シリーズ「残念なひとびと」・無能からの脱出! |
残念な人々が、
自分は有能だと思い込んでいるにも
関わらず、
それを発揮できない
心因的な理由について
書いてきましたが、
そこから脱出するための例として
恰好な人物がいます。
それは菅元総理で、
この人がなぜ無能から
脱出できなかったかを
書きながら、お分かり頂きたいと
思います。
人は自分の限界まで到達すると
そこからはどんどん無能になっていくという
法則があります。
「ピーターの法則」といって
アメリカの教育学者ローレンス・J・ピータ博士によって
書かれたものです。
それは階層社会の組織においての
能力について書かれたものですが、
私は
人間一般についても同様なように
思います。
人間は様々に
生き抜いてゆくための情報を獲得し、
それらの情報データーから人生の
イメージ、
”生きるイメージ”を創造しながら
生きていますが、
そのデーターが尽き、
イメージが創造できなくなると
どんどん無能になってゆく。
人間が生まれ落ちた瞬間から
無意識領域では
その生命活動としてツネに
その人間を生かすために
”学習しては
希望を持ちながら”
希望とは明日をいきるための
イメージです。
そのイメージに
エネルギーが喚起されながら
生きています。
ところが人間にあることが
起きると
その”学習”する・・・と
いうことが
止まってしまうことが
起きてきます。
どうしてそうなるのか
菅元総理の事を例にして書いてみましょう。
菅氏が政治家として輝いていたのは
厚生大臣の頃で
市民運動家の正義感と
市民の側にたった視線が
菅氏の能力をほんとうに
輝かせていたと思います。
しかし今から思うと
あの時こそが
彼の能力の頂点で
もし彼はその時
自分の能力の限界をきちんと見極め
更に自分を伸ばすために、
輝やかせていくために
次に
何を学習したらいいか・・・・・と
模索し、
政治家としての熟度を
高めていたら
国民はこの国難の時に
もっと救われたと思います。
政治家の極限的な高い能力と
手腕が問われている時に
彼は
何もできなかった。
今思っても
せめて福島の子供たちに
ヨウ素を配っていたら・・・と
そして
率直に事態の深刻さを報告し
即時の県民疎開移動や
対応策の指示
梅雨前の除染など
無念で仕方がありません。
あのときは仕方なかった・・・と言ってしまわないで
やはりちゃんその無能さを
反面教師に
考えましょう!
なぜ彼が無能だったのか・・?
それは彼自身が自分は”有能”な政治家だと
錯覚したからだと
私は思います。
本当に有能は人は自分の事を
”有能”だとは
思いません。
むしろ
まだまだしらないことがたくさんあると
謙虚にまた向学に燃え
大きな視野から見た自分を
もしかしたら自分に対して
無能だという自覚すら
あるのかもしれません。
自分が有能だと錯覚したから
菅氏は総理になったが、
経済や財政の事すら良くわからず
まして、
国家を”経営”するということも
そのために
”官僚”を動かし使いこなすことも
できない。
外交戦略もなく
そして突然の危機に
棒立ちのようになってしまいました。
勿論その前の鳩山など
論外ですし
今の政治家すべてに
あてはまるのかも
しれません。
なぜなら彼らは
こぜりあいばかりするからです。
自信のある有能な人なら、
ミソもクソも全部
自分の戦力にしてしまうでしょうに・・・・。
つまり彼こそ
「わかっていないのに
わかったつもりになっている」
”残念なひと”そのもので
本当は地道にコツコツと
政治のイロハや方法を学び
志たかく
純粋に国益を考え
国民の幸福のために
何を為すべきかを
自分の中身の中に積み重ねて
ビジョンを造りださねばならないのに
彼にはビジョンも
戦略もありませんでした。
それはイラ菅と呼ばれるように
感情の起伏で動き
官僚からは敬遠され
他者のことばに
じっくり繰耳を傾けて
最後の一言まで聴く余裕もなく
しかし
表面的なパフォーマンスには
踊るという
いきなり権力へと横滑りを狙う人間に
なってしまった。
政治の世界がいかに険しく
厳しく、その上老獪な知力と
能力が必要であることを
知っている人間は、
いきなり、横滑りに権力を狙ったり
頂点にたとうとは
思わないものです。
その世界がどれほすざまじいか・・を
知っているからです。
知っているからこそ
準備を怠りなく
機が熟したときには
万端整っているはずです。
横滑りに奪った権力
そんな砂上の楼閣のような頂点など
すぐに崩壊するに決まっている。
言っておきますが
東国原、も橋下も
みんな同類だと
思いますよ!
