シリーズ「残念なひとびと」・尊敬をむけてこそ! |
テーマは尊敬です。
先日テレビで「イクメン」という事を
やっていました。
「イクメン」とは
主婦の家事や育児を手伝う良い亭主のことだそうで、
何人かの男性がその例として
登場してきましたが、
その奥さんたちが、
私の偏見では
はかなり気が強そうで・・・笑!
それを見ていた父ちゃんと私は
思わず目を合わせて
苦笑いしました。
すかさず父ちゃんに
こういう男性はどうなの?と
(つまり企業の戦士としては
どうなの・・・と)
聞きましたら、そっけなく
「ダメじゃないの・・・」という答えが
返ってきました。
私はこの奥さんたちは
何かを勘違いしているのだろう・・と
思います。
64年生きてきて
夫婦として
40年一緒に生きてきて
世の中というものが
どれほど厳しいかを
思い知られました。
父ちゃんは仕事に打ち込んで
もう家に帰ってきたら
カスというか
出がらしというか
呆けてしまいます。
オテンコパー状態です。
それでも頭の中は
仕事や会社の事でいっぱいらしく
家族との会話も少なく
返ってくる言葉もそっけないです。
つまり
彼は家では王様状態で
サーヴィスを受け
庭仕事いがいほとんど
なーんもしません。
私が甘やかしすぎると
娘から
チェッ・・そんなことぐらい
自分でしろよ!と
怒鳴られています・・・・笑!
企業の前線でたたかうひとは
家にかえってはじめて
ほっとして
”ただのひと”に帰るのですね。
そういう父ちゃんが
家族のためにエネルギーを注いだのは
若いときのほんの一瞬で、
当時、労働条件最悪の会社の労組の委員長
そしてその倒産寸前の会社の立て直し
バブル期の生き残りなどなど
父ちゃんにとっては
家族どころではありませんでした。
家族はいつもおいてけぼりで
父不在、夫不在の家庭で
私はいつもイライラし
そのはけ口になった子供に異変が起きたことは
以前このブログで書きました。
そういう中で私は彼を恨みましたが
しかし一方では
何としても子どもを守らなければならないために
彼を頼らず家庭の事は
自分の力でやるしかないと
彼を頼るのを諦め
頑張りました。
今から考えると
このことは
私の中の依存の弱さや甘えをはぎ取り
私を強くしたし
私の中に一本独立したものが育つと同時に
私の自信の礎にもなっています。
そしてあるとき
人間の心のことは
お母さんの方がお手本になるけど
社会のことや仕事の事は
お父さんの方が断然いいアドヴァイスを
くれるし
お父さんはあたまがキレる!と
子供に言われました。
そうか、
父ちゃんはアタマがいいのか・・・!
ショック!
でもね、
もしかしたら
私は彼の事が
一方的にしか
見えていないのかもしれないと思い、
子供の目からみたら
父ちゃんと
母ちゃんは
どういう風に見えるのかを
教えてもらいました。
よーくわかりましたねー。
子どもは正直です。
子どもの目からみた父親は
自分達をほったらかして
仕事にぼっとうしている、しかし
彼らの目には
厳しい仕事を為し遂げていく父親対する
母親への感謝とは違う次元の
”尊敬”が
ありました。
そうかあー・・・・と
深いことを
教えてもらった気がします。
人間ひとりひとりには
それぞれの才能や能力があります。
それが生かされてこそ
生きがいがある人生で
うちの
父ちゃんの場合は
仕事の中にそれを注ぎこんで
それが実っていきました。
しかしそれは世の中の経済の戦場で、
資本主義経済の競争社会の中で
闘い、勝ち残っていくという
厳しい壮絶なな戦いです。
自分の家族も
他の社員の家族も
守らなければならないなら
そこに心血を注ぐのは
当たり前です。
家事を手伝う
育児を手伝うなんてのは
彼の優先順位のなかでは
極めて低いことで
そんなことなど
おまえがやってくれ!という
自分にはもっと思い責任
もっと重要な事を
やらなければならない。
という事だったのですね。
私も一時ビジネスをやりました。
その時
お金を稼ぐということが
1円を稼ぐということが
どれほどたいへんな事かを
思い知らされました。
ましてちょっと気を抜いたら
