母子密着、父子密着 の親たちへ |
母子蜜着、父子密着の子供の苦しさを思うと
願い、祈るようななきもちです。
是非
親の方に読んでもらたいと
思います。
誰でも人間は他者から、
指示、命令を
受けたくないものです。
このことをよーく親は自覚してほしい。
親だけでなく
学校の教師も
職場の上司も
ありとあらゆる
”大人”は
肝に命じていてほしいです。
幼児も3歳あたりを過ぎれば
自分の感性や意志のもとで
いきようとします。
この
”生きようとする”という事が
キーワードです。
新生児で、まったくの無力だった子供が
やがては寝返りをうち
はいはいをはじめ、そして
ついには
自力で立とうとします。
そこにある
”いのちの働き”こそ
”生きようとする”もので
人間が内蔵する
”自立”へのはたらきです。
もう一つ
ほとんどの親は自覚していないかもしれませんが
子どもは
親とは
まったく”べつもの”です。
親と似ているとか
親の遺伝とかいうものも
ありますが、
しかし昨日書いたように
生まれた瞬間から
その子供の生命活動
脳の活動がはじまり
それはその瞬間、瞬間のリアリティーをもって
その赤ん坊(子供)独自の世界の基礎を
造っていきます。
つまり
親と子供が
全く数秒も変わらず、
同じ環境でうまれた・・・・というなら
別ですが
そんなことはありえないから
まず、出発点から
もう
別物なのです。
子どもは生まれた瞬間から
”じぶんを生きだす”のです。
ましてや
子どもは
親の
所有でも
親の支配でも
”親のために生まれてきた”のでも
ありません。
いくら親がそれを望んでも
無理なんです。
人間は
子育ての期間が他の動物に比べて
あまりにも
長すぎるので
どうしてもそこに
執着が生まれてしまいますねー。
一生懸命、愛情を注いできた子には
なおさら執着してしまうでしょう。
しかし生命の大原則は
親はやがて子どもより前に
死をとげなければならない。
まあ時に
親が生き残ることもありますが
原則として老いた者から
終わりがきます。
だから
どのいきものも
いかに自分の子が
生き残れるように・・と
子に教えます。
何を・・・って・・・?
生きてゆく
方法です。
生きてゆくための
術と知恵を
教えます。
でも人間の子どもだけが
全部とは言いませんが
昨今
特にひどくなってきているのが
母子密着
父子密着という
子どもが
親の執着
親のエゴ
親の孤独
親の不安
の
犠牲になってしまっていることです。
つまり
親が
子どもと分離できないのですね。
特にひどいのが
成人になってもまだ
親の干渉
親の介入を
受け、
心理的には
幼児と同じくらいの
脆弱さでしか
立つことができない
若者たちです。
私の目には
厳しいことばですが
”親にくわえこまれた”!
”親に喰われている”
”ずーっい親に囲い込まれている”
ほんとうに
気の毒な
若者たちです
中には
もう
中年、初老になっても
親から心理的独立(自立)ができず
もがいている人も
います。
子どもを産む
子どもを授かる・・・ということは
子どもを
”一人の人間として
社会に適応しながら
自立して生きていけるように”
育てる・・・という
”責任”を
親が負うことです。
子どもと暮らす喜びを享受する
しかし
その反面に親は重大な責任を
負う!
どうしら
この厳しい人間の世の中で
処世しながら
生きていけるか。
親も人生を格闘し
葛藤しながら
自分の人生を自立してゆく。
その戦いの姿こそ
子供のお手本になり
やがて子どもも
自分の人生の旅へと
旅だって行く意志と覚悟を
自然に
熟させていきます。
それが冒頭の
人間に内蔵された
”生きようとする力”
です。
気が熟したら
ごく自然に
ごく
当然のように子供は
自分の人生の旅
未知との遭遇の旅へと
出かけます。
その時こそ
親はしっかりと腹をきめ
子どもを世の中へと
送り出さないといけません。
親は心配でしょう。
しかし
子どもは
親以外の多様な人間に出遭いながら
たくさんの経験をし
自分の生きる道を
自分で獲得してゆきます。
私からいうと
もう小学校高学年くらになったら
子どもの中で親が介入することを
やめる。
ちょうど第一反抗期暗いからですね。
この頃から
親は
いわゆる
後見人・・として
覚悟をきめて
子どもを手放してゆく
じーっと我慢して
手出しをやめる。
そして
徹底的に
我が子を
◎ 信頼してあげることです。
ちなみこれは余計な話ですが
我が家では
中学から娘も息子も
無断外泊も許可しました・・・笑!
