2012年 01月 04日
シリーズ「残念なひとびと」・・・だれでも才能にあふれている。 |
町は才能にあふれている・・・と
書きましたが、
それは≒人間は
才能にあふれているという事でも
あります。
私たちはいつも自分では気づかずに
無意識のなかの才能をつかい
いとも簡単に
凄いことを
成し遂げながらいきています。
昨年の夏行った
北海道のガーデニング園では
デザインされ整えられたガーデンより
パートのおばさんや農家のおばさんが
造った紫竹ガーデンのほうが
デザインを越えて
おもしろかったし
そこにある”こころ”を
感じました。
そこにあったのは
デザインを見せてやろうという
お客をコントロールしようという事より
もてなしたい・・という
こころだったからではないかと
私は思います。
人間(専門家)が意図的に造りそれが
素晴らし水準に達したしたものは
たいてい
その製作過程で
人間が意識のボーダーを越えて
無意識領域まで没入したとき(無心)に
出来たもので
意識と無意識の合作が
それを成し遂げていきます。
まあそういう素晴らしいものには
なかなかお目にかかれませんが・・・。
そうでなくとも
私たちがごく普通に
無意識と意識の合作を
成し遂げていることが
あります。
それは私たちの
”おしゃべり”です。
人間は気づかずに
常に無意識を釣り上げながら
生きています。
無意識の中には
意識していないたくさんのデーターが
”混沌”というまぜこぜの状態であり
その”混沌の壺”といいますか
”混沌の海”といいますか
自分と相手を包括しながら
自分の意志を伝えていくために
常にそこに照らし合わせながら
データーを釣り上げながら
わたしたちは
瞬時に言葉を造りだし
”お喋り”をしているのです。
それもすごい才能だと
おもいませんか・・・!!
まあ人によっては
相手を包括できず
自分のことばかり話す人もいますがねー・・・・笑!
おそらくそれはどんなデザイナーも
作家も成し遂げられないような
作品を
私たちは日々吐き出している!
子どもの描く絵が素晴らしいのは
この無意識と意識の合作が
ごく無防備に行われるからです。
この意識と無意識の共同作業は
自我に垢や汚れがついて
防衛意識が高いと
どんどんそこに無駄な防衛作為が
ついてきて
意識が無意識を
だんだんがんじがらめに
してゆきます。
大人の描く絵がつまらないのは、
防衛が強すぎて
自分が死んでしまうからだと
おもいます。
逆に防衛意識が融けて
無防備になり
無意識領域へと入ってゆくのが
いわゆるフロー状態で
我を忘れて没入する・・・ということです。
そうなると
無意識からどんどんデーターや方法が
上がってくる状態
才能の開花状態です。
世にいう天才というのは
こういう自我の防衛がとけて
作品やモノづくりに没入する人のことかも
しれませんが、
しかし
彼らが遠く天高きところに
いる人かというと
そうではありません。
わたしたちと
さほど
変らないと
思いますよ。
カウンセリングで
そのひとの防衛の鎖を解いてゆくと
その人がだんだん
生き生きしてきます。
それは
防衛意識で
自分を縛り上げていた鎖が
解けることで
その人のなかにある
本来の才能や
その人が懸命に
収集したデーターが
無意識から
あがってくるからです。
エネルギーが湧き
自分の中にあるものに
目覚め始める・・・とでも
いいましょうか。
みんながそうなると
なんとすごいことが
起るんだろうと
思います。
しかしそれには
社会が成熟し
社会の防衛が取れていかないと
なかなか難しいです。
社会全体が覚醒していかないと
ダメなんですね。
覚醒するとは
明らかに
されていくことです。
あの宮澤賢治も
そう言ってましたね。
まあ余談ですが
私は日本の社会はそういう意味では
世界の先端を行っていると
思いますよ。
ただ周囲の国はそうではありませんから
日本はその成熟さに気づき
日本が自信にあふれていないと
逆にやられてしまうかも
知れませんね。
内省的で
自己罰しの強い日本は
強欲や
支配、征服欲に駆られている
未成熟な国のほうが
凄い・・・と
いまだに
思い込んでいますからねえー!
