シリーズ「残念なひとびと」・・・澱みはいずれ澄んでくる。 |
風のような文を書きたいと
毎日頑張って
このブログを書いているのだが、
でもやはり
80歳を越えた加島祥造さんの文には
かなわない・・・!
おそらく御年88歳になられたと
思う。
私は今、最後の仕事として
自分の中の汚れやよどみを取るべく
朝夕の祈りの中で
ノートに
『私の中の憎しみ、よどみが
取り除けますように・・・』・・・と
書いて
自己暗示をかけている。
私は誰か特定の人を
憎んでいる訳ではないが、
幼児期に父親に
否定されてつづけた傷としての
憎しみの滓みたいなのがあり
自分の感情の中に
時々それが浮かんでくる。
否定され続けた反動として
世間で認知されている人に対して
ふっと妬みが浮かんでくるのである。
特にあまり知性がない
コメンテーターの女性などを見ると
不快感がわき
否定したくなる自分が
まだいる・・・。
だからといって
私は世間で認知されたいとは
ちっとも思わない。
なぜなら
そういう世の中の表面に
出ていこうとする人間は実は
自分のなかに深い欠落や
渇望があるひとだと
わかっているからです。
充足を得た人間は
世の片隅で充分満たされて
生きているからね
上昇したり
有名になろうとは思わない。
有名になることには
それと同等のわずらわしさや
不自由さがついてくるし
そういう人たちは
そうなるために人一倍の
努力をしていると
思いますよ・・・。
それに私はこのブログを
書くだけで
自分の体力精一杯世間と
関わっているし
私生活は
随分と満たされ
幸福であるし
ただのばあちゃんが
いい!
更に
人間はそれぞれが
個絶しており
自分が他者に
認知されることなど
幻想であることも
熟知しているつもりである。
そうわかっているにも
かかわらず
こころにこびりついてしまった
「憎しみ」が
なかなか取れない!
オモロイね!
加藤諦三さんによると
鬱の深い根底には
「憎しみ」があるという事だが
憎しみという
幼児期の強い情動が
私の身体のホルモン体系を
ずーっと支配していて
人生について廻っているんですね・・・
鬱の時は憎しみと
その反動の
無力感という
救いがたい情動が
ひたすら
自分へ向けられているときで
ある。
だから
私が鬱から脱し
その情動を
世間という外部へと向けられたことや
その原因となった
父親との葛藤もちゃんと究明
出来ているからして
私の憎しみはほゞ健全なのである・・・笑!
が
でも欲深い私は
もっと
更に
自分の垢や
澱みを取りつくして
死にたいと
オモッイテいる。
昨夜寝る前に読んだ
加島祥造さんの「LIFE]の中で
加島さんがさらりと
「濁った水は
そのまま静かにしておくと
いつか澄んでくる」と
書かれていた。
まあ
人間は
澱むものだから
そのまま
静かに待っていたら
自然に澄んでくる・・という事ですね。
澱む自分も
澄む自分もあって
ありのまま受け入れてこそ
立体的な自分が
ある。
深いですねえー!
でも
私は
自分の中を
できるだけさらさらと
水が流れるように
したいから
いつも通り
朝夕の祈りのノートに
「憎しみ,よどみを
とり除けますように・・」と
書きます。
とれると
いいなあー!

『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!

