シリーズ「残念なひとびと」・・・次の時代の種は日本人の良心に! |
生きようとするから、
内面の心理にしろ
外的な状況にしろ、
それが壊れることに
大きな恐怖を感じる。
だから一度出来上がったものは、
よほどのことがない限り
それは強化されていっても
なかなか壊すという方には
いかない。
今の日本の現状にしろ
世界の現状にしろ、
以前からその矛盾や病理は
兆候としてサインを出し
ひび割れは続いていたのに
政治も経済もそれにメスを入れられず
カンフル注射ばかりを打ってきた結果が
今だと思う。
明治維新以来の日本の西洋化と
近代化がアジアの中で
日本だけ突出して
出来たのは、
太平洋戦争の敗北で
すべてが物理的に暴力的に
心理的にはいわゆる
“全否定”(根絶やし)されたからで、
それがなかったら
内部の抵抗勢力や
既得権に群がる者や
心理的防衛や保守の強固な砦を
突き崩すことだけで更に
50年100年は
遅れたかもしれない。
今アジアの他の国から
日本は追い抜かれるとか
負けるというような懸念をする人間が
いるが、
アジアの国もイスラムの国も
この日本ほどの壊れようもなく
外部からの変革をしきりに促進しているが
その内部の変革はなかなかできないし
根幹からの近代化も変化も
日本には遠く及ばないと
思いますよ。
アメリカだってピューリタンとして
国を追われ、捨ててきたひとびとだからこそ
西欧保守から解放され
”自由の国アメリカ”になれ。
しかしそのピューリタンリズムが
今のアメリカのな深層心理として
足を引っ張っているところもある。
西欧も第二次世界大戦で
ボロボロになって、しかし
アメリカも西欧連合国も
勝利者となったが故に
壊せなかったものも
失いたくないものもあり
古い意識から抜け出せない国や
人々の甘えがたくさんぶら下がっていて
それがネックになっていると
おもいます。
中国は共産党の強権をもって
ブルトーザーのように
民衆をなぎ倒して近代化を
やっているが、それは日本人のように
内面のビジョンや心理までが変化した
近代化までは至らず、
近代化≒金権へとはしり
中身は旧態のままの張りぼて社会になっているように
私は思う。
このすべてを壊す…という事が
いかに難しく
しかし
壊さないと実は次へと進めない!
それほど過激でなくとも
徐々に変化、改革でいいだろう・・・と
思っていると
いやそう思う人の方が
圧倒的多数であろうが、
ホントはね
そうは甘くないんだね。
内部に病巣を抱えたまま
延々とその病理の中にいる・・・というのも
大変な消耗しか産まない。
そしてそれが戦争という暴力でしか
できえない・・・とも
考えたくないから
なにか別の知恵を必要とする。
人間がなぜ現状維持にはしり
それを強化したり
強固に防衛したりしてしまうかというと
それは
自分の立脚が壊れ
アイデンティティーが壊され
それを失う代わりのビジョンがないからで
その不安と怖れに
どうしても
立ちむかいたくナイ・・・という
深層心理、自己防衛が
働くからです。
12月4日にかいたブログで
人間は、その内部、外部においての
複雑さが現実に対して
限界一杯、
極限になって”死にそう”に
なったとき
”ジャンプ”が起きて進化してきたと
書きました。
それは死ぬ恐怖
失う恐怖
断たれる恐怖の中の
”克服”として追いつめられたときに起きる
大転換です。
ではその時に人間は何を獲得しようとして
その危機に立ち向かったかというと
生き延びて
子孫をつないでいく・・という
”命”の本望です。
”命”の本望とは
ひとつ一つの恐怖
不安、怯えが克服されて
”いのち”が幸福になるという事です。
それまで風雨や自然の恐怖
に雨ざらしされていた命が
四つ這いから二足歩行へと
立ち上がり、大き視界と視野を
獲得し言葉や意識を手に入れ
社会をつくり次に
経済を整え
外部を整えてきた。
それが近代で、
しかし
近代というのは
経済を、富を巡る争いであった。
そして
今、
その経済の範疇では、
命の不安も
怖れも
破滅も
もう限界にきている。
本当は大きなジャンプの時が
迫ってきているのかも
しれない。
いや
まだまだジャンプするには
克服しなければならない課題が
山のようにある。
日本というこの国は
あの”全否定”の敗戦から
失うものうしないながら
そこから
ヨロヨロと世界を手探りしながら
いまだ一部腰が抜けたまま
ここまで来ました。
そこには
自己アイデンティを決定的に
打ちのめされた傷がまだ痛んいるため
いつも
”自信のなさ”を引きずってきた
”日本という国”があります。
今も
そうです。
しかしもう、そろそろ
勇気をもって自己アイデンティーを
打ち立て
打ちだしていかないといけません。
自信を持つ
それには
日本人が考えているビジョン
幸福観を
しっかり検証し
打ち出すことだと
思いますよ!
それと
戦うことも辞さない自信と決意と覚悟!
※
自信のない奴にこそ
その弱みに
闘いを吹っかけるのであり
闘う事も辞さないという
自信のある国には
闘いなど
吹っかけてきません。
今回”幸福の国ブータン”から
国王夫妻が来て
”幸福”という事を
日本人が再び素直に考えることができました。
しかし”ブータン”が果たして幸福なのか…。
きっと幸福なのでしょう。しかし
でも人類が進化していく
”複雑の限界を克服する”という事の
先端を走ってきたこの日本人こそが
実は
「人間の”幸福”を委託されたひとびと」だと
私は
思いますよ。
もしかしたら
この”日本”という国こそが
命の幸福のいちばん近くに
あるかもしれない・・・。
今年の災害と原発事故で
たくさんの犠牲者をだし、また
私たちは多くを失った。
だからこそ
それは
現状維持でもなく
自己防衛の保守でもなく
利権に群がり
過去へと引き戻されない
ジャンプのチャンスです。
今私は日本の現実を突き放して
遠くみています。
現状維持や既得権を
守ることばりに奔走する人間も
逆に
世界先端を懸命に
走っている人間もいます。
一方
じーっと傍観し自己利益のみしか
考えない人間。
そして
刹那的な軽佻浮薄がはびこる文化
人間をモノのよいに扱う
人間喪失の文化と
ビジョンを喪失して
劣化した政治
金融というマネーゲームに踊る
経済も
そして私がひそかに期待している
若者たちの潜在的なポテンシャル
今はじーっと息をひそめて
地下にいるかもしれないけど。
まだまだいろいろあるかもしれないね・・・笑!
それらぜーんぶ
聖も悪も
清も濁も含めて
大きな巨人の時代
封建から解放された近代という巨人が
倒れるときが
近いのかもしれませんね。
でもその救いとなるのは
”日本人の良心”のような気がしないでも
ありません。
私自身はこころの隅のほうで
「そうだろうなあー」と思っています。
もしかしたら破滅寸前に
なるかもしれないけれど
きっと日本人は
その良心において
それをくいとめ、
絶えて消えそうななかから
次の時代の種を拾い出すと
おもいますよ。
その時にはもう
私は死んでいるでしょう。
でも
きっと
そうなると
おもいますよ!
ヤレヤレ
今日も長く書いたなあー・・でも
伝えられて
よかったなあー!
『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!