シリーズ「残念なひとびと」・・・仕事を人生を段取りしてゆく。 |
それを段取りをしてゆく能力がないと
成就しない。
親はそのことを
いかに
子供に伝えるかが必要です。
そのためには
子ども自身が
自分で人生を切り開けるように
過保護にしたり
手出しをしない。
物事を段りしてゆくのは
単に準備をすることではない。
そのことに必要な物、事を
準備してゆくためには
まず
全体像がみえていないとだめです。
そのことが進行してゆく過程や
行程を予測し
推理した上での
到達点や
完成像が見えて
はじめて
何が必要で
何を準備しなければならないかが
わかってくる。
そういう能力を
いかに
子どもにつけさせる事だと
思いますよ。
それには
人間関係の基礎を学べる
遊びが
どれほど大切であるか・・・。
また勉強も大切で
勉強によって基礎的な知識を
身に着けたうえでさらに
アリとアラユル学問の中に潜む
この世界を解明する知識と
その解決の知識を
脳の中にぶち込んで
データー化し
知識化してゆくことが
どれほどオモロク
楽しく
役に立つかですよ。
勉強すればするほど
自分の世界が広がり
自分が成長し
人間世界を
広く
深く
奥行き深い
パノラマのような視点が
育ってゆくからね。
つまり
賢くなってゆく。
受験のための勉強なんかじゃないからね。
ほんものの”知”としての
勉強ですぞ!
そしてそれらが
その人間の脳の中で
しっかりと定着し、
肉化するには
その人間の生きている臨場のなかでこそ
それらがいきいきとした
現実感を伴って
蓄積されていく。
だから
日々の生活の中のすべて
遊びも
いさかいも
成功も失敗も
挫折も
その克服も
それに
ぼーっとしている
時間も
ものすごく大切です。
つまり
アリとアラユル経験や体験が
その頭にぶち込んだ学問と結実して
その人間の知性や見識の
ひろさ
深さ
豊かに
成就してゆく・・・。
親が見てアレコレ子供の世界に干渉し
指示するなど
愚の骨頂で
子ども自身に任せたらいい!
子どもの中の
やわらかい、
何でもスポンジのように
吸収する脳と
もう
溢れて、溢れて
グイグイと生きようとするエネルギーに
任せたらいい・・・。
頭でっかちに
不必要な勉強ばかりを強制された子供は
自分の正直な実感や欲求で生きると
危ない、ヤバイという
とんでもない不安を
その深層心理に植え付けしまっているのですぞ!
だから
自分の自然な欲求や意欲で生きようとせず
親の意志にそって生きようとしたり
いつまでたっても
誰かの指示や命令や助言で
自分の意志を決めようとする。
つまり
自分の臨場感や
実感を育てることを
親に阻まれた子供たちが
どんなに苦しんでいるか・・。
これは日本の
人材の
大きな
損失だと
私は思います。
青年たちよ
今からでも
間に合う。
特に自分が何をしたらいいかわからない人は
まず自分の自然な気持ち
自然な感情にそって
小さことでもすべて
自分らしいことを
選択て
生きてください。
そして
何でもやってみよう!
まず
挑戦です!
多分頭の中にいっぱい
不安のブレーキが
かかっていると思うから
まずそれを外し
アクションをおこすこと。
いろいろ体験するうちに
不安も怯えも
少しずつ
消えていくからね。
自分の意志で選択
決定したことを
やってみよう!
まずはアクションです。
そうするうちに
少しずつ
少しずつ
自分の目で
見えてくる。
親の眼じゃないよ!
自分の眼だよ・・・。
失敗だらけでいいです!
連戦連敗で
いいよ!
でも
そうしながら
やっと
この世の臨場感が
つかめてくるだろ!
わかってくるだろう!
脳が自分のために働きだすだろう・・。
そしてね
この世は決して単純ではないし
甘くない・・・。
だから
人生も用意周到に段取りをする必要が
ある。
仕事も就職も
今が勝負のときじゃーないんだよ!
これから
一歩、一歩、根気よく、そして抜け目なく
階段を上ってゆく。
勿論
試行錯誤をしながら・・ですよ。
自分の段取りに
必要な物を
必要な事を
必要な人を
掘りあてていくんだねえー!
今は生まれたての赤ん坊で
何も見えないかもしれないけれど
求めさえすれば
脳が
その人の無意識が
少しずつ段取りをしてくれる。
今は断片的で
欠片しか見えなくても
いずれ
自分という者を軸にして
それらの欠片や点が
一本につながってくる日が来る。
そこには
自分が
意識的に
そして
無意識で集めたデータの
集積が顕れてくるんだね・・・。
それが
まさに
自分というものでね、
自分を媒介にした
集積の世界が
立って(建って)くることなんですね。
自分は自分らしく
この世を生きてゆこう!
と
自分を信頼し
いつも
未来をめざすこと。
後ろなんか
向かない!
では
ガンバろうー!
『伝心柱マガジン』