2012年 08月 04日
結婚して、人が出遭うという意味と価値について |
このところ若い人たちの結婚に関する
カウンセリングが続いており
そのことから今日は、
人と人が出遭う・・・ということ。
そして
結婚する…という出会いは何なのか・・・について
書いてみようと思います。
まず人と人とが出遭うという事には
チャ―ンと意味や価値があります。
まあ
行きづりにであった人の事は
別にしても、
いや
行きづりに出遭った人とさえ
そこには
小さな瞬間的な意味がないとは
いえないなあー!
なぜなら、
人間は
まったく関心や必要のない人間には
無反応だからです。
つまり
自我意識の人間に対するアンテナは
眼が覚めている間は
絶えず作動し、
反応し続けているからです。
だから
良きにつけ、悪しきにつけ
自分が反応している・・・ということは
すべて
自分にとっての
何らかの意味や価値がある・・と
いう事です。
だから、
”結婚”までに至るような相手との出会いは
自分にとって
おおきな意味があります。
男女の恋愛は、単に性的な欲望や
発情では
ありませんよ。
そういう自分の欲求、欲望を通して
自分のなかにある
”それまでの人間関係”の中での
何らかの欠乏を
満たそうとするものであること
なんですね。
自分のなかにある
欠落、欠乏とはなんでしょうか?
自分の事ほど
自分では
わからないものですが・・・。
しかし
そのみえないものは
やがて
結婚という共同生活のなかで
確実に姿をあらわしてきます。。
なぜなら
結婚生活のなかで
自分が相手に託した幻想や依存は
必ず壊れていくからです。
そこには
まさしく自分の前半の人生(成長期までの人生)においての
欠落や欠乏が
恋愛の相手という対象に
投影されていきます。
前半の人生における”人間の関係”で
獲得したこと、
逆に獲得できなかったことが
必ず影を落としていきます。
そして恋愛と結婚とで
出遭う相手とは
自分の
その欠落や欠乏を
埋めてくれそうな幻想や依存が
投影された
相手です。
しかしそれも
”してくれそうな・・・”という
錯覚で
選んだ相手だからです。
しかし
残念ながら
自分の心の欠損など
誰も埋めてくれることができないことが
結婚生活の中で
証明されていきます。
つまり結婚生活において
出てくるトラブルにおいて
相手に求めていることこそ
自分の欠損や欠落そのもので
相手がそれに
答えられなくなった時
トラブルになってしまうのです。
〇〇・・・してくれない・・とか
〇〇ばかりする・・・とか
〇〇のようになってほしいとか
どうして〇〇しないのか・・・とか
おそらく無意識に相手に依存し
相手幻想化して
求めていたものが
与えられないと
相手に失望し
結婚に失望する…という事が
起きてくる……のですが、
それらはすべて
本来自分で
賄わなければならないことなのです。
一般的な”愛情”なるものも
極論すれば
他人からもらおうとすること自体が
無理なんですよ。
人間が他者に与えられるものは
ほんとうにささやかな
親切くらいです。
つまり
結婚とは
自分にとって
想定外の事ばかりが起きてしまうのが
当たり前なのですね。
しかし
人間にとってほんとうに
その結婚が
価値あるものになっていくのは
それからなんです。
とかく結婚、離婚のトラブルは
それはいつも
感情的なレベルでばかり
争うことが多く、
本当は
自分の内面の欠乏の問題なのだという視点で
そのトラブルを検証するなんて人は
見たことがありません。
でも
もしかしたら
その人間が老い,
死を迎えるころになると
分かってくるのかもしれませんが・・・・。
もしその人が
結婚によって起きる
トラブルの中から
そこに発生する問題を
冷静にとらえ
自分の内面をを相対化して
分析できたら
それは大変な宝物と
なります。
また、性格の不一致・・という
なんとも奇妙、奇天烈な理由がありますが
脳はそれぞれが
個絶していますから、
性格なんてのが
一致するわけなどないのですから
そういう理由は
自分達の内面を検証することから逃げて
ごまかした
もう、ご都合主義としか
言いようがありません。
その欠落や欠乏は
様々なパターンがあり
自分の両親や家族との”関係”において
もらえなかった愛情の欠乏を
結婚の相手から
貪ろうとしたり、
自分の両親や家族から受けた仕打ちを
結婚の相手を代用にして
仕返しをしたり。
或いは
自分のコンプレックスを満たすために
お金や身分や学歴で
相手を選んだり
これは偏見かもしれません・・・が
とかく男は
自分より格下の女性か
或いは
母性の強い頼れる女性を
選ぶ傾向があるように
私には思えますが・・・・・笑!
