シリーズ”風のエッセイ” はたらくことは生きること! |
私の子供頃
職業に貴賤の区別はなく
働くという事は
尊いと事だと
教えられてきました。
私は今もその通りだと思っています。
昨日書いたように
人間の本質は
”はたらき”であり、
労働という
”はたらき”もその一つであると
思います。
そもそも今の繁栄の
根源には
はるか遠くではありますが、
原始の人間の”働き”があり
それは命を保全、持続し
家族や部族や仲間を守るという
直結した
尊い
行いでありました。
それがいつの間には労働・働きは
お金を得る…という拝金に
矮小化されて
上下の序列に価値別されて
人びとはなるべく
効率よくお金を稼ぐことを
ヨシとするようになり
その結果がすべて
お金というマネーゲームに
価値が一元化されてしまう世の中に
なりましたねー。
いまや
他者や社会のために
自分のエネルギーを使うという
尊さは
かき消えてたかのようです。
更に
良い大学を卒業して
一流企業に就職し手・・・云々という
日本社会に蔓延した妄想は
日本の若者たちに
はたらくことが尊いのはなく
より有利な条件で
働くために
人生があるような錯覚を
刷りこんでしまいました。
親そのものが
職業に貴賤の区別はなく
はたらくことは尊いということを
子に教える事もなく。
働くことそのものが
素敵な事なんだよ!という事などより
より欲深く
そして労働を差別して生きることの方が
あたかも
賢いかのように
なってしまいました。
そんなこと
現実的でもないし
お金を稼ぐことは
そんなきれいごとじゃない・・って反論も
あるとおもいますよ、
でも
言わせてもらえば
人間こそ
きれいごとでは生きれない。
ゴミ処理でも
便所掃除でも
過酷な炎天下の労働でも
みーんな誰かが
請け負って
泥まみれや油まみれになりながらも
働いてくれている人がいる。
そういう風にして
私たちの生活が成り立っている。
条件の悪い労働を
引き受けてくれている人も
ひとは誰でもが
懸命に生きていていること、
働いていることに於いては
すべてが平等で
その働きに
謝意を持っていないと
人間の心は欲で
荒んでいく。
できたら自分を生かせる働きを
見つけられると
サイコーだけれど
でも
欲に駆られて
あれこれ条件にひきずられているより
まず
どこにいても
はたらくことそのものが
とても素敵なことなんだという
ことから出発して
最初はナンでもやってみようくらいの
気概がほしい。
働くことは楽しい!
自分の働きが実ったときは
さらに楽しい!
わずかでも、自分の働きで手にしたお金も
嬉しい!
はたらくことが苦しいのは
当たり前のことで
そんなこと
どの職業においても
どの労働においても
必然的に苦しさは
発生する。
人間の社会はいつも矛盾や苦悩を
孕んで
成立している。
それは
人間が私宿命的に
光と闇を持って
生きているように
社会もすべて
人間の心の投影だからね。
でも
自分のこの小さな点の働きが
実は社会という大きな地平の中の
ちいさな小さな点として
とても尊いのだということは
たしかなことでもある。
それは
そのまま
自分と言う存在
ほんとに消え入りそうで
弱々しい自分でも
とても大切で
尊い存在になのだということに
繋がっている。
だから
じぶんをおろそかに
扱わない!
自分を卑下しない
自分の、
そして
他人の、
そのささやかな労働・はたらきに
いつも温かい眼差しを
むけていること。
そこに息吹を感じること。
そしてさらに自分を生かすために
どのような働きが自分を生かせるかを
智慧を働かせ
考察をする。
働くことがイコール
自分を輝かせるように
頭を使うんだね。
説教じゃないよ
宗教でもないよ
人間の脳と体はいつも
休むことなく
働いていて
そのエネルイギーを
循環させるように
できている。
つまり
はたらくことこそ
生きることそのものだと
思います。


