2012年 02月 16日
シリーズ「共依存からの脱出!」・・・№3 親と子の共依存その2! |
親と子の共依存の場合は
共依存というより
親に子が喰われてしまうといったほうが
いいくらい子にとっては
不条理な事ばかりを
引き受けさせられる。
昨日書いたように
家庭という密室の中で
親は子どもを保護し育てる代わりに
子どもは親の都合や欲求の下におかれ
自分の欲求を抑圧してしまう。
成長するにつれ
親を批判し
反抗し親と対決して
親からの脱出ができた子供は
それなりにバランスを取りながら
世の中へとデビューできるが
親の依存や
心理支配をうけたままの子供は
その歪みをもったまま
親を恐れるように
人間を脅威に思い
親のゆがんだ現実認識を
そのままコピーして
世の中へデビューし
人間関係も
親との疑似的な関係を
他人と結ぶために
常に自分が消耗していく関係へと
なっていく。
親との共依存で
自分が保護されたように
他者にも
自分を保護してくれるような
期待(幻想)・・・甘えをもち
それが叶えられないと
裏切られたよう気になり
他人を恨み自分を被害者にする。
逆に
親から封じ込められ
自分の欲求が何一つ叶えられない
無力感をもってしまい
世の中へデビューしても
常にそのスイッチが入り
更に自己実現の遠さばかりを感じで
無気力になっていく。
親から感情的な依存を受けると
親が起こしたヒステリーや
不機嫌におびえたり
その反対の親にしがみつかれ
溺愛という
親の支配欲
所有欲に取り込まれて
自分を吸い取られてしまったりと
ほんとうに未熟な親の
子どもは踏んだり蹴ったりです。
そして
親の幼稚な感情をコピーしたまま
それが他人との間でも
通用すると勘違いし(思い込み)
自分の幼稚な人間の感情を
そのまま世の中の
人間関係に持ち込み
常に他人との関係が
感情的になり
自分の感情のコントロールができず
他人の顔色をうかがながら生きる反面
それが限界にたっすると
キレた自分のナマの感情を
そのまま
他人との間に持ち込んでしまい
トラブルメーカーになってしまう。
こうしてみると
いかに親との関係が
子どもに影をおとすかが
わかります。
子どもは親という大きな壁を
超えていかない限り
或いは
親の持っている
ゆがんだ現実認識を
打ち壊していかない限り
世の中も
他人も
その色眼鏡でしか
見えてきません。
自分が無気力だったり
不安に駆られたり
他人との関係で常につまずいたり
他人に怯えたり
他人が嫌いだったり
嫉妬深かったり
いつも他人の目を気にしたりする
まあ
そのほかいろいろあるでしょうが
自分が
旨く生きれないことの
原因は
ほとんど
(まあすべてといってもいいと
私は思いますが・・・。)
親との分離ができず
親のコピーの意識を
そのまま生きてしまい
親の持っている
ゆがんだ、ねじれたメガネから
人間のことも
世の中の事も
そのように思い込み
それに基づいた自己防衛をし、
いうなれば
それらは
すべて親との関係で
造られた
自分の頭の中の思い込みです。
その思い込みに基づいて
かってに
妄想を膨らませ
勝手に他人とひとり相撲を
取り
勝手に傷つき
勝手に恨んでいる
或いは
自己嫌悪や
自責をして
勝手に妄想に抑圧され
消耗して
無気力になるのだと
思います。
こういう時こそ
脳科学だと思いますが
つまり
感情や
気分で自分を解決しようとせず
論理的
整合性を持って
解決してゆくのです。
つまり
昨日も書いたように
人間は生まれた瞬間から
自分の体で感知しながら獲得した
”それぞれ、独自の情報”に基づいて
いきはじめるのですから
例えば
生まれた瞬間の
分娩室の部屋の温度や
湿度が違うだけでも
もうそこには個人差ができるでしょ。
夏に生まれた子と
冬に生まれた子などは
全く違う皮膚情報を持つわけですから
ねえー・・。
そして最初に自分を受け止めてくれた