女性にも
言っておきますが
自分を保護してくれる男など
いませんからね・・・・笑!
結婚相手と
絶えずトラブルを起こしながらも
決して相手が自分から
離れられないような心理的支配をしたり
これは共依存の1パターンなのですが、
いわゆる
腐れ縁的な関係で
お互いが
憎しみながらも
はなれられない。
と、まあ
星の数ほどの人間なら
星の数ほどの
関係のパターンがあり
それぞれには
金の鍵が
潜んでいる。
つまり
結婚によるトラブルや困難を
解決、
乗り越えてゆく過程にこそ
その人間が自分とはなにかに
気づいてゆく重大なことが
潜んでいるのです。
私の場合も
感情的で愛情過多であり
私を所有し、干渉した父親と
マ反対の
クールな男を選びました。
彼は確かに
干渉もしませんでしたが
どこか愛情が薄く
いつも置き去りにされ
常に
彼の都合が優先される・・と云う状態で
夫婦の密度の薄いこと、うすいこと・・・笑!
そして家族としては常に
父親不在の家庭で
子供のためにそれをを埋めるべく
父親役と母親役の両方をやりましたが
やはり、父親の役はあまりできませんでしたねえー。
それで
結婚生活のほとんどが
父ちゃんとの
確執でした
やっと最近
60歳を超えてやっと
父ちゃんという人間の
全貌がつかめてきましたが、
まあ
そういうモンですよ。
それくらい時間がかからないと
相手の事などは
分からないものです。
まあ、カウンセリングを勉強したおかげで
普通のひとよりはやく
”ひとりで生きる”覚悟や決意ができましたし
感情の水準で相手をみるのではなく
父ちゃんの成育歴を
身ぐるみはがして
その心理分析を
やったおかげで・・・笑!
依存や幻想から
はやめに
覚めることができたと
思います・・・・笑!
逆に
相手のなかにある特質を
どう生かしたらいいか・・・ということも
よーく理解できました。
相手を生かすことが
同時に自分を生かすことのもなる・・・という
現実的な知恵も働きましたから・・・。
しかし
同時に
なにかことが起こるたびに
自分のなかにあった
欠落や欠乏が明確になるにつれ
自信を喪失したり
ずいぶん落胆しましたが
それも覚悟をきめて
自分にメスをいれ、
彼との結婚に対する
幻想
依存
甘え
そして
世間的、或いは
社会的に流布されている
まちがった人間観などを
一枚ずつ自分の意識から
はぎ取ってゆきました。
時に感情が震え
怒りや悲しみに
感情的になる・・という
辛い作業でしたね・・・・。
そうした作業のうちに
相手は
ただ
相手自身の自分を
生きているのであり
私のために生きているのではない・・という
冷厳な現実を
煮え湯を呑み込むように
自覚して、
相手も
自分も
一度しかない人生を
それぞれの人生を生かすには
どうあればいいかを
考えました。
相手を生かすことと
自分を生かすことを
どう両立させて
夫婦として
家族として
やっていくか・・・。
日々格闘し
日々葛藤し
心身ともに
疲れ果てながらも
二人が
なぜ
出遭ったか・・・という
秘密(テーゼ)を
解いてゆきました。
今から思うと
私は彼に出遭う必要があったし
彼に出遭う事で
それまでの私にあった
人間認識の
甘っちょろい幻想が
ボロボロと崩れ落ちていきましたから
だからこそ
冷や水を浴びせられるように
アダルトの冷徹な目が育てられたと
思います。
彼は
私に出遭わなかったら
多分
家族という、魂の出遭いや
人間の絆を
味わえなかったかも
しれませんねえ・・。
もう夫婦としては
黄昏でねえ・・・。
でも
大変有意義な出会いだったと
思います。
相手は自分にふさわしいかどうか
そして
相手を自分にふさわしい人間に
育てていくのも
自分です。
育てる・・・というのは
上から目線の育てるという事ではなく
安易に妥協せず
ちゃんと向き合い
問題をつきつけ
また
自分も
受け取ってゆく・・ということです。
若い人は
今、苦しいことがきっと
後に
おおきな
財産になると思いますよ・・・。
あきらめたり
放棄しないで
納得のいくまで
結婚を
やりきることだと
思います。

『伝心柱マガジン』
カウンセリングが続いており
そのことから今日は、
人と人が出遭う・・・ということ。
そして
結婚する…という出会いは何なのか・・・について
書いてみようと思います。
まず人と人とが出遭うという事には
チャ―ンと意味や価値があります。
まあ
行きづりにであった人の事は
別にしても、
いや
行きづりに出遭った人とさえ
そこには
小さな瞬間的な意味がないとは
いえないなあー!
