2012年 01月 20日
赤い椿のエネルギー! |
昨日のブログに載せた
ワタナベいくこさんの絵から
触発されてかいた言葉は、
ごく自然に私の中に
浮かんできた言葉だが
よくよく見ると
アートセラピーの理に適っているので
ちょっと
解析します。
赤い花の
”赤色”は
人間の潜在意識の中に潜む
怒り、憎しみ、不安のなどの
攻撃的な
高い温度のエネルギーを
あらわします。
そして
”花”は
描いた人の感情や情緒を
あらわします。
その
”感情”は
エネルギーです。つまり
生命を維持する
エネルギーです。
あの絵には
赤い椿の花が一面に
描かれていました。
そこには
命の
赤い命のエネルギーが
溢れています
そして
怒りや不安や
憎しみという攻撃的などと
言うと
なんだか
それが
マイナスのように
聞こえてしまいますが
そうじゃありません。
人間にとって
或いはその人にとって
自分の尊厳を守り
圧力でへし折れてしまった自分を
取り戻す、
自己回復のために
大変大切な
生命エネルギーなのです。
また
革命のエネルギーでも
変革のエネルギーでも
あります。
それを諦めてしまったとき
人間はどんどん自分を喪失してゆき
無意識の根底に
怨念(シャドウ)を
貯めてゆきます。
そしてシャドウが溜まると
今度は
被害妄想になったり
極めて利己的な理由をこじつけて
社会や他者の
全否定や
自分の姿を隠して
理不尽な攻撃や
陰険なイジワルを
してしまいます。
つまり
怒りや
憎しみは
とても健康な
攻撃的エエネルギーです。
それは
生きたい!、生きたたい!という
命の叫びなんですね。
そして
命というのは
瞬間、瞬間の
一回性が
連続したもので
一回性の出遭いを
積み重ねて
命が燃えています。
そして命、
人生は、
一回で終りです。
”椿”は
一日だけ咲いて散ります。
つまり
一瞬の命の連続性と
人生の一回性とが
椿によって
描かれているような
気がしました。
だから
私は
赤い椿が
あふれるほど咲
そこに
渾身で生きている命を
連想しました。
そして命は
生きている時はもちろんのこと
人間の終わりの寸前まで
その人を
生かそうとします。
つまり命はその人を
愛し続けて
よろこんでいる・・・と
書きました。
顏を椿に覆い尽くされて
戸惑っている
二つの目には
命のエネルイギーが
充満しながらも
まだ、そこにはエネルギーが
入っていない様にも
わたしには見えました。
※これは私にはそう見えたのであり
他のひとは他の人で
違う風にみえるかもしれません。
目は理性、前頭葉の働きの中にあり
身体に溢れるエネルギーとは
一線を画していますから
戸惑いがあるのでしょう。
しかし
この溢れ出るエネルギーの中にこそ
その人の本心があり
核が潜んでいます。
そのエネルギーの中心にデンと座り
そこを核にして
自分の命を存分に
生きてくれたらと
思います。
怒りが湧いてきたら
内向させないことです。
怒りの根っこには
自己実現を邪魔されている
不安があります。
それをつきとめて
自分の怒りを
理解してあげること。
そして
その不安をどうしたら
解決できるかの
道を
捜すことだと
思います。

『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
ワタナベいくこさんの絵から
触発されてかいた言葉は、
ごく自然に私の中に
浮かんできた言葉だが
よくよく見ると
アートセラピーの理に適っているので
ちょっと
解析します。
赤い花の
”赤色”は
人間の潜在意識の中に潜む
怒り、憎しみ、不安のなどの
攻撃的な
高い温度のエネルギーを
あらわします。
そして
”花”は
描いた人の感情や情緒を
あらわします。
その
”感情”は
エネルギーです。つまり
生命を維持する
エネルギーです。
あの絵には
赤い椿の花が一面に
描かれていました。
そこには
命の
赤い命のエネルギーが
溢れています
そして
怒りや不安や
憎しみという攻撃的などと
言うと
なんだか
それが
マイナスのように
聞こえてしまいますが
そうじゃありません。
人間にとって
或いはその人にとって
自分の尊厳を守り
圧力でへし折れてしまった自分を
取り戻す、
自己回復のために
大変大切な
生命エネルギーなのです。
また
革命のエネルギーでも
変革のエネルギーでも
あります。
それを諦めてしまったとき
人間はどんどん自分を喪失してゆき
無意識の根底に
怨念(シャドウ)を
貯めてゆきます。
そしてシャドウが溜まると
今度は
被害妄想になったり
極めて利己的な理由をこじつけて
社会や他者の
全否定や
自分の姿を隠して
理不尽な攻撃や
陰険なイジワルを
してしまいます。
つまり
怒りや
憎しみは
とても健康な
攻撃的エエネルギーです。
それは
生きたい!、生きたたい!という
命の叫びなんですね。
そして
命というのは
瞬間、瞬間の
一回性が
連続したもので
一回性の出遭いを
積み重ねて
命が燃えています。
そして命、
人生は、
一回で終りです。
”椿”は
一日だけ咲いて散ります。
つまり
一瞬の命の連続性と
人生の一回性とが
椿によって
描かれているような
気がしました。
だから
私は
赤い椿が
あふれるほど咲
そこに
渾身で生きている命を
連想しました。
そして命は
生きている時はもちろんのこと
人間の終わりの寸前まで
その人を
生かそうとします。
つまり命はその人を
愛し続けて
よろこんでいる・・・と
書きました。
顏を椿に覆い尽くされて
戸惑っている
二つの目には
命のエネルイギーが
充満しながらも
まだ、そこにはエネルギーが
入っていない様にも
わたしには見えました。
※これは私にはそう見えたのであり
他のひとは他の人で
違う風にみえるかもしれません。
目は理性、前頭葉の働きの中にあり
身体に溢れるエネルギーとは
一線を画していますから
戸惑いがあるのでしょう。
しかし
この溢れ出るエネルギーの中にこそ
その人の本心があり
核が潜んでいます。
そのエネルギーの中心にデンと座り
そこを核にして
自分の命を存分に
生きてくれたらと
思います。
怒りが湧いてきたら
内向させないことです。
怒りの根っこには
自己実現を邪魔されている
不安があります。
それをつきとめて
自分の怒りを
理解してあげること。
そして
その不安をどうしたら
解決できるかの
道を
捜すことだと
思います。

よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
● 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
by denshinbashira
| 2012-01-20 09:11
| アートの世界
|
Comments(0)