看護婦さんの手の温度や
手のひらの大きさなども
それによって
弾力も
安定感も
感触が違うでしょ。
冷え性の看護婦さんだったら
赤ん坊は
まず冷たいあなーと感じ
温かい掌なら
あったかいなあーというのが
それが誕生後の始めての
人間認識となり無意識層に
記述(記憶)されていくでしょ。
もう一事が万事
こういう風に
人間は瞬間しゅんかんにデーターを
収取しながら
自分の自己世界を
造っていくのですから
それが家庭の事情や
家族関係や
感情の処理の仕方など
もちろん何を食べたかなど
その人間の生育環境の違いなどと
なると
それは
地球と月くらいの
距離があるほどの
大きな違いでしょう。
だから
世の中へデビューしたときは
自分と
他人は
全く違う世界観や
人間観
社会観を
持って
そこには
微かな接点しかない・・・という事を
前提にする必要が
あります。
そしてさらに
人間の脳は
それぞれが
閉じた空間であり
自分の内容を
外に出して
表現
表意
しなければ
他人には
絶対
わからないと
いうことを
肝に銘じておく必要が
あります。
文明がまだまだ幼稚で
文化が未明ゆえに
人間は
様々に
他者との関係
社会、地域、集団との
関係において
お互いを牽制し
所有しあうために
”愛”という幻想をはじめ
いろんな幻想や
掟
規範を
造ってきましたが、
それらすべては
”他人のことがわからない!”
”他人のこころがわからない!”
から
こそ
そういうものを
造る必要があったのだと
思います。
そういうもので
縛りあう
必要があった・・・と
いう事でしょう。
じゃあー
人間のこころってなに!
って話ですね・・。
人間の心を解明するには
自分の心を
よーく観察することです。
自分のこころこそ
人間の心そのものでしょう。
そしてその時
自分が嫌なことや
自分が陥ってしまう
恨みや
嫉妬や
ねじくれたりひがんでいる
ネガテクヴな感情
その反対に
罪悪感や
自己自責や
他人を恐れ
他人に追従する
他人の機嫌をとったり
顔色をうかがう
そういうことの
ほとんどが(イヤ、すべてだと私は思いますよ!)
親との関係で
自分が思い込み
自分が背負わされ
親子の共依存の中で
育ててしまったものです。
だから
そういうものすべて
つまり
・自分が嫌だと思い
・いらないと思うものを
”すべて取り除いた”その
こころが
その人の
つまり
あなたの
心です。
自分にとっては嫌だと思うけど
そのことをほんとうは
棄てたいけど
棄てられない
棄てるのが怖い
という人は
いまだに
”親との共依存”の中に
いるひとです。
人間はほんとうは
すごくシンプルです。
こういう歪んた
現実認識
親からもらった
屈折した感情や
認識を
取り除いたとき
はじめて
他人が怖くなくなります。
また
他人も自分と大して変わりなく
それぞれが懸命に生きているのだと
理解できます。
親から渡された
ねじれや
歪みや
人間への脅威を取り除かなければ
世の中も他人も
みんな
そういう風に見えてしまうけど
親という大きな障害物を
退治して
自分から
取り除いちゃえば
そこには
自分と同じように
素朴で
ささやかな事を願い
素直に喜び
淋しさも
悲しさも
それぞれに引き受けて
生きてる
ちいさな
ちいさな
人間がいるはずです。
淋しさも
孤独も
感じられることが
健全なんですよ。
親との共依存の中では
それすらも
感じることができない(禁じられている)
人間に
成ってしまうことも
大いにあるのですから。
やっと
自分の感情に戻れたという事です。
しかし
自己憐憫や
被害者意識は
シャドウの感情ですから
そういう事は
シッと追い払ってください。
それに自分を生きだすと
もうそういう
淋しさも
孤独もあんまり
感じなくなりますから・・ね。
それを書くと長くなるから
おいといて・・っと!
誰にも幻想を
いだかない!
