いじめは大人社会への信号です! |
文明が進み人間が頭でっかちに
なればなるほど、
ほんとうはすでに
備わっているはずの
人間の自然のパワーバランスが
損われていく。
ひらたく言うと
頭で生きよいうとしてしまい
身体で生きるのを
忘れている。
以前にも書きましたが
脳への情報は
身体から入っていきます。
だから
”身体の自然性”に添って生きていくことは
とても大切なことなのに
頭で生きちゃう・・・??!
特に子供は
身体でいきていて
命が命を育てるために
とても敏感に
命が
反応しながら
生きてる・・・・・のに
大人が
まあー、
いろいろ
いじくってしまう。
大人の利害や
大人の欲や
大人のコンプレックスを
こどもに
投影して
いじくってしまう。
子どもの頭のなかに
自分の不安や
怖れを
ほうりこんでしまうのですね。
もっと子供が
子どもだけの世界で
自由に
奔放に
遊びほうけて
いきれると
いいですねえ・・・。
私は娘には
もし
子どもが生まれたら
ちいさな
ちいさな
友人として接し
できるだけ
自然の成長にまかせて
そだててほしいと
言ってます。
自然の成長というのは
こどもの命は
常に
いきようとして
大人を模倣しているから
それをちょっと手助けするくらいに
”教えてあげる”・・・で
いいよ・・・と言う事です。
赤ん坊も幼児も
大人の真似がしたくて
たまらないはずだから
それがおかしいなあーと
おもったら
こうしたほうが
上手くいくよ…つてなぐあいで
教えてあげる。
そして
なるべく
親自身が
ノホホンと
気楽にいきる。
不安になったり
深刻になったりするのを
なるべく避けて
まあー
なんとかなるだろう・・・と言うくらいで
いいと思いますよ。
子どもを授かったら
特に母親は
その赤ん坊を育てることに
どーんと責任を感じるでしょうから
廻りが
母親が楽になるようなに
サポートしてあげることですね。
でもなかなか
そうもいかないでしょうけど
母親も
なんでも自分一人で
抱え込まないように
常に
大丈夫、心の余裕、心の余裕と
自己暗示をかけると
いいですねえ・・・。
優先順位の低いことは
どんどん
手抜きと
さぼりを
することだと
思いますよ。
学校にゆくののも
遊びに行く・・・くらいの
感覚で
いいよ・・・って
いってます。
でも
学校に行くことが
いじめられる地獄なら
ぜんぜん行かなくて
OKだよ・・・とも
言ってます。
まずは
子どもが安心することです。
もしかしたら
いじめられている子供は
ずーっと
信号を出し続けていたかもしれませんから
それを
大人が見落としていたのかも
しれませんね。
学校は”行くものだ”と
親や大人が
決め込んでいると
その信号も見えないと
思います。
大人も親も
学校へ行く…といいう事は
何を目的にしているのかを
始めから考え直さないと・・・と
おもいますよ。
学問は
本来
楽しいものです。
赤ん坊が
貪欲に自分のなかに
生きるためのデーターを
取り込んでいくように
子供達は
自分が成長して
世界を広げることは
とても
楽しいことだと
思います。
特に
自分で答えを
発見したときなど
その子は自分と言う人間の存在観を
どーんと
確認するでしょう・・・。
子どもの世界に
いじめが
蔓延すること
子どもが
自殺するなんてことが
そのまま
今の世の中の
大人の世界が
いかに
歪んでいるかを
突き付けていると
思います。
つまり
解決しなければならないのは
大人の世界の方で
大人の世界の
人間の在りようと
人間関係の在りようを
捉えなおす必要があるでしょう。
大人が
自分の心の自然性を
見つけ出すことだと
思いますよ・・・。
ひらたくいうと
自分の体が
ほっと安心できるような
生き方をする
ことだと
思います。
様々な事を含めて
おおきな
時代の転換を
私たちは考えなければいけないかも
しれませんね。

