シリーズ「共依存からの脱出!」・・・追加、他人の目などナイ! |
”共依存からの脱出”の追加です。
以前にも”脳”は個絶していると
書きましたが、
人間の脳は人間それぞれが全く異なる世界を
確立しています。
例えばおぎゃ―と生まれた瞬間
それが晴れた日と
雨の日の違いだけでも
そこにある空気の温度や湿度によってまず
皮膚から入る情報には大きな違いがあるでしょ。
もし温度が低ければ当然赤ん坊の皮膚は委縮し
厚ければ毛穴が開きますし
それが最初の原体験として
脳に刻まれてゆくという訳ですね。
脳はその瞬間の情報を得ては
少しずつ
神経経路を
整えていきますから
最初の情報だけでも
瞬間、瞬間の差異が
あります。
そのようにして脳は逐一
情報を掴んでは
その脳地図と神経ネットワークを造り
また瞬間瞬間にそれを変化させながら
生命活動を進行させていきます。
そして人間は
自分独自が仕入れた情報に基づいて
自分を生かせていくのです。
勿論そこには
自分と他人
或いは
自分と外部環境という
自分と自分以外のもの、
こととの
”関係性”を結びながらですが
その
”関係性”も
自分独自の情報地図やネットワークに
基づいたものですから
そこには
自分独自の
人間観や
社会観
そして
規範意識や
共生意識が
生まれてきます。
しかし
それは
個々人によって
全く異なるものである…という事を
頭に入れておいてほしいのです。
おそらくもっと時代が進み
脳のことが各段に解明されてきたら
このことを
誰も
理解する時代がくるのでしょう!
そうなると
これまでの人間観や
社会観や
規範意識も
共生感も
全く違うものになると
思います。
さて
今日はそういうことを
踏まえて
・他人の目について
・他人からどう思われるか・・・。
・他人に気をつかうということとは
・他人に悪く思われたくない・・と云う意識とは
の根底にある心理のメカニズムについて
書こうと思います。
そういう風に
いつも
他人に見張られているような、思い込みをしていて
苦しんでいる人
そういう事ばかりに
自分のエネルギーを
つかって
自分の人生を浪費している人もためにも
書きましょう!
冒頭に書きましたが
もうお分かりかもしれませんね。
そういうことはすべて
自分が思い込まされたことです。
今でも
多くの人が
他人と自分とは
かなり同じである・・・ような
感覚で
生きていると思いますが
瞬間的に
無意識で
そういう前提で
他人と
接しているでしょ、
たぶん大概の人は・・・。
私は今まで
自分と他人とは
全く異なる世界を
いきてる・・・という
前提で
他人と接している人に
あまり会ったことが
ありません。
しかし人間は
他人と自分は
”全く異なる世界”を
生きており
極論すれば
お互いが自分の人間像や
自分の感覚に合わせて
他人を
自分の都合のいいように
見ているにすぎないのです。
このことをよーく
肝に畳み込んでおいて
欲しいです。
人間は赤ん坊から成長するまで
親の保護下にいます。
そこには常に
親という他人との一体感が
付きまとうため
成人になっても
親と分離し
痛いほど
他人と自分は
全く違うんだということを
思い知らされないかぎり
ずーっと他人への一体感を
求めてしまいます。
家族は当然のこととして
夫や妻にも
子どもなどは特にひどく
親に抱え込まれている
気の毒なこどもなどは
この世に
溢れんばかりに
いるでしょう。
そして
一定の距離はありますが
友人にも
仲間にも
テレビの中のタレントにも
ファンなんていう人たちも
そうですね・・・。
また
職場の同僚にも
ひとによっては
上司にも
会社によっては
運命共同体化している会社も
在るでしょう。
そしてその範囲が大きくなると
地域特有の
お互いをしばりあう”掟”めいた意識
また
社会の常識なんていう
得体のしれない
”規範”意識で
おたがいを
検閲し
見張りあう・・。
一体感を求めて
共依存をする。
こういう大衆から
ファシズムが生まれて
きます。
つまり
世の中が
そういう
”一体感”と
そこからくる反動として
他人の目、
他人にどうおもわれるか・・・。
他人に悪く思われたくない・・という
怯えの病理がうまれるのです。
そして
残念なことには
日本の中に
蔓延している。
さーて
ほんとうのところは
どうなのか・・・・?
極論すれば
人間は
お互いの”誤解”の上に
自分と相手を成立させながら
生きている。
先日亡くなられた”吉本隆明”さんなどは
そのことを追究された
思想家ですね・・・ご冥福を祈ります。
私などは
自分が話すことばや内容が
まあー
5パーセントくらい相手に
伝わるかなあーと
思っています。
相手にとって受け取り易いように
言葉をどう加工するか・・・と
いつも考えながら話すのですが
それでも
それくらい伝われば
いい方だと
思います。
人によっては
そういうキャッチボールも
できず
自分の事ばかりを
相手に話し続けている人も
います。
自分の事を
わかってほしいということが
本意で
他者がどういうひとなのかなど
お構いなしに
自分の事を相手に
放り投げ続けます。
むしろ
他者と自分との間で
きちんと
理解しあおう
了解しあおう・・・と言う人は
圧倒的に
少ないです。
脳の中にはミラーニューロンをはじめ
自分を客観的に
認知するスキルもあるのですが
それも
鍛えていかない限り
発達しませんからね。
さてもう一度
他人の目・・・・など
アリマセン。
そして他人にどう思わえれるかなど
ナンセンスです。
人間は自分のことしか
関心がなく
他人のことなどは
どうも
思わないからです。
自分のことしか
頭にアリマセン!