期待
しない。
更に
これも
頭に
叩きこんでほしいことですが、
今も
他人や人間に
おびえているひとは
意識的に
自分に
言い聞かせてほしいのですが・・・。
自分が他人の言葉で
傷つけられることは
ありえません。
人間はいつもほとんどのことが
さして
さしさわりのないことを
話すものです。
そこに何らかの意図がある場合
人間はとても緊張して
しゃべりますから
それ以外の
会話は
その人間にとって
どうってこともないから
しゃべるんです。
だから
他人の言葉を
深読みするのは
ナンセンスです。
空気を読むなんてことも
およそ馬鹿げています。
私などもそういう空気を読む人の
集まりなどに行っても
およそ関係なく
自分の言葉で話しますと
その途端に
その場が和らいで
みんなリラックスし始めます。
みんなほんとうは
そういう場は
嫌いなのだと
思いますよ。
そして
他人が自分を傷つけることは
ありません。
自分が傷つくのは
自分の心のなか
或いは
脳の記述の中に
すでに親との関係で
自分が造った
受け皿があり
それが怯えて
反応するのです。
怒りが来るのは
自分が不安になるからです。
だから共依存をやめてしまえば
そういう親のゆがみからくる
色眼鏡で
相手の心を深読みしたり
相手と自分との関係を
シュミレーションして
自己防衛を図ることも
いらなくなります。
親の脅威がなくなるのですから
他人も怖くなくなります。
そして
決して
他人の中へ
介入せず
(深くかかわる必要はまったくありません。
その人はひたすら自分を生きているだけですから
ほおっておくのがベストです。)
他人の言葉通りに受け取り
そのまま素直に交流してごらんなさいよ
とても
ラクチンになります。
自分の中の
ゴミを
全部捨てて
お掃除して
空っぽにしてしまえば
すべてを
ありのまま
そのままに
受け取ればいいのですし
自分も素直に
自分の自然性にそって
いきれば
いいのです。
そうしてキーワードの
他人との関係も
サラサラで
自分の感情も
サラサラで
他人との会話も
サラサラで
言葉は言いぱなし!で
話しましょう!
決して
後をひかない!
そういうカランカランの会話は
たのいしいですよ!
次回は
親を超える
或いは
自分の心から
親の残像を追い出す方法を
書きましょうね!

『伝心柱マガジン』もやっちょります。
よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
共依存というより
親に子が喰われてしまうといったほうが
いいくらい子にとっては
不条理な事ばかりを
引き受けさせられる。
昨日書いたように
家庭という密室の中で
親は子どもを保護し育てる代わりに
子どもは親の都合や欲求の下におかれ
自分の欲求を抑圧してしまう。
成長するにつれ
親を批判し
反抗し親と対決して
親からの脱出ができた子供は
それなりにバランスを取りながら
世の中へとデビューできるが
親の依存や
心理支配をうけたままの子供は
その歪みをもったまま
親を恐れるように
人間を脅威に思い
親のゆがんだ現実認識を
そのままコピーして
世の中へデビューし
人間関係も
親との疑似的な関係を
他人と結ぶために
常に自分が消耗していく関係へと
なっていく。
親との共依存で
自分が保護されたように
他者にも
自分を保護してくれるような
期待(幻想)・・・甘えをもち
それが叶えられないと
裏切られたよう気になり
他人を恨み自分を被害者にする。
逆に
親から封じ込められ
自分の欲求が何一つ叶えられない
無力感をもってしまい
世の中へデビューしても
常にそのスイッチが入り
更に自己実現の遠さばかりを感じで
無気力になっていく。
親から感情的な依存を受けると
親が起こしたヒステリーや
不機嫌におびえたり
その反対の親にしがみつかれ
溺愛という
親の支配欲
所有欲に取り込まれて
自分を吸い取られてしまったりと
ほんとうに未熟な親の
