パラダイムシフトがおきている。 |
何とも言えず漂っている不安は
震災や不景気の影だけではなく
世界中に大きなパラダイムシフトが
起きているからではなかろうか・・・と
考えていたら、
いつの間にか眠っていた。
大きなパラダイムシフトとは
今までの価値観や社会思想や規範が崩壊して
あたらしい価値をもった社会が
生まれてこようと
している。
それはコンピューター革命もさることながら
生産と消費をもとにした市場資本主義が
倒壊してゆくのだと…という事によって起きてくる
旧パラダイムの崩壊で
今まで人間がよりどころにしていた
考えや価値観が
総崩れになっていく、
いやいっている・・・といったほが
いいかもしれない。
まさに私たちは
大きな崖へと向かっているのかもしれないね。
今まで自分たちがよりどころにしていた
常識や規範が
どんどん崩れていく中で
世の中すらも
どうなっていくのだろう
そして
何をどうすればいいのかという
ビジョンが
ほとんど見えてこない。
つまり”今の現実”は
市場経済で前提とされた
”おかね”がもう
入って来ず、そして動かずなのだから
当然のことながら
足ふみ状態で
思案に暮れて
仁王だっているしかない。
復興をどうするか
原発をどうするか
経済をどうするか
でもすべてはお金ありき・・・が
今までの前提だったからね・・・。
さあーどうするか。
ちょっと話を変えるが
人間の心理が一番安定しているのは
”現状が維持されている”時で
外的にも内的にも
大きな変化が起こると
人間は動揺し
不安に落ちる。
だから
どうしても
人間は本能的に
現状を維持しようと画策する。
する・・としないで
あえて”画策”と書いたのは
まさに
政治も経済も文化も文明も
すべてにおいて
今の日本は、まさに
現状を維持しようと
画策しているように
私には思えるからだ。
言いかえれば
失う事を恐れている・・・ように
見える。
人間がなぜ現状を維持しようとするのかは
頭はすぐに切り替えれらても
身体はすぐには切り替えられないからだ。
身体は常に現状を維持しながら
ゆっくりと微変化しながら
生きている。
体温や血圧や心拍数は常に
現状維持しながら
身体の”健康”の安定を図っている。
そういう体の事情を
心理に反映しながら
しかし脳は逆に
常に未来を読み取り
瞬時に脳を書きえ変化している。
そして
身体も脳も
現状がなしくずし的に
崩れ落ちない限り
現在維持していることを
失おうとはしない。
失うことも
捨てることも
そこには
確固たる”意志”がいる。
覚悟が必要です。
これは私の全くの妄想かも
しれませんが、
おそらくこれから
今まで私たちが享受してきたことを
失い
そして
あきらめ
捨てなければならない
時代へと
入ってゆくと
私は思う。
これまでの
放縦に
豊かさを
物質の消費を
文明の利便さを
貪り
飽食してきた時代のつけを
私たちは払わなければならなくなると
思う。
つまり
現状を維持できず
更に生き延びてゆくために
人間が
自分の欲と
必然的に
向き合わずには
いられなくなるだろう。
自分の我欲、我執を
どうするかと
突き付けられる時代がくるかも
しれない。
いいです。
人間の物質欲の根底には
その人間の内面に巣食った欲が
ある。
つまり
自分の中の欲を掃除し解決しない限り
人間は
自分の欲を外的世界に投影して
物欲へと走る。
自分の内面に巣食う
さまざまな欲が
自分の知性によって
”相対化”され
掃除あるいは
捨てられた時こそ
そこに自分の解放があるからね。
そうなってくると人間は
もう
あまり物質を必要としなくなる。
もしこの市場資本主義社会が
倒壊したら
有史以来・・・というと
大言壮語のようにも
聞こえるが
紀元前400年ごろから
釈迦が、老子が孔子が
そしてイエスや
さまざまに覚醒した人間達が
警鐘を鳴らし続けても
なお
欲にまみれることを
捨てられない人間が
もう欲を捨てなければ
生きれない社会が
来るかもしれない。
まあー
そうはいっても
手直し、手直しで
100年いくかもしれないし
もしかしたら
頭のいい人間が
とんでもないことを
考え出すかもしれないし
先のことは
わかりませんが、
まず
現状を維持することを
あきらめる・・・ことから
閉塞と不安から脱出するための
その出口の灯りが
みえてくるかもしれないと
思います。
『伝心柱マガジン』