2012年 01月 06日
シリーズ「残念なひとびと」・・・人間は本来クリエイティヴなのだから! |
人間は自分では気づいていないが
生きることそのものが
常にクリエイティヴで、
その典型がおしゃべりであると
書きました。
今日はそのことをもっと進めて
書いてみようと
思います。
うまく書けるかなあ・・・?
人間がおしゃべり、
話をするときには
常に
相手の動向を伺いながら
相手の言葉を聴き
単にその言葉を返すだけでなく、
相手にその言葉を
受け取ってもらえように
また、反対に自分の伝えたいことを
どう言葉に載せたらいいかを
瞬時に図りながら
話します。
凄いでしょ!
それは人間が
無意識に
混沌としてある自分の内部を
”言葉”というものに
加工して
いったん自分の内部からだし
それを相手(外部世界)との関係の中で
突き合わせ
更に相手の反応を見ながら
自分のことばを
生成していくという
とてもクリエイブな作業です。
そこにはいつも
自分と向き合う
外部世界があるからこそ
自分の内部で混沌として
ぼんやりとしていたものが
外部世界と突き合う中で
明らかにされていくという事です。
そして明らかさにされたものが
意識されていきます。
そうして
自分というも者も
明らかにされて
いくんですね。
この
ことばを外にだすということが
とても大切なことで
私は
「光の中にだす」
と
言っています。
ことばだけでなく
人間は常に自分の内部エネルギーを
外に出しては
外部反応を感じとり、
それをまた自分の中に取り入れて
生きています。
そしてもっとすごいのは
人間はそうしながら
常に外部に反応しては
自分の内部を常に
書き換えているのです。
つまり
これを書いている一瞬前の私と
書いた後の一瞬後の私とは
脳の中が
書き換えられた
わたしが
今いる…という事です。
私の内部にあったことが
この言葉になって外に出た瞬間に
わたしはその言葉を文を文脈を
意識します。
その瞬間に私の脳の中は
書き換えられている…という訳ですね。
誰でもそうですが、
自分が話す言葉を
前もって用意しながら
相手とは
話していません。
話す、しゃべるとは
相手との阿吽の呼吸の中で
瞬時に
無意識のところにある
自分の内容を
釣り上げながら
即興的に言葉に
加工していくんですね。
まあ
演説とか
講演とか・・・いう
まえもって用意されたもだって
素晴らしい人は
メモ書きくらいで
あとは聴衆と向き合いながら
しゃべることが
出来る人です。
余談ですが
官僚の書いた作文を
読み上げる時点で
その政治家が
いかに自信がないかです・・・。
つまり意識しているけど
なんとなくもやもやとして
釈然としていないこと
或いは
意識ではある程度分かっていても
なんとなく
それだけでは解決しない
どこか
合点がいかない・・など
も
意識でやろうとすると
そこに限界を感じてしまうのが
当たり前で
人間はたいがいの事を
無意識でやり
無意識のところにこそ
その人のデーターや
認識
認知が
カオス状態であるんですね。
そして
それも
その人固有のカオスの海というか
カオス壺というか・・・・
そういう宝の箱ナンですぞ!
例えば対人でも
この人なんとなく〇〇だなーと
感じていたのが
時間の経過とともに
ああーやっぱりそうだったのか・・と
いうようなこととか
その他のことでも
なんか
違和感があるなあーと
おもってたら
やっぱり自分はそれを
のぞんでいなかったと
あとで納得するとか・・。
逆になんとなく大丈夫だと
おもっていたら
やっぱり大丈夫だったとか
そういうことばや目では
意識できないことも
ちゃんと自分の無意識は
感じとっているのですね。
それともう一つ大切なこと、
それは人間は常に
変化しながら生きている…という事です。
意識ではその変化を感じられなくても
無意識領域は
確実に変化してゆきます。
だから霊とか守護霊とか
過去生とか
そういうものは
有りえない。
そういうものは
人格が変化しないことが
前提だからです。
逆にそういうものに依存せず
”今”を精一杯いきることこそ
明日につながります。
人生は自分で創造するものなんです。
つまり
自分の内部が変わってくれば
外部世界も変わってきます。
自分の内部に毒や怨念を
溜めこんでいると
それは自分を自家中毒にしかしないから
苦しい。でも
それを外に出すこと
”光のなか”にだすことにより
それが外部のちからで
浄化されていく。
カウンセリングはまさに
そういう事なんですね。
自分の中に或るものを
いったん言葉にして
外在化して眺めてみる。
そうして外に出して
カウンセラーという
客体の目と突き合わせ
客観的に見てみると
自分のその狭い内部で
自分の意識の言葉でしか
説明がつかなかったことが
もっと大きな視野から
検証されていきます。
更にその自分の内部に
はびこった毒や怨念が
果たして自分本来のものか
思い込まされたものかが
自分の感覚で
明らかにされていきます。
つまり
もしその毒や怨念が
自分本来のものであれば
それに苦しめられることは
ありませんから
自分本来のものでない・・と
理解した途端に
胸の中のものが
ストンと
おちます。
まあー言っちゃえばね、
そういうものは
すべて
思いこまされたものなんですね。
つまり自分の中の異物です。
だから
苦しいのです。
だからこそ
吐き出して
正体を見きわめと
自分と分離させる!