子どもは踏んだり蹴ったりです。
そして
親の幼稚な感情をコピーしたまま
それが他人との間でも
通用すると勘違いし(思い込み)
自分の幼稚な人間の感情を
そのまま世の中の
人間関係に持ち込み
常に他人との関係が
感情的になり
自分の感情のコントロールができず
他人の顔色をうかがながら生きる反面
それが限界にたっすると
キレた自分のナマの感情を
そのまま
他人との間に持ち込んでしまい
トラブルメーカーになってしまう。
こうしてみると
いかに親との関係が
子どもに影をおとすかが
わかります。
子どもは親という大きな壁を
超えていかない限り
或いは
親の持っている
ゆがんだ現実認識を
打ち壊していかない限り
世の中も
他人も
その色眼鏡でしか
見えてきません。
自分が無気力だったり
不安に駆られたり
他人との関係で常につまずいたり
他人に怯えたり
他人が嫌いだったり
嫉妬深かったり
いつも他人の目を気にしたりする
まあ
そのほかいろいろあるでしょうが
自分が
旨く生きれないことの
原因は
ほとんど
(まあすべてといってもいいと
私は思いますが・・・。)
親との分離ができず
親のコピーの意識を
そのまま生きてしまい
親の持っている
ゆがんだ、ねじれたメガネから
人間のことも
世の中の事も
そのように思い込み
それに基づいた自己防衛をし、
いうなれば
それらは
すべて親との関係で
造られた
自分の頭の中の思い込みです。
その思い込みに基づいて
かってに
妄想を膨らませ
勝手に他人とひとり相撲を
取り
勝手に傷つき
勝手に恨んでいる
或いは
自己嫌悪や
自責をして
勝手に妄想に抑圧され
消耗して
無気力になるのだと
思います。
こういう時こそ
脳科学だと思いますが
つまり
感情や
気分で自分を解決しようとせず
論理的
整合性を持って
解決してゆくのです。
つまり
昨日も書いたように
人間は生まれた瞬間から
自分の体で感知しながら獲得した
”それぞれ、独自の情報”に基づいて
いきはじめるのですから
例えば
生まれた瞬間の
分娩室の部屋の温度や
湿度が違うだけでも
もうそこには個人差ができるでしょ。
夏に生まれた子と
冬に生まれた子などは
全く違う皮膚情報を持つわけですから
ねえー・・。
そして最初に自分を受け止めてくれた
看護婦さんの手の温度や
手のひらの大きさなども
それによって
弾力も
安定感も
感触が違うでしょ。
冷え性の看護婦さんだったら
赤ん坊は
まず冷たいあなーと感じ
温かい掌なら
あったかいなあーというのが
それが誕生後の始めての
人間認識となり無意識層に
記述(記憶)されていくでしょ。
もう一事が万事
こういう風に
人間は瞬間しゅんかんにデーターを
収取しながら
自分の自己世界を
造っていくのですから
それが家庭の事情や
家族関係や
感情の処理の仕方など
もちろん何を食べたかなど
その人間の生育環境の違いなどと
なると
それは
地球と月くらいの
距離があるほどの
大きな違いでしょう。
だから
世の中へデビューしたときは
自分と
他人は
全く違う世界観や
人間観
社会観を
持って
そこには
微かな接点しかない・・・という事を
前提にする必要が
あります。
そしてさらに
人間の脳は
それぞれが
閉じた空間であり
自分の内容を
外に出して
表現
表意
しなければ
他人には
絶対
わからないと
いうことを
肝に銘じておく必要が
あります。
文明がまだまだ幼稚で
文化が未明ゆえに
人間は
様々に
他者との関係
社会、地域、集団との
関係において
お互いを牽制し
所有しあうために
”愛”という幻想をはじめ
いろんな幻想や
掟
規範を
造ってきましたが、
それらすべては
”他人のことがわからない!”
”他人のこころがわからない!”
から
こそ
そういうものを
造る必要があったのだと
思います。
そういうもので
縛りあう
必要があった・・・と
いう事でしょう。
じゃあー
人間のこころってなに!