つまり
事を進めてゆくために
自分以外の優秀な能力の結集を
はかっていくのに
時間と努力をかける。
自分を生かすためには
他人を生かすことを
知っておらねば
なりません。
他人とは官僚を含めて
政治にかかわる専門家たちで
自分の仕事を実現していくための
戦力であり補強や助言をしてくれる
たいせつな、大切な人々です。
この国難を憂える
被災地を含めた日本中にいる
専門家たちです。
仕事上の人材のネットワークを造ることも
自分を生かすための
とてもたいせつなことで、
それは自分と他人との中に
信頼の共同性を造り
目的の純粋性が
人を動かしていきます。
突き詰めれば
人間愛が必要です。
自分を生かしてくれる人間には
ついてくるが
自分の能力をかすめ取ってゆく人間なんかに
心を許すわけが
ない
今、さんざん悪者にされている官僚の
彼らだって、
自分が生かされ
自分の能力を発揮できるとなれば
いくらだっいて協力するでしょうに
だって
そこには
希望があるからです。
自分が生かされる…という希望のもとに
人間は力を発揮し
エネルギーを燃やすものなのです。
ましてやあの国民が一体となって
乗り越えなければならない危機を
官僚だって、切々と感じていたでしょうに・・・。
なくなられた西岡議長の
総理をやめろの声明、
越権行為も
たぶんそばにいたら
私だってそうしたと
思いますよ。
しかし
菅氏は
人を動かす術をもっていませんでしたし
人間を信頼することも
できず
やたら
会議をつくり
自分の無能を粉飾していましたね
いや
粉飾したというより
他に何をすべきか
思うつくことができなかったのでしょうね。
彼だって何とかしたいと苦悩したと
思いますが一方で
自分が無能だということを
受け入れることができませんでした。
優秀な人なら
自分が出来ないことを
他の人間達で補い
全責任は自分が負うという覚悟のもと
自分が無能だという事が
衆目にさらされることより
危機の解決に全力を
投じたと思いますよ。
無能がバレる事を
恐れて
俺は無能だから
助けてくれ…という事も
曝せず
自分の無能をどう
補強したらいいかも
分からず
時だけが過ぎて行き
国民はほんとうに不安の中に
放置されました。
もうお分かりですね
残念ながら菅元総理は
等身大の自分でもなく
常に
過剰評価の自分を生き
方法も
人材も
もたないまま
権力さえ手に入れれば
なんとかなる・・・と
思ったかどうか知りませんが、
みごとに墜落してゆきました。
彼だけが墜落したならばいいのですが
日本の国そのものが
傾いてしまいました。
しかし
彼だけがそうなのではない。
彼を総理にした日本の国全体が
ほんとうの現実を見ない、
分かったつもりで表面面だけ
帳尻を合わせて
真実をみない
”残念な人・・化していると
私は思います。
政治にも
経済にも
教育にも
社会全般の風潮として
この閉塞的な日本の現状こそ
私たちひとりひとり日本人が
もっとも自分にふさわしい現実として
創り出してきたものだと
思います。
これがまさに
等身大の
日本です。
今、日本人に
日本国に突き付けあっれているのは
「残念な国、残念な国民」を
どう脱出するかでしょう。
話がちょっと飛躍しましたので
もとに戻しましょう。
では
どうすれは自分の能力や才能をいかせるか・・・?
それはまず
自分の限界をよーく
熟知することです。
自分の無能を自覚することです。
しかし無能を自覚することは
無能である自分を受け入れ
肯定することですよ。
無能でいい
無能だからこそ・・・という自己肯定です。
決して
自分の無能を受け入れられないとか
しらない、
わからない
ということを
受け入れられないというでは
ありませんし
謙遜してそういうのでも
ありません。
無能を隠して
分かったフリをしないことです。
自分の等身大の中身と向き合って
自分にはたりないもの
自分が学習しなければならないもの
それらを自覚的把握して
自分につけたしてゆく。
あるいは
自分より優れいる人に
教えを乞うもよし
その方法や技術を
盗むもよし
それを自分に与えてくれるひとと
出遭う努力をし
出遭う場所へゆき
そし常に学び
取り入れ
自分の世界を
おきく広げていくんです。
心を
開くんです。
有能な人間ほど
自分が無能であることを
当然のようにおもう。
だから
いとも簡単に
しらないから
教えてと言い
もっとしりたいなーと
どんどん未知の世界に
喰いついてゆく。
優れたひとびとの多くが
その専門分野だけでなく
さまざまな分野に長けています。
それは
自分が豊かになり
成長してゆく”喜び”を
知っているからです。
よけいなプライドや
感情やコンプレツクスなんか
自分が無能になっていく以外
なーんの役にも立たない・・・・笑!
死ぬまで
現役
死ぬまで
学習
それでも時間がたらないかもしれない!
今日も厳しいことを
書きましたけど、
今の日本をどうするのか
等身大の日本姿を
取り戻すためにも
「残念な・・・」から
脱出しないとね
いけませんね。
中身で勝負です!
『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
残念な人の何と多いこと。自分は残念な人なのだと受け入れるのは容易なことではありませんが、ブログを読んで(そうか、そうだったのか)と「得心」することができました。靄が晴れたような、そんな気持ちになれました。これからも読ませていただきます。ありがとうございました。