なぜなら、
人間は
まったく関心や必要のない人間には
無反応だからです。
つまり
自我意識の人間に対するアンテナは
眼が覚めている間は
絶えず作動し、
反応し続けているからです。
だから
良きにつけ、悪しきにつけ
自分が反応している・・・ということは
すべて
自分にとっての
何らかの意味や価値がある・・と
いう事です。
だから、
”結婚”までに至るような相手との出会いは
自分にとって
おおきな意味があります。
男女の恋愛は、単に性的な欲望や
発情では
ありませんよ。
そういう自分の欲求、欲望を通して
自分のなかにある
”それまでの人間関係”の中での
何らかの欠乏を
満たそうとするものであること
なんですね。
自分のなかにある
欠落、欠乏とはなんでしょうか?
自分の事ほど
自分では
わからないものですが・・・。
しかし
そのみえないものは
やがて
結婚という共同生活のなかで
確実に姿をあらわしてきます。。
なぜなら
結婚生活のなかで
自分が相手に託した幻想や依存は
必ず壊れていくからです。
そこには
まさしく自分の前半の人生(成長期までの人生)においての
欠落や欠乏が
恋愛の相手という対象に
投影されていきます。
前半の人生における”人間の関係”で
獲得したこと、
逆に獲得できなかったことが
必ず影を落としていきます。
そして恋愛と結婚とで
出遭う相手とは
自分の
その欠落や欠乏を
埋めてくれそうな幻想や依存が
投影された
相手です。
しかしそれも
”してくれそうな・・・”という
錯覚で
選んだ相手だからです。
しかし
残念ながら
自分の心の欠損など
誰も埋めてくれることができないことが
結婚生活の中で
証明されていきます。
つまり結婚生活において
出てくるトラブルにおいて
相手に求めていることこそ
自分の欠損や欠落そのもので
相手がそれに
答えられなくなった時
トラブルになってしまうのです。
〇〇・・・してくれない・・とか
〇〇ばかりする・・・とか
〇〇のようになってほしいとか
どうして〇〇しないのか・・・とか
おそらく無意識に相手に依存し
相手幻想化して
求めていたものが
与えられないと
相手に失望し
結婚に失望する…という事が
起きてくる……のですが、
それらはすべて
本来自分で
賄わなければならないことなのです。
一般的な”愛情”なるものも
極論すれば
他人からもらおうとすること自体が
無理なんですよ。
人間が他者に与えられるものは
ほんとうにささやかな
親切くらいです。
つまり
結婚とは
自分にとって
想定外の事ばかりが起きてしまうのが
当たり前なのですね。
しかし
人間にとってほんとうに
その結婚が
価値あるものになっていくのは
それからなんです。
とかく結婚、離婚のトラブルは
それはいつも
感情的なレベルでばかり
争うことが多く、
本当は
自分の内面の欠乏の問題なのだという視点で
そのトラブルを検証するなんて人は
見たことがありません。
でも
もしかしたら
その人間が老い,
死を迎えるころになると
分かってくるのかもしれませんが・・・・。
もしその人が
結婚によって起きる
トラブルの中から
そこに発生する問題を
冷静にとらえ
自分の内面をを相対化して
分析できたら
それは大変な宝物と
なります。
また、性格の不一致・・という
なんとも奇妙、奇天烈な理由がありますが
脳はそれぞれが
個絶していますから、
性格なんてのが
一致するわけなどないのですから
そういう理由は
自分達の内面を検証することから逃げて
ごまかした
もう、ご都合主義としか
言いようがありません。
その欠落や欠乏は
様々なパターンがあり
自分の両親や家族との”関係”において
もらえなかった愛情の欠乏を
結婚の相手から
貪ろうとしたり、
自分の両親や家族から受けた仕打ちを
結婚の相手を代用にして
仕返しをしたり。
或いは
自分のコンプレックスを満たすために
お金や身分や学歴で
相手を選んだり
これは偏見かもしれません・・・が
とかく男は
自分より格下の女性か
或いは
母性の強い頼れる女性を
選ぶ傾向があるように
私には思えますが・・・・・笑!
