シリーズ”風のエッセイ” 鬱の中の雑草! |
鬱がはげしくなりずーっと
家にひきこもっていました。
でもどうしても
外に出かけなくては
ならないことがあり、
なるべく人と目が合わないように
うつむいて、
歩いていた時
家のすぐそばの
道端の
雑草のなかに
ちいさな
ちいさな山椒の実ほどの
花を見つけ
こころが強く魅かれました。
可愛いなあー
愛らしいなあーと
こころが満ちてきて
鬱だっただけに
いつもの倍以上の感情が湧き
しゃがみこんで
そのけなげな姿を
じーっと見ていました。
こころがむくと
だれもいないことを
確かめては、
その花を見に行きました。
しかし
あるとき
地域のお掃除デーというのがあり
地域の人がいっせいに
道路を掃除していきました。
ああーもしかしたら・・と
悪い予感がして
見に行きましたら
そこは
なめたように草一本なく
あの雑草の花も抜かれて
いました。
その瞬間に深い嘆きが
胸いっぱいにひろがりました。
私の大切なものを
踏みにじってと
怒りすら湧いてきました。
勿論地域の人はそんな私のことなど
しるよしもないのですが・・・・。
私の鬱の原因は
原理的には
エネルギーが欠損してしまったことに
ありますが、
そのもっと奥の深層に
いつもっ自分の大切なことが
挫かれてきたという
無力感が
あります。
子供の頃に
大きな力によって
挫かれてゆく自分が
何もそれに抗することができないという
無力感です。
大きな力とは
父親の事です。
それは私の人生の中に
大きな影を落とし
何かにつけ成功寸前で
挫折するという事を
繰りかえしたきました。
その中でわたしは
しばしば鬱に襲われてきました。
でも一方では
鬱になるたびに
そこには
うずくまる自分があり
かろうじて
自分を取戻している自分がいる。
(この感覚は鬱になったひうとならわかるでしょ!)
でも
立ち上がれないでいるけれど・・・・。
鬱になって
他人の目には
大したことでもなく
そこら辺の雑草ですが、
それにどんなに心を
癒されていたかと思います。
地域の人当然のごとくお掃除をしただけで
それを責める気はありません。
(ホントは怒り心頭でした・・・笑)
でも
あの時私は
私同様に
人間のなかには
他人が
踏み込んではいけない
ちいさく、しかしとても大切な世界があることを
痛感しました。
気をつけねばと
思います。
そのひとがたいせつなら
私も大切にしてあげねばと
思います。


