2011年 12月 14日
シリーズ「残念なひとびと」・・・ほんとうの声、魂の声とは! |
人間は生まれおちた瞬間に他者の掌で
受け止められたとき、はじめて
自分以外の人間の掌の温かさを感じる。
この掌の温かさこそ、他者の
エネルギーで
命は常に
他者とのエネルギーを交換しながら
生きている。
赤ん坊は母親始め他者の体の温かさ(エネルギー)を
感じ取りながら
それが自分に与えられていることを
無意識に感知し、感得し
安心する。
命というものは
命が命を喰らって生きる・・ということも含めて
常に他者のエネルイギーを摂取し
自分のエネルイギーを放出し
自分の内部エネルグーを保持しながら
生きてゆく。
例えば動物は、エサになる動物を探し
追いかけるという自分のエネルギーを
放出しながら、
獲得した獲物を喰らい、
エネルギーを得ていく。
これはきわめて原始的なエネルギーの交換であり、
人間はもっと複雑に
様々に屈折した方法で
相手からエネルギーを摂取し
自分のエネルギーを放出していくから
なかなかその事が見えにくい。
また
意識というものを獲得してしまったから
無意識領域での
エネルイギーの交換,摂取、放出が
残念なことに
自覚できなくなってしまっている。
つまり
人間でも
そういう原始的な
エネルギー交換をしながら生きているだよ!・・・と
いうことがわかっていれば、
それをうまく有効に使うてだてが
見えてくるのであるが、
人間は意識と言葉を獲得した代償として
そういう自分の”原始”性を
”人間のことばによる文脈化の文化”で
巧みに合理化し、加工して、ごまかす術を
手に入れたがゆえに
その原始性の理が
遠くかすんでしまった。
それは弱肉強食という原始的単純さではなく
命という有機生命の
自然の理としてあるのだということが、
人間が他の動物にはない
意識と言葉の文化で
自分達は他の動物たちより
抜きんでた高等ないきものだという
驕りが
実は人間をとんでもない混乱と
苦しみのなかに
追い込んでしまったと
私は思っている。
他の生き物、生命が
自然に、素直に
自己存在の原理に沿って
生きているのにくらべ
科学の追及によって
”生命の原理”の解析をして、
やっと、
人間のことばの文脈で
説明をつけているという
訳ですね。
意識というものは
人間の命を神秘化したその代償として
いちばんたいせつなことを
見失ったのだと
私は思います。
しかし見失ったが故に
人間はさまよいつづけたその
プロセスは
決して無駄なものではなく
生命というものを
解析し、説明をつけてゆくそこことが
きっと将来未来に
大きな貢献を為し得ると
私は思っています。
人間はどこから来て
どこへ行くのか…と
ゴーギャンが絵に記したような
神秘の中(無明)の
彷徨いはやがて
すべてが必然で
宇宙の循環の中に位置づけられたいるという
大きな覚醒が
人間の文脈(言葉)で
尽し切れたときこそ
さらに大きな高水準なる
覚醒が起きると
私はおもっていますけどねえー!
話がずいぶん遠くまできてしまったが
人間の心の奥の奥の奥の底にある
自分の存在は他者との関係性のなかに
位置づけられている・・・という声こそ
人間の”魂”と呼ばれている
人間の自己存在の価値に
覚醒する意識で
だからこそ
人間は
自己も他者もが
救いあげられるような事象には
心を揺すぶられ
感動し
自己のエゴや損得を越えて
そこに自分のエネルギーを
そそごうとする。
人間が自己を超越し
自分の自我の卑小さを越えて
こころが動いたときこそ
その根っこにある
心の奥の奥の奥のそこにある
”本当のこと”へと
しっかり
繋がっているときだと
私は思います。
そしてその魂レベルで
物事を見る能力を
人間が有していること。
しかし
それが
前半の人生の自己防衛やエゴに
その能力が塗り固められていったとき
もはや
こころの奥の奥の
魂の声は
はるか遠くへと
後退し
人間の不安と怖れとエゴの残骸だけが
横たわる人生になってしまのでしょう!
まことに
”残念な”ことですけど・・・。
魂のレベルで
自分も他者もふくめて
人間を信頼し
自分の中に流れる
温かい血(エネルギー)は
いつも
他者と或いは外部世界と
交換されながら
自分を生かしているのだと
自分への
他者への
愛着を
もてると
いいなあー!と
思います。
そういう私で
ありますように・・・(祈)

ほんとうは春にしか咲かない薔薇なのに・・でも
咲いてくれてアリガトウ!
