シリーズ「残念なひとびと」・・・オモシロけりゃ・・・・? |
私も家事の手を止めて
ちょっと覗いてみた。
それは鳥越俊太郎さんが司会で
ワイドショーなどでコメンテイタ―を
やっている人たちのトークショウでした。
私が名前を知っているのは
政治記者の後藤謙次さんと
白川さんという経済関係のひとで
あとは
女性ひとりと
なにやら頭の固そうなオッサン
それとその出演者たちから
しきりに批判されている
イノコさんという
若い、ちょっといじけた顔の
男性だった。
話は日本が蘇るのは
モノづくり日本復権とかいう話で
その時記者上がりの後藤氏が
「IT産業だって・・・」と
知ったかぶりで批判していたら
思わず父ちゃんが
「バカいってんじゃあない」と
めずらしく怒鳴った。
どうも話の筋から
イノコさんという青年以外は
物づくり日本再生に
価値を見出しているらしく
イノコさんに
そうじゃないかー・・とせまったら
イノコさんが
まあーそれも
オモシロけりゃーいいですけど・・と
返した。
おじさんやおばさんの話を聞いていると
物を作ること
それも類を見ない素晴らしい
日本の技術者たちの
日本の力としての
物づくり日本を再興する・・ということが
未来へとつながる・・という
ことだったが
イノコ青年はそういうことには
もう醒めていて
物は作っても
造らなくてもどっちでもいいけど
それが
おもしろけりゃーいいんじゃない・・・という
スタンスが
顰蹙をかって
責められたいたよう
でした。
でも私は
イノコさんのスタンスのほうがいいなあーと
おもいます。
確かに日本の技術も
技術者も世界ではトップだと
思いますし
それもとても
素晴らしいことだとも
思います。
しかし
もう時代は
物づくり文化を
通り過ぎて
次へと移行しているように
思う。
物を作ることを
”目的化”
した価値観は
若者達のなかでは低く
たぶん崩れていくと思います。
おじさんたちは
”物を作ること”が
すばらしい
或いは
素晴らしいものを
”作れること”
その”技術力”が・・・と
思い込んでいて
イノコさんの
物を作ることが
おもしろけりゃー・・・という
きわめて単純な価値に
ものづくりを収斂させていくことが
オモロクないらしい。
イノコさんは
ものを作るときの
”動機づけ”のほうが
問題だ・・・といっているのに
どうしてもそれが
理解できないようでした。
おじさんたちの価値観として
或いはものの見方として
技術を磨き
世界に誇るものを作ることは
ただ単にオモロイから作っただけじゃー・・
あまりにうすっぺらすぎる・・・のかもしれませんね。
その動機付けにしても
もっと重層的に付加価値をつけてないと
重みがない・・・と感じるのでしょう。
例えば
社会のため
人類のため
世界に羽ばたく日本の復権のため・・とか
いろいろつけたいのでしょう。
しかしそういう老人たちの深層心理には
”物”によって
自分達が満たされてきたが故に
”物”に投影して
自分を価値づける・・・という
心理投影があります。
ちょっと難しいいかなあー
つまり
物がない時代に生まれ
豊かさは物の所有量で計るという
物に投影した自分があって
だから
物そのものに価値があり
所有することにも
消費することにも
価値があり
自己認知を
モノを通して
求めていたからです。
物がないと不安に襲われるから
お金を使わずに貯めて貯めて
できたらそれも使わず
それでも年金で・・という
老人たちの深層心理は
物質依存や
物質神経症になっちゃた老人達とでも
いいましょうか、
そういう人たちが
今頃ダンシャリとか
言い出してもねえー・・・?
