2012年 05月 27日
シリーズ”風のエッセイ” 自分を引き受けてゴールまで! |
今朝、自分の心の中に
まだ残っていた依存と支配欲のかけらを
見つけて
さっそくそれも捨てることにした。
人間ってなんて複雑で
深いんだろう。
すべて捨てるとか
すべてなくなるという事は
有りえないだろうが
でも
こうして自分の中の
不要物をはっきり認識できるのは
とても幸せな事だと
つくづく思う。
捨てて捨てて
出来るだけ身軽になってと
思います。
今読んでいる
茂木健一郎さんの
「生命と偶有性」の中で
茂木さんが出遭ったものの中に
・無意識の心理学
・箱庭療法
・エンカウンターグループ
・カールロジャース
をあげておられるから
やっぱりカウンセリングも
勉強されていたのですね。
私がこの人は優れているなあーと
思う人は
たいがい
広範な分野に精通している。
もう手当たり次第というくらい
好奇心満々で
何でも読んで
たいがいの事には
手を付けている。
その旺盛さは
飽くところがない。
そして追求し始めたら
これでも
これでもか・・と
奥が深く
おそらく一生かかっても
マダマダ・・・ということかも
しれませんね。
先般このブログで
自分の自我が粉々になってしまう事を
書きましたが
よーく考えれば
そういう人は
(親の無意識に依存し
自他の分離が出来ていない人)
無意識に
親に同化して
親の背中に乗っかって生きてきたわけだから
それが粉々になるのは
もう必然でねー。
そういう人は
自分の本心を封印して
親の意識の上に乗っかって
ちょうどイメージでいうと
親の背中におんぶされているような
状態ですね。
ほんとうは
自分の足を地につけて
自分で
すべてを
引き受けて
もしかしたら満身創痍で生きてこそ
はじめて
自分の中が埋まっていくのに
それを
親の背中におんぶして
それはただ
親の意識と無意識
プラスαにすぎないのに
そこで
いろんなことを
知っているつもりになって
そこをスタート地点にしているから
世の中で
想定外の事ばかりにぶつかって
粉砕されてしまう。
でも
粉々になって
はじめて
自分はほんとうは
何もしらなかったんだ・・・と
気づければ
幸いです。
自分の限界を知っている人は
優れた人です。
そして
気づければそこから
出発です。
気づいたときから
今度は
自分が封印していた
自分の本当の感性が
作動し始めますからね。
つまり
自分の感覚で生きていいんだよ・・・という
OKが出始めるのです。
そうして最初は
ソロソロという手探りで生きだすが
でも
次第に手ごたえを得て
自分が再構築されていく。
そうなるといいいですねえー!
自分の無意識の中に或るものを
だんだん自覚しはじめて
はじめて
自分の感情の
おおもとに或る因子が
理解できてくるわけです。
自分の解明ができてくる。
そしたら今度は
じぶんが生きるにひつようなもの
不要なものの
取捨です。
自分と言うものは
自分の無意識にあるものを
解明して
やっと
ああ,そうだったのか・・・と
分かってくる。
でも中には
挫折して自分が粉々になっても
まだ
依存が解けず
こんどは
親に代わるものに
依存しようと
さまよう人も
大勢います。
そういう人は
気の毒だけれど
一生親のダミーを
捜し続ける。
それが結婚の相手だったり
自分の子供だったり
友人だったり
ペットだったり
宗教の教祖や
組織だったり・・・・etc
と
依存の対象を
探しつづけては
依存する。
でも最終的には
どの人も
自分を引きけて
生きるより
アリマセン。
自分を
引き受ける・・・です。
つまり
好むと
好まざるとに
かかわらず
自分が自分の中に刻んだ
自分の内容を
自分が引き受けるしかないのです。
しかし
前半の人生を
後半の人生に生かすためにも
自分の無意識にあるもの
或いは
・植え付けられたもの
・おもいこまされたもの
・そうするよりほかになかったもの
の
正体をみつけ
チャ―ンと
検証できれば
人生を今度は
自分の手で創造してゆくことが
出来ます。
多分
そこの扉が開くと
自分の足で歩き始めた自分にとって
世の中は
新鮮なものだらけで
ああこれも知りたい
これも知っておきたい
と
自分が獲得したい
たくさんの知識
学識
経験
体験そして
考察・・・と
おそらく
智識の守銭奴じゃあないけれど
何でも
見てやろう
知ってやろう・・・という
欲がでてくるのだと
思います。
思いますというよりまさに
私自身が
そうでした。
今もそうですが、しかし
もう
あれもこれもという時期は過ぎて
最近は
あっ、これはいらない
あっ、これは
いる・・・と
かなり簡単に選別できるよう
なりました。
今朝も
自分の心のなかを
覗きながら
にんげん・・・って
なんて
深いんだろう・・・という
感慨があります。
自分の一生を
費やしても
きっと
まだまだだと思いますが
でも
ゴールまで
やり続けてみようと
おもっています。

『伝心柱マガジン』
まだ残っていた依存と支配欲のかけらを