って話ですね・・。
人間の心を解明するには
自分の心を
よーく観察することです。
自分のこころこそ
人間の心そのものでしょう。
そしてその時
自分が嫌なことや
自分が陥ってしまう
恨みや
嫉妬や
ねじくれたりひがんでいる
ネガテクヴな感情
その反対に
罪悪感や
自己自責や
他人を恐れ
他人に追従する
他人の機嫌をとったり
顔色をうかがう
そういうことの
ほとんどが(イヤ、すべてだと私は思いますよ!)
親との関係で
自分が思い込み
自分が背負わされ
親子の共依存の中で
育ててしまったものです。
だから
そういうものすべて
つまり
・自分が嫌だと思い
・いらないと思うものを
”すべて取り除いた”その
こころが
その人の
つまり
あなたの
心です。
自分にとっては嫌だと思うけど
そのことをほんとうは
棄てたいけど
棄てられない
棄てるのが怖い
という人は
いまだに
”親との共依存”の中に
いるひとです。
人間はほんとうは
すごくシンプルです。
こういう歪んた
現実認識
親からもらった
屈折した感情や
認識を
取り除いたとき
はじめて
他人が怖くなくなります。
また
他人も自分と大して変わりなく
それぞれが懸命に生きているのだと
理解できます。
親から渡された
ねじれや
歪みや
人間への脅威を取り除かなければ
世の中も他人も
みんな
そういう風に見えてしまうけど
親という大きな障害物を
退治して
自分から
取り除いちゃえば
そこには
自分と同じように
素朴で
ささやかな事を願い
素直に喜び
淋しさも
悲しさも
それぞれに引き受けて
生きてる
ちいさな
ちいさな
人間がいるはずです。
淋しさも
孤独も
感じられることが
健全なんですよ。
親との共依存の中では
それすらも
感じることができない(禁じられている)
人間に
成ってしまうことも
大いにあるのですから。
やっと
自分の感情に戻れたという事です。
しかし
自己憐憫や
被害者意識は
シャドウの感情ですから
そういう事は
シッと追い払ってください。
それに自分を生きだすと
もうそういう
淋しさも
孤独もあんまり
感じなくなりますから・・ね。
それを書くと長くなるから
おいといて・・っと!
誰にも幻想を
いだかない!
期待
しない。
更に
これも
頭に
叩きこんでほしいことですが、
今も
他人や人間に
おびえているひとは
意識的に
自分に
言い聞かせてほしいのですが・・・。
自分が他人の言葉で
傷つけられることは
ありえません。
人間はいつもほとんどのことが
さして
さしさわりのないことを
話すものです。
そこに何らかの意図がある場合
人間はとても緊張して
しゃべりますから
それ以外の
会話は
その人間にとって
どうってこともないから
しゃべるんです。
だから
他人の言葉を
深読みするのは
ナンセンスです。
空気を読むなんてことも
およそ馬鹿げています。
私などもそういう空気を読む人の
集まりなどに行っても
およそ関係なく
自分の言葉で話しますと
その途端に
その場が和らいで
みんなリラックスし始めます。
みんなほんとうは
そういう場は
嫌いなのだと
思いますよ。
そして
他人が自分を傷つけることは
ありません。
自分が傷つくのは
自分の心のなか
或いは
脳の記述の中に
すでに親との関係で
自分が造った
受け皿があり
それが怯えて
反応するのです。
怒りが来るのは
自分が不安になるからです。
だから共依存をやめてしまえば
そういう親のゆがみからくる
色眼鏡で
相手の心を深読みしたり
相手と自分との関係を
シュミレーションして
自己防衛を図ることも
いらなくなります。
親の脅威がなくなるのですから
他人も怖くなくなります。
そして
決して
他人の中へ
介入せず
(深くかかわる必要はまったくありません。
その人はひたすら自分を生きているだけですから
ほおっておくのがベストです。)
他人の言葉通りに受け取り
そのまま素直に交流してごらんなさいよ
とても
ラクチンになります。
自分の中の
ゴミを
全部捨てて
お掃除して
空っぽにしてしまえば
すべてを
ありのまま
そのままに
受け取ればいいのですし
自分も素直に
自分の自然性にそって
いきれば
いいのです。
そうしてキーワードの
他人との関係も
サラサラで
自分の感情も
サラサラで
他人との会話も
サラサラで
言葉は言いぱなし!で
話しましょう!