そして
スタスタと
自分本来が持っている
生命エネルギーを
生きる。
人間は
本来
クリエイティヴなのですから
ね・・・。

『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
生きることそのものが
常にクリエイティヴで、
その典型がおしゃべりであると
書きました。
今日はそのことをもっと進めて
書いてみようと
思います。
うまく書けるかなあ・・・?
人間がおしゃべり、
話をするときには
常に
相手の動向を伺いながら
相手の言葉を聴き
単にその言葉を返すだけでなく、
相手にその言葉を
受け取ってもらえように
また、反対に自分の伝えたいことを
どう言葉に載せたらいいかを
瞬時に図りながら
話します。
凄いでしょ!
それは人間が
無意識に
混沌としてある自分の内部を
”言葉”というものに
加工して
いったん自分の内部からだし
それを相手(外部世界)との関係の中で
突き合わせ
更に相手の反応を見ながら
自分のことばを
生成していくという
とてもクリエイブな作業です。
そこにはいつも
自分と向き合う
外部世界があるからこそ
自分の内部で混沌として
ぼんやりとしていたものが
外部世界と突き合う中で
明らかにされていくという事です。
そして明らかさにされたものが
意識されていきます。
そうして
自分というも者も
明らかにされて
いくんですね。
この
ことばを外にだすということが
とても大切なことで
私は
「光の中にだす」
と
言っています。
ことばだけでなく
人間は常に自分の内部エネルギーを
外に出しては
外部反応を感じとり、
それをまた自分の中に取り入れて
生きています。
そしてもっとすごいのは
人間はそうしながら
常に外部に反応しては
自分の内部を常に
書き換えているのです。
つまり
これを書いている一瞬前の私と
書いた後の一瞬後の私とは
脳の中が
書き換えられた
わたしが
今いる…という事です。
私の内部にあったことが
この言葉になって外に出た瞬間に
わたしはその言葉を文を文脈を
意識します。
その瞬間に私の脳の中は
書き換えられている…という訳ですね。
誰でもそうですが、
自分が話す言葉を
前もって用意しながら
相手とは
話していません。
話す、しゃべるとは
相手との阿吽の呼吸の中で
瞬時に
無意識のところにある
自分の内容を
釣り上げながら
即興的に言葉に
加工していくんですね。
まあ
演説とか
講演とか・・・いう
まえもって用意されたもだって
素晴らしい人は
メモ書きくらいで
あとは聴衆と向き合いながら
しゃべることが
出来る人です。
余談ですが
官僚の書いた作文を
読み上げる時点で
その政治家が
いかに自信がないかです・・・。
つまり意識しているけど
なんとなくもやもやとして
釈然としていないこと
或いは
意識ではある程度分かっていても
なんとなく
それだけでは解決しない
どこか
合点がいかない・・など
も
意識でやろうとすると
そこに限界を感じてしまうのが
当たり前で
人間はたいがいの事を
無意識でやり
無意識のところにこそ
その人のデーターや
認識
認知が
カオス状態であるんですね。
そして
それも
その人固有のカオスの海というか
カオス壺というか・・・・
そういう宝の箱ナンですぞ!
例えば対人でも
この人なんとなく〇〇だなーと
感じていたのが
時間の経過とともに
ああーやっぱりそうだったのか・・と
いうようなこととか
その他のことでも
なんか
違和感があるなあーと
おもってたら
やっぱり自分はそれを
のぞんでいなかったと
あとで納得するとか・・。
逆になんとなく大丈夫だと
おもっていたら
やっぱり大丈夫だったとか
そういうことばや目では
意識できないことも
ちゃんと自分の無意識は
感じとっているのですね。
それともう一つ大切なこと、
それは人間は常に
変化しながら生きている…という事です。
意識ではその変化を感じられなくても
無意識領域は
確実に変化してゆきます。
だから霊とか守護霊とか
過去生とか
そういうものは
有りえない。
そういうものは
人格が変化しないことが
前提だからです。
逆にそういうものに依存せず
”今”を精一杯いきることこそ
明日につながります。
人生は自分で創造するものなんです。
つまり
自分の内部が変わってくれば
外部世界も変わってきます。
自分の内部に毒や怨念を
溜めこんでいると
それは自分を自家中毒にしかしないから
苦しい。でも
それを外に出すこと
”光のなか”にだすことにより
それが外部のちからで
浄化されていく。
カウンセリングはまさに
そういう事なんですね。
自分の中に或るものを
いったん言葉にして
外在化して眺めてみる。
そうして外に出して
カウンセラーという
客体の目と突き合わせ
客観的に見てみると
自分のその狭い内部で
自分の意識の言葉でしか
説明がつかなかったことが
もっと大きな視野から
検証されていきます。
更にその自分の内部に
はびこった毒や怨念が
果たして自分本来のものか
思い込まされたものかが
自分の感覚で
明らかにされていきます。
つまり
もしその毒や怨念が
自分本来のものであれば
それに苦しめられることは
ありませんから
自分本来のものでない・・と
理解した途端に
胸の中のものが
ストンと
おちます。
まあー言っちゃえばね、
そういうものは
すべて
思いこまされたものなんですね。
つまり自分の中の異物です。
だから
苦しいのです。
だからこそ
吐き出して
正体を見きわめと
自分と分離させる!
そして
スタスタと
自分本来が持っている
生命エネルギーを
生きる。
人間は
本来
クリエイティヴなのですから
ね・・・。

『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
by denshinbashira
| 2012-01-06 10:45
| 「残念なひとびと」
|
Comments(1)
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

