです。
そうすると
当然
自分が何に依拠して生きるか・・・と
いうことが
自分の人生や運命を振り分ける課題に
なります。
その時何かに依存していたり
社会や国家や
他者に依存していたひとびとは
アイデンティティーをうしないます。また
大きな心理バランスの崩れが
生じるでしょう。
今のギリシャで起きているように
行き場のない
解決のしようがない
糞づまり状態で
自己中毒になるしかないかも。
基軸通貨のユーロも
かなり怪しくなるでしょう。
中心軸が折れたとき
ヨーロッパはどうなるのでしょうか・・。
私はその時こそアメリカとヨーロッパの
覇権主義が敗北し
それぞれの
国家の自律、地域の自律のための
国や地域の特異性に基づいた
各国家の各々の文脈(文化と文明)の書き直しの
時代に移行するかもしれないと
考えています。
おそらくまだまだ時間はかかるでしょうが・・・。
そして
それぞれに分解した国家や地域を
大きく止揚する、地球規模の
共同性と
共生に基づいた
「人間の幸福を追求する文脈」
それはどの国にとっても
どの民族にとっても
公平で平等な人間観に基づいた
高潔なるものが
必要になってくるかも
しれませんが・・・。
人間のゆきすぎた物質文化を
修正し
もっと内面から人間が
輝けるような
そんな文脈をもった時代!
来てほしいです。
まあいずれにしても
もう
古い文脈の時代は
終わると
思います。
※ 次回のブログは私が考えていいる
日本の経済活性化の案・・・・を
ちょと、
書いてみようと思います。
私は妙案だとおもうのですが・・・ねえ?

紅葉した山ぼうし!
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● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
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