負けて転がり落ちてしまう今の
経済の社会のなかで
働く人人々は大変です。
家庭は彼が鎧を脱ぎ
明日への集中のために
疲れをとり
休むところです。
冒頭の「イクメン」の男性の事を
父ちゃんがダメだろうといいました。
私もこういう人々は出世しないと
思います。
でもそれも一つの選択です。
その時奥さんは納得するだろうかとも
おもいます。
しかし
出世しなくても
我が家の子どもたちのように
父親不在の寂しさや
家庭の中の冷えを感じなくて
すみます。
良いお父さんになれます。
どちらかです。
どちらも素敵です。
さて今日はもうひとつ
痛烈な事を
書きます。
どちらかというと
こちらの方が本題です。
昨日、無能の残念な人として
菅元総理のことを書きましたが」
今日はその夫人の
伸子さんの事を例に
書きます。
原発事故の対応の稚拙さに
国民の不安が募りなお
なかなか辞めない菅総理に
国民がみんなジリジリとしているさなか
伸子夫人を直撃した映像を
見ました。
夕食のレストランで、
菅氏は先に帰り
あとから出てきた伸子夫人に
記者がマイクをむけて
菅総理は何を考えておられるでしょうか・・・?と
いいました。
その時彼女は
「菅なんか考えちゃいないわよ、いつも
何も考えてなんかいない・・・」」と
答えました。
いささか酔っぱらっていたとは
思いますが、
原発事故の不安のさなかに
はやくやめてもらいたい
きちんと政治が機能し
官僚を動かせる人間へと
バトンしてもらいたいという
国民がジリジリする中で・・・。
私は激怒しました。
傍にいたら
殴りかかったかもしれません。
私はそういう激しい人間です
時に暴力も辞さない・・・笑!
彼女は
菅氏を小ばかにしている
だから
”なんか”ということばが出るのです。
考えているのは
わたしのほうヨ・・・とでも
言いたげな言葉でした。
伸子さんの言葉を聞いて私は
『あなたが小ばかにしている旦那を
総理として上にしている国民は
どうなるだ!』と
『こんなに国民が苦しんでいるのに
あなたが小ばかにしてる
その夫こそに
あなたは引導を渡すべきだろう・・・』と
カッカ来ました・・・・。
伸子さんは夫の菅氏を
尊敬しているのでしょうか・・?
もし小ばかにしているとしたら
それは必ずどこかで菅氏に伝わっていますから
身内の中でさえ尊敬されない菅氏が
自信を持てるわけがない!
しかし自己幻想は総理をめざし
やっとその地位を手に入れた・・・けど
無能・・・。
無能の烙印のまま引き下がるのは
みじめだから、
なにか手柄をとってからしか
総理を降りない・・・・か
どうか
本当のところは
分かりませんが・・・・。
そうだとしら
何と
「残念な夫婦」でしょう!
夫婦の間で
家族の間で
お互いを認知せず
尊敬しないひとびとが
どうして
他人からまして
世間から
尊敬や認知を受けることが
できましょう哉。
そういう妻から
小ばかにされている人間が
外で
いい仕事が
できるわけがない!
逆にそうだからいい仕事をする人間も
いなくはないが、
しかし最終的には
その小ばか(ディスカウント)に
力が尽きてしまいます。
外でいくら評価が低くても
家族は、
妻や
夫や
子どもたち家族だけは
その人の才能や能力を
チャ―ンと見つけ
認めている。
お父さんの
お母さんの
そして子供たちの
お互いが
素敵なところを
分かってる。
決して
ディスカウント
しない。
家族だけは
たとえ
自分からすると
どんなにくだらないことでも
価値がないことでも
相手がそれを愛しているなら
そのことを
たいせつにしてあげないと・・ねえ!
このことは
とても大切なことのように
わたしは思います。
お遍路さんに行く菅氏の姿には
たぶん、自分の”ほんとうのこと”に
うすうす気が付いているかもしれないなーと
思います。
菅氏もご自分の等身大に帰ったときこそ
今度はほんとうに
いい仕事ができると
おもいますよ。
そうなると
いいね!
明日は”役割”について
かくつもりです。
『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!