女性にも
言っておきますが
自分を保護してくれる男など
いませんからね・・・・笑!
結婚相手と
絶えずトラブルを起こしながらも
決して相手が自分から
離れられないような心理的支配をしたり
これは共依存の1パターンなのですが、
いわゆる
腐れ縁的な関係で
お互いが
憎しみながらも
はなれられない。
と、まあ
星の数ほどの人間なら
星の数ほどの
関係のパターンがあり
それぞれには
金の鍵が
潜んでいる。
つまり
結婚によるトラブルや困難を
解決、
乗り越えてゆく過程にこそ
その人間が自分とはなにかに
気づいてゆく重大なことが
潜んでいるのです。
私の場合も
感情的で愛情過多であり
私を所有し、干渉した父親と
マ反対の
クールな男を選びました。
彼は確かに
干渉もしませんでしたが
どこか愛情が薄く
いつも置き去りにされ
常に
彼の都合が優先される・・と云う状態で
夫婦の密度の薄いこと、うすいこと・・・笑!
そして家族としては常に
父親不在の家庭で
子供のためにそれをを埋めるべく
父親役と母親役の両方をやりましたが
やはり、父親の役はあまりできませんでしたねえー。
それで
結婚生活のほとんどが
父ちゃんとの
確執でした
やっと最近
60歳を超えてやっと
父ちゃんという人間の
全貌がつかめてきましたが、
まあ
そういうモンですよ。
それくらい時間がかからないと
相手の事などは
分からないものです。
まあ、カウンセリングを勉強したおかげで
普通のひとよりはやく
”ひとりで生きる”覚悟や決意ができましたし
感情の水準で相手をみるのではなく
父ちゃんの成育歴を
身ぐるみはがして
その心理分析を
やったおかげで・・・笑!
依存や幻想から
はやめに
覚めることができたと
思います・・・・笑!
逆に
相手のなかにある特質を
どう生かしたらいいか・・・ということも
よーく理解できました。
相手を生かすことが
同時に自分を生かすことのもなる・・・という
現実的な知恵も働きましたから・・・。
しかし
同時に
なにかことが起こるたびに
自分のなかにあった
欠落や欠乏が明確になるにつれ
自信を喪失したり
ずいぶん落胆しましたが
それも覚悟をきめて
自分にメスをいれ、
彼との結婚に対する
幻想
依存
甘え
そして
世間的、或いは
社会的に流布されている
まちがった人間観などを
一枚ずつ自分の意識から
はぎ取ってゆきました。
時に感情が震え
怒りや悲しみに
感情的になる・・という
辛い作業でしたね・・・・。
そうした作業のうちに
相手は
ただ
相手自身の自分を
生きているのであり
私のために生きているのではない・・という
冷厳な現実を
煮え湯を呑み込むように
自覚して、
相手も
自分も
一度しかない人生を
それぞれの人生を生かすには
どうあればいいかを
考えました。
相手を生かすことと
自分を生かすことを
どう両立させて
夫婦として
家族として
やっていくか・・・。
日々格闘し
日々葛藤し
心身ともに
疲れ果てながらも
二人が
なぜ
出遭ったか・・・という
秘密(テーゼ)を
解いてゆきました。
今から思うと
私は彼に出遭う必要があったし
彼に出遭う事で
それまでの私にあった
人間認識の
甘っちょろい幻想が
ボロボロと崩れ落ちていきましたから
だからこそ
冷や水を浴びせられるように
アダルトの冷徹な目が育てられたと
思います。
彼は
私に出遭わなかったら
多分
家族という、魂の出遭いや
人間の絆を
味わえなかったかも
しれませんねえ・・。
もう夫婦としては
黄昏でねえ・・・。
でも
大変有意義な出会いだったと
思います。
相手は自分にふさわしいかどうか
そして
相手を自分にふさわしい人間に
育てていくのも
自分です。
育てる・・・というのは
上から目線の育てるという事ではなく
安易に妥協せず
ちゃんと向き合い
問題をつきつけ
また
自分も
受け取ってゆく・・ということです。
若い人は
今、苦しいことがきっと
後に
おおきな
財産になると思いますよ・・・。
あきらめたり
放棄しないで
納得のいくまで
結婚を
やりきることだと
思います。

by denshinbashira
| 2012-08-04 13:26
| 何を手に入れるか
|
Comments(0)

