シリーズ「残念なひとびと」・・・役割を磨く! |
心配です。
今日は役割ということについて
天皇陛下をモデルに
書きたいと思います。
私が生まれたのは昭和22年、
戦後2年目です。
戦争に負けた日本に
主権在民という
”民主主義”が入ってきて
家父長制封建主義が
やっと終わり
国民は食べるのがやっとでも
今までにない
”自由”の活気がありました。
今もはっきり覚えているのは
小学校でも
中学校でも
日本は憲法で、
主権は天皇ではなく
”国民”にあるんだぞ・・と話す先生の
生き生きとした顔や
それに
世界でもはじめての
”戦争放棄”した
素晴らしい国になるんだ・・という
意義にみちた気負いが
あったことです。
戦争は
「天皇陛下、万歳」といって
たくさんの若者が死んでゆきました。
そして私の子供の頃には
傷痍軍人といって
路上で物乞いする
片手や片足や
目をうしなった
元軍人が
たくさんいました。
ですから
私にとって
天皇制も
天皇も
あまり受け入れたくないことで
それに私自身は
どんな権威も
しったことじゃない・・と
思っていましたから
若いころは全く天皇には
白けていました。
しかし
だんだん
昭和天皇も
現天皇も
その役割を
ほんとうに誠意を持って
完璧なまでにやり遂げておられることに
度々感動しました。
これほどまで
ご自分に与えらえた
役割を
みごとに果たした人間を
天皇陛下以外に
見たことが
ありません。
素晴らしいです。
一昔前のカウンセリングでは
”役割で人とかかわってはいけない”
”一人の生の人間として心を開き
感情を解放して、他者と触れ合え”と
いわれていました。
しかし
今の私はちょっと違う考えに
なっています。
人間は役割を与えられないと
おかしくなる・・・と
思うのです。
つまりどんな自分であっても
何か役割があると
人はほっとします。
なにかやることを
与えられると
自分の居場所や
”居る”ことが
認知されたようで
こころが
安定するのです。
しかし
なーんにも役割がなく
手持ちぶたさで生きてると
次第にこころが退廃してきて
空洞が開いたりします。
ひとによっては
与えられた役割というのが
嫌で、
他人から指図されるのも嫌で
だから、できるだけ
ひとりでいるという
人もいますが
それはそれで
ひとつの生き方だと
思います。
なるほど
義務をともなう役割など
誰だって億劫ですし
引きうけたくなんかないです。
さーどうするか
そういう時に私は
天皇の事を
思います。
天皇だって
やりたくないことや
めんどくさいことだって
たくさん在るでしょうし
それに
宮中という古臭い伝統社会のなかには
妖怪の侍従や女官がゾロゾロいるでしょうし
しきたりだって厳しい
だから雅子さんがコケチャッタんでしょうし
それでも
天皇はびくともせず
ご自分の役割を遂行し
国民のために
働かれます。
こんなすごい方を
見たことない!
そこにはなにか
崇高な心をみる。
だからこそ
あのオバマ大統領もごく自然に
深く頭を垂れたのだと
思います。
人間はそれぞれが
自分という欠片で生きていて
その欠片同士が助け合い
寄り添いながらしか
生きてゆけません。
家族なら
父親、母親という役割があり
職場なら
それぞれが自分の仕事の役割を
分担されます。
社会は社会でそれぞれが
なにがしか
自分の分担をこなしながら生きているなか
天皇ほどに
役割をこなせたら
おそらくそこには
多くの見返りと言っては
何ですが
大きな喜びがあるように
思います。
役割を成し遂げてゆくのは
大変です。
でも
どんなちいさな
どれほど
下らないかもしれないが
自分に役割があるということは
認知されている証明でも
あります。
他人にも
自分にも・・・ね。
それに役割を磨いてゆくとそこには
その人独特の世界だって
獲得できるし
人望もわいてくるし
童話「モモ」に出てくる
掃除夫のペッポ爺さんのように
決して「致死的退屈症」だけには
ならないし・・・笑!
カウンセリングでは
人間は目が覚めている間は
自分が退屈しないように
時間の構造化をする・・・と
言います。
時間の構造化とは
自分が退屈で空白にならないように
他人との間で活動を
起こすことです。
それがゆがんだ形になると
心理ゲームをしたり
喧嘩をしたり
他人の注意を引くための
仕掛けをしたりとか
愚痴ばかり言ったりとか・・に
なってしまうんですね。
ろくなことはないです。
なにか役割を担えるといいですね
そして
その役割を楽しめたらもっといいです
面白がってやると
さらにいいです!
役割をやりながら
学べると
ベストですね。
私も自分の役割を
磨きたいと
思っています。
そうなると
良いね!
『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
〇 明日から父ちゃんと”アファンの森”へ行ってきます。
二コルさんとは2年ぶりです。
途中小諸や上田城によって紅葉を見る予定です。
そういう訳で明日と明後日ブログはお休みします。
元首相のお話では、以前のリーダー論への理解が深まりました。
今日の役割は現実を生きていく中で非常に大切だと思えました。社会から離別した今の私は現実と希望の間で考え、自分が時間を構造化していることをもろに感じます。自分のやる事が自分を形づくっているなーという感覚でしょうか。むしろ以前よりよほど、現実をいきている気がします。もっともっとこれからですが。
モモなつかしいです。読み直してみようかな。
昨日読み終えた本で、人間を尊敬できた気がします。
どこが、というより人間自体を尊敬できた瞬間というか。
そして湧き上がってくる自分の感情も感じられて、本当にすばらしい気持ちでした
自分で自分に充足を与えるとはこれだ、と感じました。
その報告をこの場を借りて書かせていただきました。