人間はみんなそうです。
そして
”他人に悪く思われたくない”…というのも
おかしいことです。
もし
自分が他人に負担をかけたり
他人にリスクを負わせるようことを
したら
悪く思われるのが当然で
そう思われたら
いいじゃありませんか。
負担やリスクをかけておいて
悪く思われたくない…という事の方が
何と身勝手で甘えたことでしょう。
責任を取りたくない・・・という
小児病的な甘えです。
そして
他人からどう思われるか・・・。
他人に気をつかうということとは
いっけん善意のように
心理加工(擬装)されていますが
その心理の裏に
他人をいつも疑っている・・・という
ゆがんだ心理があります。
他人を信頼できないのですね。
それは
つまり
常に自分を疑い
信頼していないことが
他人への投影としてあり
他人を警戒し
他人をいつも
自分の掌中に収めていないと
気がすまないから
気をつかう・・・という顔色を
伺う・・・。
或いは他人からの攻撃が
来ないようにと
自己防衛をしている。
つまり
常に他人を悪者に設定している
自分がいるってことですね・・・。
おそらく幼児から子ども時代
或いは成人になっても
他人からの介入を受け続けている人
親、あるいはそれに類する
周囲の人間に
心理支配され
常に
そういう人間の目を背中にうけながら
生きてきた人
そういう
”共依存”の中に
囲い込まれている人が
他人の目に自分がさらされている・・・という
”強迫観念”を
もたされて
しまっているのですね。
せっかく生まれてきたのにねえー
そうやって
人生を消耗させて
いくのかねえー・・・!!
基本的に
人間は
関係がサラサラしていると
何でもうまく行きます。
だから
自分も
他人も
それぞれが
前へむいて生きていることを
命は常に
その人間を生かそうとしている・・ということ。
そして人間には
すべての人間に物事を解決してゆく力
生命力が
宿っているのだと
人間への信頼
自分への信頼
他者へも信頼を
信じることです。
そして
言いっぱなし
もしも
ヤバイことや
ことばが滑ったときも
言ってしまいましたあー・・・と
やっちまったあー・・・・!
と
その場かぎりで
終わりにする。
自分の言葉を
検閲したり
取り消したり
しない。
自分の行動も
行動してしまったのは
取り消せないのですから
そして取り消す必要もありなせん。
それこそが
生きる・・ってことなんです。
チャ―ンと責任を取る気持ちが
あればいいです。
他人への迷惑をかけたら
謝り
他人から悪く思われることを
引き受ける。
そして自分の行動を
受け入れて
ぐちゃぐちゃいじくったり
反省したり
自己嫌悪という
自分の責任をすり替える心理操作を
しない!
ごめんなさい・・と云ったら
あとは
忘れる・・・。
まあ
人間は
ひと晩ねたら
たいがい
忘れるモンですけどねー!
自分のしたことなんて
忘れるものですよ。
逆に自分がしなかったことが
ずーっと
尾を引く。
自分を我慢させたり
自分をごまかしたり
責任を取らなかったり
ほんとうは反撃しなければならなかったのに
自分を抑え込んでいくと
それはずーっと
引きずります。
最後に私が若い頃
アートセラピーの研修で
一分間に
頭に浮かび見えるものを
どんどん描いてゆく・・という
ワークをしました。
その時始めに見えてきたのが
マルで
それが何枚も書くうちに
目玉・・になってゆきました。
ああー
私はこんなに他人の目に
脅かされていたのか・・と
愕然としました。
多くの日本人が
他人の目におびえる・・・というのも
無理がありません。
日本の社会そのものが
そういう風にお互いを
見張りあわせて
監視する・・・という
権力機構の中で
民衆を管理するという
歴史があるからです。
特に徳川の300年間は
ずーっと寺社奉行と庄屋などをつかい
村八分という
刑罰で
大衆を管理させてきましたからねー。
日本人の無意識にそれが
刷りこまれてしまいました
でも
今は違います
更に時代は
学問や芸術や
科学の発展によって
人間を解明し
解放していくと
思います。
※ 断っておきますが
科学をしらないひとほど
科学なんか・・・と
簡単に科学を否定しますよ・・・。
一人でも多くの
特に
若い人々が
他者の目などに
脅かされず
自分の人生を
はつらつと
いきてほしいと
願っています。
サラサラ・すたすた・アッカラカンと
楽天的に
生きてくださいね!

やってます。よかったら
どうぞ!
・ 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!
何回いっても、あなたが感じるように他の誰かも感じているとは限らない!!という事実を受け入れようとしない私の両親。
「自分がされて嫌なことは人にしない」と自慢げに語る母親。
その「嫌なこと」自体が十人十色であると認めないわけですから、いつも何かにつけてピントがずれた行動を押し付けがましく取る人物です。
そんな親と、ある出来事を契機に縁を切ったつもりで過ごしている私は今、解放感を感じながら毎日暮らしています。
この年にはなりましたが、親を否定し断ち切ることが私には必要でした。
これからもブログ、楽しみにしていますね♪