他者評価にばかりたより
自分がみえていない
状態です。
ああそうだ
そういう時にこそ
意識が必要なんです。
無意識は無防備で、
そこが弱点なんですが
無防備の無意識の中の
不安が解決し
意識がそれを理解した途端に
無意識を強固に
してくれます。
誰でもきっと経験があると
おもいますが
なんとなく
漠然としていたことが
明確になったとき
ああーそうかあーと
わかって
それがストンと胸に落ちます。
つまり無意識の中にあったものを
意識が理解したという事ですね。
自分が理解し
納得していくと
自分のなかの無意識の
メッセージが
理解されてきます。
つまりものごとの整合性が
見えてくる。
そして
無意識の受け皿として
OKがでると
今度はそのルートを使って
無意識にあるデーターが
流れこんでくる。
OKが出るということは
意識のチェックの鎖が
外れたという事です。
意識のチェックがとれるとは
意識の中の不安や怖れなどの
自我の垢が取れたということです。
そして
胸にストンと落ちた途端に
迷いが消え
身体の呼吸が深くなり
自分が安定する。
そうなると
強いでしょ!
そうなると臍下丹田に
重心が据わり
アタマが首の上に
しゃんと
乗ってくる。
混沌としてある
無意識の海のなかのデーターが
意識にとって
明確になると
そこから
客観的な
全体が見えてくる。
そうなると
意識は
とても力強い相棒です。
ああー
自分のこと、
人間のことを
ここまでは
わかったぞ!・・・と
自分の中の感情エネルギーを
コントロールしてくれます。
明確になったものを
今度は脳が意識的に
使いこなしていきます。
つまり自分という船の
方向をわきまえた
船長さんになる。
日本も
日本という国がになう
世界の中の役割を
しっかりと
自覚できたとき
自信にあふれて
仕事のできる国に
なるでしょう。
今はまだまだ
世界という亡霊に怯え
アメリカに依存し
自己防衛の
盲目のなかにいますけど・・・・。
武器は軍じゃなくて
”知”です。
話がそれちゃったけど
自分の中に既にあるものを
溢れさすためには
不安や防衛の思い込みの
鎖を解くこと
自分の中にある不安や怖れの
正体を突き止めで
安心することだと
おもいますよ・・・。
そして自我を磨く!
そうなると
いいね!

『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
書きましたが、
それは≒人間は
才能にあふれているという事でも
あります。
私たちはいつも自分では気づかずに
無意識のなかの才能をつかい
いとも簡単に
凄いことを
成し遂げながらいきています。
昨年の夏行った
北海道のガーデニング園では
デザインされ整えられたガーデンより
パートのおばさんや農家のおばさんが
造った紫竹ガーデンのほうが
デザインを越えて
おもしろかったし
そこにある”こころ”を
感じました。
そこにあったのは
デザインを見せてやろうという
お客をコントロールしようという事より
もてなしたい・・という
こころだったからではないかと
私は思います。
人間(専門家)が意図的に造りそれが
素晴らし水準に達したしたものは
たいてい
その製作過程で
人間が意識のボーダーを越えて
無意識領域まで没入したとき(無心)に
出来たもので
意識と無意識の合作が
それを成し遂げていきます。
まあそういう素晴らしいものには
なかなかお目にかかれませんが・・・。
そうでなくとも
私たちがごく普通に
無意識と意識の合作を
成し遂げていることが
あります。
それは私たちの
”おしゃべり”です。
人間は気づかずに
常に無意識を釣り上げながら
生きています。
無意識の中には
意識していないたくさんのデーターが
”混沌”というまぜこぜの状態であり
その”混沌の壺”といいますか
”混沌の海”といいますか
自分と相手を包括しながら
自分の意志を伝えていくために
常にそこに照らし合わせながら
データーを釣り上げながら
わたしたちは
瞬時に言葉を造りだし
”お喋り”をしているのです。
それもすごい才能だと
おもいませんか・・・!!
まあ人によっては
相手を包括できず
自分のことばかり話す人もいますがねー・・・・笑!
おそらくそれはどんなデザイナーも
作家も成し遂げられないような
作品を
私たちは日々吐き出している!
