シリーズ「残念なひとびと」・・・もう中ちゃんの成功! |
高い能力を持っていながら
それを発揮できず
沈没してしまうひと・・・を
私は”残念なひとびと”と
呼んでいます。
何を隠そう、この私も
”残念なひと”だったのですよ・・・笑!
まあー自分の体験も踏まえて、
”残念なひと”から脱出していただくために
書こうと思います。
”残念なひと”ということを思うとき
逆に
”残念ではないひと”として
あのお笑い芸人の
「もう中学生”こと”もう中”ちゃんが
浮かびます。
”もう中ちゃん”は、
段ボールにイラストを描いて
ショートコント?をやります。
まあーコントの中身は、アレッというような
ときどき混乱したり
不思議な内容でもありますが、
彼の世界がそこにあり
なごみます。
私は彼の個展を見にゆきましたが
とても素敵なイラストでしたし
ご本人様から
「どうぞごゆるりと」とお言葉を頂き
とても楽しゅうございました。
これほどの才能がありながら
もう中ちゃんはどうして
アートにいかず
”お笑い”にいったのかなー・・・?
そこが彼の選択のすばらしいところです。
彼が飛び込んだ吉本の世界は
いわば徒弟社会で
体育会系で
いろんな意味で厳しい世界です。
彼の才能がすんなり認められるとは
おもえません。
しかし
よく考えれば、
そこには
世の中というものを
よーく知っている組織があり
プロデユーサーも
ディレクターも
マネジャーもいて
舞台があります。
もし舞台に立てたら
お客様もいて
またすざまじい収奪らしいですけど
ギャラももらえます。
つまりそこは
世の中という”現場”に直結した
場があり
自分が世の中へと出陣していくためには
かっこうの修行の場であり
自分だけでは手に入らない情報や
自分にとっては思いもよらないような
様々な事を体験できます。
彼だってNSCでは辛いことや
めげそうになることが
たくさんあったでしょう。
しかし
彼がアートやイラストレーターになっていたら
きっと
同じようなスタイルや傾向の中で
埋没したかもしれませんが
彼が段ボールを持って舞台に上がったとき
イラストには物語が生まれ
彼自身もその中に乱入?して
”もう中世界”が完成されます。
かしこいなあーと思うと同時に
彼自身が護りに入らず
その徒弟の世間なかに
身を投じていった勇気と言いますか
チャレンジが
素晴らしいのだと思います。
彼の絵をいいなあーという人がいても
アートやイラストレーターのせかいで
これほど自分を生かすことが
できたかしらねえ・・・?
さて
”残念な人々”というのは
こういうような”もう中ちゃん”とは
対極にいると
思います。
彼らは自己評価はたかいんです。しかし
対外的には
認められていない。
だからいつもそのジレンマンに
苦しむ。
苦しみながらも
どうしていいかわからない
もっと酷くなると
世の中が自分の才能を理解できないのだと
責任を
転化をしてしまう。
次回はそういう人が
どうしてそうなるかを
書きます。


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ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
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