シリーズ「残念なひとびと」・・・命がよろこぶ! |
自分の自然性がぶり返し
その自然性にそって生きれば
それまで、できなかったことができてきたり
逆に思いがけない自分の才能を発見したり
楽しいよ!と
昨日書きましたが、
50過ぎくらいから
生物や物理など科学の本を
読み始めたら
なんとその世界の素晴らしいこと。
そしてそこは
未知の世界が解明されていく
わくわく感だけではなく
文学のように
物語も抒情もあり
キラキラ輝いている。
わたしも幼児の時から
親にガチガチに管理されて
最初から
音楽、芸術、文学の枠で囲まれ
それ以外はほとんど自分の埒外としてあり
物理などはほんとに興味がわかず
高校のときは赤点すれすれの成績でした。
しかしもし
親が私をいじくらず
私の自然性にそって
育ててくれたら、
もしかしたら
もっと若い、幼い時期に
そういう分野にも興味をもって
突っ込めたかもしれない・・・と
残念です。
まあ残念ですけど
欲張っちゃーいけないかぁー・・・笑!
でも前半の人生で獲得したことに
後半では自分に欠けていた部分を
どんどん付け加えができたからこそ
人生が立体的になり、
じぶんが完成していくのかもしれません。
昨日夜中に目が覚めて
眠れなくなったのだけれど
眠れない自分と
眠りたい自分がいて
おもしろいなあーと
思い始めた。
自分の意識は、
眠りたいのだけれど
自分の体は眠らない。
いったい自分とはなんなのだろと
思う。
意識の中には
無意識のなかにある
眠れないことに対する不安を
釣り上げていて
それを身体が感知して緊張しているから
それが悪循環しているのだと
思うが、
それは
頭の中は
眠れない、眠りたい、という
人間の不安の文脈で綴られているが
身体のほうは
不安で緊張が起きて
ホルモン分泌がそうなっているという
物理的なだけの
話で
意識で体をコントロールしようとすればするほど
ドツボに嵌まっていくんだね。
そうピンときて
いいや
自分の自然性に任せよう・・と
思ったら
いつのまにか寝ていた。
人間が獲得してきた文化の半分は
生きもの、動物としての
”生きものは生き物を喰らっていきる”という
宿命がベースにあるから、
人間どおしを束縛し
脅し、お互いを管理することから
出発している。
だから
出来るだけすべてを
コントロールして
不安を払拭しようとするが
そこが
傲慢というか
思い違いなんだと
おもいます。
人間は無意識に行ってる
行為、行動のほうが
圧倒的に多く
意識的行為なんかほんとに少しです。
なのに・・・。
そして意識は常に無意識の反作用にあり、
私たちは常に
無意識を釣りながら
生きている。
意識も無意識もより不安の方を
強く意識するように
思います。
まあ脳の回路は危機のほうが
強い電流が走しり
心理に刻印されるのだと
思います。
まあ、そもそも意識とは
人間にとって
どういう必然によって
生まれてきた機能か・・?
そこんとこの研究もきっと
進められているのでしょうが・・・。
だから意識(無意識)が思いこんだ不安の根拠を
といてあげれば
かなり楽になる。
まあ―それが
カウンセリングですけど。
そして
意識(無意識)を有効に使う。
自分の無意識にある不安を取り除き
今度は逆に
意識を使って自分の生き方を
構築していく。
その時の基準は
”楽しい”です。
自分の自然性と
意識(無意識)との差が小さければ小さいほど
楽にいきれる。
ほんとに
人間は
複雑です。
自然性とは、自分の命がよろこぶ
命がいきのびようとすることだと
私は勝手にそう思いこんでいます・・・!!
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● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
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