子どもの描く絵が素晴らしいのは
この無意識と意識の合作が
ごく無防備に行われるからです。
この意識と無意識の共同作業は
自我に垢や汚れがついて
防衛意識が高いと
どんどんそこに無駄な防衛作為が
ついてきて
意識が無意識を
だんだんがんじがらめに
してゆきます。
大人の描く絵がつまらないのは、
防衛が強すぎて
自分が死んでしまうからだと
おもいます。
逆に防衛意識が融けて
無防備になり
無意識領域へと入ってゆくのが
いわゆるフロー状態で
我を忘れて没入する・・・ということです。
そうなると
無意識からどんどんデーターや方法が
上がってくる状態
才能の開花状態です。
世にいう天才というのは
こういう自我の防衛がとけて
作品やモノづくりに没入する人のことかも
しれませんが、
しかし
彼らが遠く天高きところに
いる人かというと
そうではありません。
わたしたちと
さほど
変らないと
思いますよ。
カウンセリングで
そのひとの防衛の鎖を解いてゆくと
その人がだんだん
生き生きしてきます。
それは
防衛意識で
自分を縛り上げていた鎖が
解けることで
その人のなかにある
本来の才能や
その人が懸命に
収集したデーターが
無意識から
あがってくるからです。
エネルギーが湧き
自分の中にあるものに
目覚め始める・・・とでも
いいましょうか。
みんながそうなると
なんとすごいことが
起るんだろうと
思います。
しかしそれには
社会が成熟し
社会の防衛が取れていかないと
なかなか難しいです。
社会全体が覚醒していかないと
ダメなんですね。
覚醒するとは
明らかに
されていくことです。
あの宮澤賢治も
そう言ってましたね。
まあ余談ですが
私は日本の社会はそういう意味では
世界の先端を行っていると
思いますよ。
ただ周囲の国はそうではありませんから
日本はその成熟さに気づき
日本が自信にあふれていないと
逆にやられてしまうかも
知れませんね。
内省的で
自己罰しの強い日本は
強欲や
支配、征服欲に駆られている
未成熟な国のほうが
凄い・・・と
いまだに
思い込んでいますからねえー!
他者評価にばかりたより
自分がみえていない
状態です。
ああそうだ
そういう時にこそ
意識が必要なんです。
無意識は無防備で、
そこが弱点なんですが
無防備の無意識の中の
不安が解決し
意識がそれを理解した途端に
無意識を強固に
してくれます。
誰でもきっと経験があると
おもいますが
なんとなく
漠然としていたことが
明確になったとき
ああーそうかあーと
わかって
それがストンと胸に落ちます。
つまり無意識の中にあったものを
意識が理解したという事ですね。
自分が理解し
納得していくと
自分のなかの無意識の
メッセージが
理解されてきます。
つまりものごとの整合性が
見えてくる。
そして
無意識の受け皿として
OKがでると
今度はそのルートを使って
無意識にあるデーターが
流れこんでくる。
OKが出るということは
意識のチェックの鎖が
外れたという事です。
意識のチェックがとれるとは
意識の中の不安や怖れなどの
自我の垢が取れたということです。
そして
胸にストンと落ちた途端に
迷いが消え
身体の呼吸が深くなり
自分が安定する。
そうなると
強いでしょ!
そうなると臍下丹田に
重心が据わり
アタマが首の上に
しゃんと
乗ってくる。
混沌としてある
無意識の海のなかのデーターが
意識にとって
明確になると
そこから
客観的な
全体が見えてくる。
そうなると
意識は
とても力強い相棒です。
ああー
自分のこと、
人間のことを
ここまでは
わかったぞ!・・・と
自分の中の感情エネルギーを
コントロールしてくれます。
明確になったものを
今度は脳が意識的に
使いこなしていきます。
つまり自分という船の
方向をわきまえた
船長さんになる。
日本も
日本という国がになう
世界の中の役割を
しっかりと
自覚できたとき
自信にあふれて
仕事のできる国に
なるでしょう。
今はまだまだ
世界という亡霊に怯え
アメリカに依存し
自己防衛の
盲目のなかにいますけど・・・・。
武器は軍じゃなくて
”知”です。
話がそれちゃったけど
自分の中に既にあるものを
溢れさすためには
不安や防衛の思い込みの
鎖を解くこと
自分の中にある不安や怖れの
正体を突き止めで
安心することだと
おもいますよ・・・。
そして自我を磨く!
そうなると
いいね!

『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
by denshinbashira
| 2012-01-04 06:10
| 「残念なひとびと」
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