それくらい
信頼しつくす
ぐらいで
いいです。
世の中は
親から見ると危険がいっぱいで
親だからこそ
そればかりに目がいってしまう・・・しかし
そういう危険にあってこそ
人間は
かしこくなり
強くなる。
失敗をくりかえし
連戦連敗の中から
たいせつなものを
掴みます。
子どもには未来が待っている。
しかしその未来も
幸福と安全だけが
あるわけじゃない。
幸福も安全も
その子どもがたくさんの
危険や困難やリスクを
超えてしか
手に入れることは
できません。
そういうことに
遭遇しながら
たくさんの事に
チャレンジしながら
その子自身の感性が磨かれ
経験による
”実感”にみちた世界を
自力でいきることにより
自信を獲得して
いけるでしょう。
そして親の最終的な仕事は
”じーっと
無言で
待っててあげること”
子どもはもしかしたら
ボロボロに
傷つくかもしれない。
もしかしたら
失敗だらけで
エネルギーが
尽きるかもしれない。
もしかしたら
大変な困難にであい
立往生しているかも
しれない。
しかし
子どもが満身創痍になったとき
疲れ果てた時
”帰るところ”が
ある…という事だけで
どれほど子どもが
救われるか・・。
ことわっておきますが
子どもに代って自分が
乗りだしたり
介入したしりするのは
絶対に禁止ですぞ!
手出しをしては
いけません。
ただ
船がいっとき休む母港があれば
いいんです。
そうして
いっときを過ぎれば
力尽きた子供も
やがて
自力で自分を回復し
再び世の中へと
挑戦していくでしょう。
生きようとする”その生命力を
親に
奪われない限りね。
母子密着や
父子密着をされていた子供は
成人になっても
自分の体験に
リアリティーが持てなくて
いつも不安に
襲われて苦しみます。
それは心の中の葛藤ですから
なかなか外からは見えません。
しかしもし親が
その子の心の苦しみを
具体的な映像として
見たら
自分のしていることの
罪の深さ
そして
ことの重大性に
愕然とするでしょう。
ほんとうに子供に
愛情がある親なら
即座に子供を
解放し
もう手遅れかもしれないけれど
子どものために
子どもを自立の旅へと
旅立たせるでしょう・・・・きっと!
母子密着
父子密着で
苦しんでいる若者たち
大丈夫だよ!
もしこのブログを見ているなら
シリーズ「共依存からの脱出」№4の
ワーク。
あの段ボールたたきを
やって
自分のなかから
親を叩きだして
自分の中にある
エネルギーも回復して
どうぞ自立の旅へと
旅だとう!
子どもにとって絶望するのは
自分の苦しみの原因が
”親にある”という
深い苦悩と
どこにも
自分の帰る場がないこと。
母子密着
父子密着の
お母さん
お父さんも
自分の孤独を自分が引き受けること
自分の不安も自分で解決すること
そして自らも
大人として
成熟して
もう
子供から離れて
自分の人生を究めていってほしいと
思います。
子どもも
親も
救われることを
祈ってます。
最後に
人生は何度でも
リセットできます。
つまり
脳は
その人間が
死ぬ間際まで
常に
リセットしているからね!
大丈夫ですよ。
『伝心柱マガジン』も
やってます。よかったら
どうぞ!
・ 最近、ブログを書くだけで精一杯で、ちょっと疲れてきたので
コメントンに関しては、お返事を書かないことにいたしました。
でも記入はご自由にどうぞ!