『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
受け止められたとき、はじめて
自分以外の人間の掌の温かさを感じる。
この掌の温かさこそ、他者の
エネルギーで
命は常に
他者とのエネルギーを交換しながら
生きている。
赤ん坊は母親始め他者の体の温かさ(エネルギー)を
感じ取りながら
それが自分に与えられていることを
無意識に感知し、感得し
安心する。
命というものは
命が命を喰らって生きる・・ということも含めて
常に他者のエネルイギーを摂取し
自分のエネルイギーを放出し
自分の内部エネルグーを保持しながら
生きてゆく。
例えば動物は、エサになる動物を探し
追いかけるという自分のエネルギーを
放出しながら、
獲得した獲物を喰らい、
エネルギーを得ていく。
これはきわめて原始的なエネルギーの交換であり、
人間はもっと複雑に
様々に屈折した方法で
相手からエネルギーを摂取し
自分のエネルギーを放出していくから
なかなかその事が見えにくい。
また
意識というものを獲得してしまったから
無意識領域での
エネルイギーの交換,摂取、放出が
残念なことに
自覚できなくなってしまっている。
つまり
人間でも
そういう原始的な
エネルギー交換をしながら生きているだよ!・・・と
いうことがわかっていれば、
それをうまく有効に使うてだてが
見えてくるのであるが、
人間は意識と言葉を獲得した代償として
そういう自分の”原始”性を
”人間のことばによる文脈化の文化”で
巧みに合理化し、加工して、ごまかす術を
手に入れたがゆえに
その原始性の理が
遠くかすんでしまった。
それは弱肉強食という原始的単純さではなく
命という有機生命の
自然の理としてあるのだということが、
人間が他の動物にはない
意識と言葉の文化で
自分達は他の動物たちより
抜きんでた高等ないきものだという
驕りが
実は人間をとんでもない混乱と
苦しみのなかに
追い込んでしまったと
私は思っている。
他の生き物、生命が
自然に、素直に
自己存在の原理に沿って
生きているのにくらべ
科学の追及によって
”生命の原理”の解析をして、
やっと、
人間のことばの文脈で
説明をつけているという
訳ですね。
意識というものは
人間の命を神秘化したその代償として
いちばんたいせつなことを
見失ったのだと
私は思います。
しかし見失ったが故に
人間はさまよいつづけたその
プロセスは
決して無駄なものではなく
生命というものを
解析し、説明をつけてゆくそこことが
きっと将来未来に
大きな貢献を為し得ると
私は思っています。
人間はどこから来て
どこへ行くのか…と
ゴーギャンが絵に記したような
神秘の中(無明)の
彷徨いはやがて
すべてが必然で
宇宙の循環の中に位置づけられたいるという
大きな覚醒が
人間の文脈(言葉)で
尽し切れたときこそ
さらに大きな高水準なる
覚醒が起きると
私はおもっていますけどねえー!
話がずいぶん遠くまできてしまったが
人間の心の奥の奥の奥の底にある
自分の存在は他者との関係性のなかに
位置づけられている・・・という声こそ
人間の”魂”と呼ばれている
人間の自己存在の価値に
覚醒する意識で
だからこそ
人間は
自己も他者もが
救いあげられるような事象には
心を揺すぶられ
感動し
自己のエゴや損得を越えて
そこに自分のエネルギーを
そそごうとする。
人間が自己を超越し
自分の自我の卑小さを越えて
こころが動いたときこそ
その根っこにある
心の奥の奥の奥のそこにある
”本当のこと”へと
しっかり
繋がっているときだと
私は思います。
そしてその魂レベルで
物事を見る能力を
人間が有していること。
しかし
それが
前半の人生の自己防衛やエゴに
その能力が塗り固められていったとき
もはや
こころの奥の奥の
魂の声は
はるか遠くへと
後退し
人間の不安と怖れとエゴの残骸だけが
横たわる人生になってしまのでしょう!
まことに
”残念な”ことですけど・・・。
魂のレベルで
自分も他者もふくめて
人間を信頼し
自分の中に流れる
温かい血(エネルギー)は
いつも
他者と或いは外部世界と
交換されながら
自分を生かしているのだと
自分への
他者への
愛着を
もてると
いいなあー!と
思います。
そういう私で
ありますように・・・(祈)

ほんとうは春にしか咲かない薔薇なのに・・でも
咲いてくれてアリガトウ!
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
by denshinbashira
| 2011-12-14 09:49
| 「残念なひとびと」
|
Comments(2)
自分も他者も信じるというのは、本当に難しいことだと思います。
私も何かしたあとに、信じられたことと信じられなかったことと顧みて、ああ、また信じられなかった、だめだなー臆病だなーって思います。肝がすわってないんですね・・・
そういうことを少しずつ変えてみると、相手の態度もかわってきます。
前は、話したいことも聞きたいことも果たせず会話を終えてしまっていたのが、自然に本質の会話が出来て、本当にすばらしいです。
穏やかに、しかし、目的はきちんと達成できるのです。
あと、無意識部分を意識下にもっていくことを心がけてます。
そうすると、解決したいことがたくさん出てきて、あー私なにも出来ないな、だめだなって思います・・・笑
あと、やっとやりたいことというか、この人のもとで勉強したいって人が見つかって、行きたい大学がみつかりました。すごく嬉しいです。
それから朝にバイトを始めました。
こうやって自分で行動して、自分で闘うのは、すがすがしくて気持ちいいです。
また、ご報告してしまいました笑
目、大事になさってください。
私も何かしたあとに、信じられたことと信じられなかったことと顧みて、ああ、また信じられなかった、だめだなー臆病だなーって思います。肝がすわってないんですね・・・
そういうことを少しずつ変えてみると、相手の態度もかわってきます。
前は、話したいことも聞きたいことも果たせず会話を終えてしまっていたのが、自然に本質の会話が出来て、本当にすばらしいです。
穏やかに、しかし、目的はきちんと達成できるのです。
あと、無意識部分を意識下にもっていくことを心がけてます。
そうすると、解決したいことがたくさん出てきて、あー私なにも出来ないな、だめだなって思います・・・笑
あと、やっとやりたいことというか、この人のもとで勉強したいって人が見つかって、行きたい大学がみつかりました。すごく嬉しいです。
それから朝にバイトを始めました。
こうやって自分で行動して、自分で闘うのは、すがすがしくて気持ちいいです。
また、ご報告してしまいました笑
目、大事になさってください。
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natsume さま。ご報告嬉しいです。少しずつ前進ですね!