若い世代は
物が溢れ
物に対する欠乏意識が
あまりないのでしょう。
そえれよりもっと深刻なのは
彼らの心理的よりどころが
ないことです。
しかしそれも
自分達で”物文化”に
代る価値を捜し出す
或いは創り出していかないと
いけません。
団塊世代以上の老人たちが
自分達の価値観として
物をつくり、さらに
水準のたかい物を作ってゆくことに
心血を注いだように
若者も
自分達の創造性をいかに発揮して
あたらしい時代をつくるかを
模索しないければ
ならないと思います。
そして”おもしろい”という
その動機付けは
”物”という自分の外側にあるものに
投影するのではなく
自分の内部に光を刺しこもうと
するものでしょう。
自分が生きることそのものに
価値を見出す時代にはいってきたなーと
私は思います。
自分がどう生きるかという
主体の選択こそが
人間の存在に対しての
普遍性を見いだせる時代に
入ったのだと
思います。
物を超越して
彼らが獲得したい
自分にとって
たのしいから
オモロイからというのは
”物”という間接的な自己表現ではなく
人間の、
自分の、
情動に直裁された何かを
物やほかのなにかを通して
創造していこうとするものであると
思います。
その先になにがあるかは
まだまだ見えてきてはいませんが
物質を追及して
地球の物質を食いつぶすののではなく
化石燃料を使い尽すのではない
人間がもっと高い水準に
移行とするものであると
いやあってほしいと
私は思います。
物ではなく
もっと人間の心が
みたされるものは
なにか・・・?
そうなると
いやがうえにも
人間の幸福を
社会も
企業も
追究しないと
立ちいかなくなるし
その根底に在るのは
ひとりひとりが
自分の生きがいにおいて
働き生産する。
この生産するという事も
物質を生産する…という事では
ないかもしれません。
それは
物質を媒介にした
序列社会や
規範社会の
呪縛から
解放されていくことでも
あります。
そこには
資本主義がどうにもこうにも
腐りきって立往生している
現実のなかで
安定した秩序としての
三角ヒエラルヒ―の
資本主義階級社会が
もうぶっ壊れてしまい
そのあとに来るのは
先日書いたような
IT戦国時代になるかもしれません。
自分の才格や才能を駆使しないと
生き残れない厳しい社会であり
だからこそ
義務感や
序列拝跪を排した
もっと人間の根源的欲求である
たのしい
や
オモロイ・・と
いうところに
創造のモチベーションがおかれ
にんげんひとり一人の
輪郭がはっきりとなり
今までのように集団、
"マス"に
吸収されない人間の社会
かもしれません。
物の所有をめざして
組織の中で耐え
滅私奉公して
社会を構築してきた
団塊の世代には
そのはざまをうろつく若者は
耐えられないくらいの
怠け者社会に見えるかもしれませんが
少なくとも
自分が自分に責任を持たなければ
生きていけないことが
必須の
別の意味で厳しい
社会がくると
思います。
その時もっとも
自分を突き動かし
生産性や創造性のエネルギーを
発火させるのは
楽しい
オモロイ
でしょう。
自分がフローの時こそ
創造的能力が
開花します。
苦しいけど
自分が何をしたいのか
わからないでこころが
淀み続けるけど
でも
じぶんに正直にいきたい、
先が見えず
悪戦苦闘して
収入はぎりぎりだけど・・・という
若者の中のほうにこそ
私は未来が芽吹くように
思います。
もしかしたら
今はその過渡期の
倦怠が吹き荒れているのかも
しれません。
しかし
溢れる情報の海のなかに
溺れそうになりながらも
今まで見たこともない
あたらしい
可能性の類型が
無限に
現出してくるかもしれない中を
若者が
青年が
女子たちが
なにか
自分のオモロイが響くのを
手がかりに
あたらしい時代の
扉をを叩いているのでしたら
それはそれで
素晴らしいと
思います。
時代というのは
前進しては、
反動がきて
混乱しながらも
一歩前へ進むと書きました。
これからはきっと
大変な時代になると思います。
しかし大変な中からこそ
創造性が発揮されてきます。
安泰な
ぬるま湯の中からは
創造性は出てきません。
経済もビジョンも
行き詰まるなかからこそ
今までにない
新しい創造性を持った人間が生まれ
あたらしい価値が生まれ
あたらしいビジョンが
生まれてきます。
人間は常に変化し
そして常に新しく
生き延びて来ました。
そこには生きて死ぬという
一回きりの
命の輝きがあります。
そのいのちを
楽しく
オモロク
燃やせれたら
と
思います。

『伝心柱マガジン』もやっちょります。
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● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
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