決して
後をひかない!
そういうカランカランの会話は
たのいしいですよ!
次回は
親を超える
或いは
自分の心から
親の残像を追い出す方法を
書きましょうね!

よかったらどうぞ!
マガジンに参加してくれた新しい彼女の記事が
ありますよ!
by denshinbashira
| 2012-02-16 09:52
| 共依存からの脱出
|
Comments(4)
シリーズ「共依存からの脱出!」を書いて下さって
本当にありがとうございます。
母親との関係に悩む30代の者です。
拝読して、居ても立ってもいられなくなり、
コメントを投稿させて頂きました。
これまでずっと、頭の中で霧掛かっていた想いが
お蔭様でハッキリと解明できました。
貴記事の一言一言に心が震え、涙が出ました。
私の父は、私が生後2ヶ月の時に脳腫瘍の発作で倒れ、
4歳になるころ闘病の末他界しました。
そういった状況と、人一倍頭と心が弱い母親という相乗効果で、
これまで異常な拘束状態に置かれてきました。
幼かった私は、残された可愛そうな母を大切にしなければならないと
思い込まされ、自分を押さえ込み、母親の言いなりになってきました。
自分の人生でありながら、主役は常に母親でした。
やがて成長して、社会に出て、色々な方と関わり、
最近になってやっと自分の母親が異常であると気がつきました。
離れられないという共依存の状態に陥ってしまっていると感じ
色々調べていたところ、幸運にも貴記事に巡り合いました。
拝読して、はっきりと自覚できたのは、
母親は常に私の自尊心を傷つけて自信や自我を破壊し、
母親から離れないように無意識で画策していたという事実です。
それと、年上の女性と話す時だけ異常に緊張してガチガチになるのが、
母親への恐怖心が原因だということも自覚できました。
母親は、子供の頃から呪いのように
「生きていると嫌なことばかり」
「どこに行っても嫌な人が絶対にいる」
「お金がない」「お前は何をやってもトロい」
「お前は冷たい人間だ」などと、
これは氷山の一角ですが、
日常的にやることなすこと全てを否定され、
ネガティブな言葉と溜息ばかり聞かされていました。
おまけにアル中で、午前中から酔っ払った姿を見せ付けられ、
いつも惨めな気持ちになっていました。
(こちらには書けない事も沢山言われたりされたりしました)
友人も、好みも、趣味も、進学も就職も、
何もかも母親の思い通りにしなければ、
ヒステリーや無視、対物暴力という手段で脅迫されてきました。
思い通りに行かない時は、事実を捏造してまで私を悪者に仕立て
罪悪感を植えつけることでコントロールしようとしてきます。
<次投稿へ続きます>
本当にありがとうございます。
母親との関係に悩む30代の者です。
拝読して、居ても立ってもいられなくなり、
コメントを投稿させて頂きました。
これまでずっと、頭の中で霧掛かっていた想いが
お蔭様でハッキリと解明できました。
貴記事の一言一言に心が震え、涙が出ました。
私の父は、私が生後2ヶ月の時に脳腫瘍の発作で倒れ、
4歳になるころ闘病の末他界しました。
そういった状況と、人一倍頭と心が弱い母親という相乗効果で、
これまで異常な拘束状態に置かれてきました。
幼かった私は、残された可愛そうな母を大切にしなければならないと
思い込まされ、自分を押さえ込み、母親の言いなりになってきました。
自分の人生でありながら、主役は常に母親でした。