見つけて
さっそくそれも捨てることにした。
人間ってなんて複雑で
深いんだろう。
すべて捨てるとか
すべてなくなるという事は
有りえないだろうが
でも
こうして自分の中の
不要物をはっきり認識できるのは
とても幸せな事だと
つくづく思う。
捨てて捨てて
出来るだけ身軽になってと
思います。
今読んでいる
茂木健一郎さんの
「生命と偶有性」の中で
茂木さんが出遭ったものの中に
・無意識の心理学
・箱庭療法
・エンカウンターグループ
・カールロジャース
をあげておられるから
やっぱりカウンセリングも
勉強されていたのですね。
私がこの人は優れているなあーと
思う人は
たいがい
広範な分野に精通している。
もう手当たり次第というくらい
好奇心満々で
何でも読んで
たいがいの事には
手を付けている。
その旺盛さは
飽くところがない。
そして追求し始めたら
これでも
これでもか・・と
奥が深く
おそらく一生かかっても
マダマダ・・・ということかも
しれませんね。
先般このブログで
自分の自我が粉々になってしまう事を
書きましたが
よーく考えれば
そういう人は
(親の無意識に依存し
自他の分離が出来ていない人)
無意識に
親に同化して
親の背中に乗っかって生きてきたわけだから
それが粉々になるのは
もう必然でねー。
そういう人は
自分の本心を封印して
親の意識の上に乗っかって
ちょうどイメージでいうと
親の背中におんぶされているような
状態ですね。
ほんとうは
自分の足を地につけて
自分で
すべてを
引き受けて
もしかしたら満身創痍で生きてこそ
はじめて
自分の中が埋まっていくのに
それを
親の背中におんぶして
それはただ
親の意識と無意識
プラスαにすぎないのに
そこで
いろんなことを
知っているつもりになって
そこをスタート地点にしているから
世の中で
想定外の事ばかりにぶつかって
粉砕されてしまう。
でも
粉々になって
はじめて
自分はほんとうは
何もしらなかったんだ・・・と
気づければ
幸いです。
自分の限界を知っている人は
優れた人です。
そして
気づければそこから
出発です。
気づいたときから
今度は
自分が封印していた
自分の本当の感性が
作動し始めますからね。
つまり
自分の感覚で生きていいんだよ・・・という
OKが出始めるのです。
そうして最初は
ソロソロという手探りで生きだすが
でも
次第に手ごたえを得て
自分が再構築されていく。
そうなるといいいですねえー!
自分の無意識の中に或るものを
だんだん自覚しはじめて
はじめて
自分の感情の
おおもとに或る因子が
理解できてくるわけです。
自分の解明ができてくる。
そしたら今度は
じぶんが生きるにひつようなもの
不要なものの
取捨です。
自分と言うものは
自分の無意識にあるものを
解明して
やっと
ああ,そうだったのか・・・と
分かってくる。
でも中には
挫折して自分が粉々になっても
まだ
依存が解けず
こんどは
親に代わるものに
依存しようと
さまよう人も
大勢います。
そういう人は
気の毒だけれど
一生親のダミーを
捜し続ける。
それが結婚の相手だったり
自分の子供だったり
友人だったり
ペットだったり
宗教の教祖や
組織だったり・・・・etc
と
依存の対象を
探しつづけては
依存する。
でも最終的には
どの人も
自分を引きけて
生きるより
アリマセン。
自分を
引き受ける・・・です。
つまり
好むと
好まざるとに
かかわらず
自分が自分の中に刻んだ
自分の内容を
自分が引き受けるしかないのです。
しかし
前半の人生を
後半の人生に生かすためにも
自分の無意識にあるもの
或いは
・植え付けられたもの
・おもいこまされたもの
・そうするよりほかになかったもの
の
正体をみつけ
チャ―ンと
検証できれば
人生を今度は
自分の手で創造してゆくことが
出来ます。
多分
そこの扉が開くと
自分の足で歩き始めた自分にとって
世の中は
新鮮なものだらけで
ああこれも知りたい
これも知っておきたい
と
自分が獲得したい
たくさんの知識
学識
経験
体験そして
考察・・・と
おそらく
智識の守銭奴じゃあないけれど
何でも
見てやろう
知ってやろう・・・という
欲がでてくるのだと
思います。
思いますというよりまさに
私自身が
そうでした。
今もそうですが、しかし
もう
あれもこれもという時期は過ぎて
最近は
あっ、これはいらない
あっ、これは
いる・・・と
かなり簡単に選別できるよう
なりました。
今朝も
自分の心のなかを
覗きながら
にんげん・・・って
なんて
深いんだろう・・・という
感慨があります。
自分の一生を
費やしても
きっと
まだまだだと思いますが
でも
ゴールまで
やり続けてみようと
おもっています。

by denshinbashira
| 2012-05-27 06:03
| 風のエッセイ!
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