シリーズ「残念なひとびと」・・・結婚は創造的破壊の場・・・? |
人生の前半で得たこと、思い込んだことが
後半では頸木(くびき)になる・・・と言うことを
かきましたが
結婚生活なんて、その頸木との戦いそのものです。
自分の両親或いはそれに類似した
幼児期の環境で得た情報をもとに
それぞれの”脳が思い込んだ価値観や感性”が
一緒に暮らすのですから
様々に違和やすれ違いが起き
自分の世界と相手の世界が衝突するのは
当然のことです。
しかし
そういう認識がなく
恋愛幻想で
あたかも二人が一体化したような気持ちで
いたら
そこにお互いの依存も
支配欲や征服欲も生じてきますから
まあー
悪くすると
二つの世界のせめぎ合い
”死闘”のような日々の始まりとも
いえましょうねえ・・・・笑!
日々はこんなはずじゃやーなかったと
幻想が覚めてゆけば行くほど
お互いの相違が重くのしかかって
感情がもがきますから
私なども振り返れば
大変な日々の連続でした・・・・笑!
しかし
結婚生活ほど”素晴らしい修行”というものも
ありません。
そこには夫婦それぞれの
赤裸々な世界が衝突するのですから
さまざまに人生の前半に
身に着けてしまった
自分の思いこみや
自分自我のエゴや
コンピレックスや
自分の稚拙さなどが
ぶち壊されていきます。
そういう意味では言えば
家庭はちいさな”社会”
限りなく”破壊の場”です。
自分の感情は容赦なく
相手の攻撃をうけ
グサグサに
傷つくでしょう・・・。
よく
結婚とは”妥協の産物”なんて
言う人がいますが
これまたそれも
”残念なひとびと”の発想で
妥協なんてことをするから
自分を生かせず
相手も生かせず
お互いを
輝かせられないのですね。
私は結婚生活こそ
”創造的破壊の場”だと
思いますよ!
自分のそれまで
つまり
前半の自分の世界が
容赦なく切り崩されて
途方に暮れるけれど
実はそこからが
”本番の人生”が
始まる!
この世の中で
自分の夫
自分の妻
ほど
自分とがっぷりと
横綱相撲を取ってくれるひとは
いない!
自分とさしで斬りあいを
してくれるひとも
いないでしょう!
そして
なぜ自分がその人と結婚したかの
意味
キリスト教でいうと
”秘跡”が
とけてきます。
お互いは
”鏡”です。
そのことに目覚めた人は
たぶん
「残念なひと」には
ならない!
反対に
妥協の産物の人は
自分の夫
自分の妻を
尊敬できるようにはならない。
せいぜい
悪いとこもあるけど
いいとこもある・・・くらいの歩留りで
まーいいかっ、ってな
もんでしょう・・・。
夫が、
妻が、
指摘してくれた
自分のおかしなところ
稚拙なところを
受け入れて
そして夫婦と言えども
チャ―ンと分離する。
お互いへの依存や
心理支配をやめ
お互いを突き放して
そしてそれぞれが
自立する。
その時こそ
お互いの総体が見えてきて
自分にはない世界をもたらしてくれる
逆に
自分の世界を全身で受け止めてくれる
無二の人生の同志として
尊敬がうまれます。
なかなか難しいことです。しかし
自分が輝くという事は
相手を輝かすことでも
あります。
あきらめないで
やり遂げてくださいね。
そうなると
いいね!


よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!