やがて成長して、社会に出て、色々な方と関わり、
最近になってやっと自分の母親が異常であると気がつきました。
離れられないという共依存の状態に陥ってしまっていると感じ
色々調べていたところ、幸運にも貴記事に巡り合いました。
拝読して、はっきりと自覚できたのは、
母親は常に私の自尊心を傷つけて自信や自我を破壊し、
母親から離れないように無意識で画策していたという事実です。
それと、年上の女性と話す時だけ異常に緊張してガチガチになるのが、
母親への恐怖心が原因だということも自覚できました。
母親は、子供の頃から呪いのように
「生きていると嫌なことばかり」
「どこに行っても嫌な人が絶対にいる」
「お金がない」「お前は何をやってもトロい」
「お前は冷たい人間だ」などと、
これは氷山の一角ですが、
日常的にやることなすこと全てを否定され、
ネガティブな言葉と溜息ばかり聞かされていました。
おまけにアル中で、午前中から酔っ払った姿を見せ付けられ、
いつも惨めな気持ちになっていました。
(こちらには書けない事も沢山言われたりされたりしました)
友人も、好みも、趣味も、進学も就職も、
何もかも母親の思い通りにしなければ、
ヒステリーや無視、対物暴力という手段で脅迫されてきました。
思い通りに行かない時は、事実を捏造してまで私を悪者に仕立て
罪悪感を植えつけることでコントロールしようとしてきます。
<次投稿へ続きます>
0
<前投稿からの続きです>
また、自分が働いたお金で物を買って喜んでいると、偶然を装ってそれを壊したり、
自費で旅行に行くと、普段は無視するくせに数時間おきに電話をしてきたりします。
私が珍しく楽しそうに土産話をしているとどんどん不機嫌になり、
最後はいつも無視されて、この世の終わりみたいな気にさせられます。
機嫌が良くなるならと、お金を渡しますが、
半日も経てば忘れて再攻撃が始まります。
私が好きであればあるほど、
気に入っていればいるほど、
大切に思っていればいるほど、
母親は敏感に察知し、妨害がエスカレートします。
あと、ダイエットすると宣言した翌日に
ホールケーキを買ってきた事もありました。
ですので、私は目標や好みを決して母親には言わないようにしています。
この手法は、多分子供の頃から繰り返されていて、
私は昔から「好き」「楽しい」という感情を出すことに
何故か罪悪感を覚え素直に表現できません。
笑うことも殆どなく、子供の頃写真はほぼ全て睨んだような顔をしています。
これらの素晴らしい教育(洗脳)の成果もあり、
気がつけば、大人になっても私は、
常に人の顔色を伺ってばかりで、
自分の意見を言えず、自信もなく、
人を信用せず、心も開けず、
何をしても楽しいと感じられない人間になっていました。
私は、このような性質は、自分が生来の個性で
母親が言うとおり心が凍り付いているのだから
受け入れるしかないかと思い込んでいましたが、
これまでの人生で母親に張られたレッテルの積み重ねだったという事が、
貴記事のお陰ではっきり自覚され、母と絶縁する意思を固めました。
本来なら愛情を注いでくれて幸せを願ってくれるはずの母親が
自らの不幸の根源だと認めるのは非常に辛いものがありますが、
まずは、遠くへ引っ越すことから始めたいと思います。
自分の感情で自分の人生を気楽に歩むために。
希望を感じさせ下さって、本当にありがとうございます!
またブログにお邪魔させて頂きます。
長々と失礼いたしました。
また、自分が働いたお金で物を買って喜んでいると、偶然を装ってそれを壊したり、
自費で旅行に行くと、普段は無視するくせに数時間おきに電話をしてきたりします。
私が珍しく楽しそうに土産話をしているとどんどん不機嫌になり、
最後はいつも無視されて、この世の終わりみたいな気にさせられます。
機嫌が良くなるならと、お金を渡しますが、
半日も経てば忘れて再攻撃が始まります。
私が好きであればあるほど、
気に入っていればいるほど、
大切に思っていればいるほど、
母親は敏感に察知し、妨害がエスカレートします。
あと、ダイエットすると宣言した翌日に
ホールケーキを買ってきた事もありました。
ですので、私は目標や好みを決して母親には言わないようにしています。
この手法は、多分子供の頃から繰り返されていて、
私は昔から「好き」「楽しい」という感情を出すことに
何故か罪悪感を覚え素直に表現できません。
笑うことも殆どなく、子供の頃写真はほぼ全て睨んだような顔をしています。
これらの素晴らしい教育(洗脳)の成果もあり、
気がつけば、大人になっても私は、
常に人の顔色を伺ってばかりで、
自分の意見を言えず、自信もなく、
人を信用せず、心も開けず、
何をしても楽しいと感じられない人間になっていました。
私は、このような性質は、自分が生来の個性で
母親が言うとおり心が凍り付いているのだから
受け入れるしかないかと思い込んでいましたが、
これまでの人生で母親に張られたレッテルの積み重ねだったという事が、
貴記事のお陰ではっきり自覚され、母と絶縁する意思を固めました。
本来なら愛情を注いでくれて幸せを願ってくれるはずの母親が
自らの不幸の根源だと認めるのは非常に辛いものがありますが、
まずは、遠くへ引っ越すことから始めたいと思います。
自分の感情で自分の人生を気楽に歩むために。
希望を感じさせ下さって、本当にありがとうございます!
またブログにお邪魔させて頂きます。
長々と失礼いたしました。
又三郎さま。本当に大変でしたね。一度きりの人生です。まずは、お母さんと分離して、あなたらしい人生設計の中を生きてください。
denshinbashira様
昨日は、お返事を下さいまして有難うございました。
コメントさせて頂いた後も
夢中になって過去の記事を拝読しておりました。
似た境遇の方が、沢山救われているだろうと感じました。
私の書いた文字(行間)から、
おそらく私自身の甘え等も読み取られたかと思いますが、
あえて優しい言葉を選んで下さいましたこと
心より感謝申し上げます。
お返事を読んでいると目に涙が浮かんできて、
しばらく止まりませんでした。
社会一般で親の悪口はタブーとされていること、
偽善的な自己保身のため、
きっと誰も理解してくれるはずがないという諦め等から
今まで誰にも話せなかったのですが、共依存を熟知された
denshinbashira様に温かいお言葉をかけて頂いたおかげで、
心を閉ざしていた重い扉の隙間から
一筋の光が差した気が致します。
何も感じないように努めてきた影響もあってか、
喜怒哀楽を表出する力がかなり衰えていますが、
恐怖心に負けず正直な気持ちを出すことに挑戦してみます。
そして、幸せに育った人たちが当たり前に感じているであろう、
「生まれて来て良かった」とか、
「生んでくれてありがとう」とか、
「幸せな家庭を築きたい」とか、
長い時間が必要だと思いますが、いつか
そういった考えが自然に浮かぶ様になれればと思います。
この度は、ありがとうございました。
昨日は、お返事を下さいまして有難うございました。
コメントさせて頂いた後も
夢中になって過去の記事を拝読しておりました。
似た境遇の方が、沢山救われているだろうと感じました。
私の書いた文字(行間)から、
おそらく私自身の甘え等も読み取られたかと思いますが、
あえて優しい言葉を選んで下さいましたこと
心より感謝申し上げます。
お返事を読んでいると目に涙が浮かんできて、
しばらく止まりませんでした。
社会一般で親の悪口はタブーとされていること、
偽善的な自己保身のため、
きっと誰も理解してくれるはずがないという諦め等から
今まで誰にも話せなかったのですが、共依存を熟知された
denshinbashira様に温かいお言葉をかけて頂いたおかげで、
心を閉ざしていた重い扉の隙間から
一筋の光が差した気が致します。
何も感じないように努めてきた影響もあってか、
喜怒哀楽を表出する力がかなり衰えていますが、
恐怖心に負けず正直な気持ちを出すことに挑戦してみます。
そして、幸せに育った人たちが当たり前に感じているであろう、
「生まれて来て良かった」とか、
「生んでくれてありがとう」とか、
「幸せな家庭を築きたい」とか、
長い時間が必要だと思いますが、いつか
そういった考えが自然に浮かぶ様になれればと思います。
この度は、ありがとうございました。

