魂でであうということは・・・・。 |
命と命が出遭う事です。
この世に生れ出てきた瞬間のあなたのように
純粋で
無垢そのものの
あなたと相手の命が
出遭う事です。
率直で素直なあなたと
恥ずかしくて
もじもじしながらも
それにこたえようとする相手とが
であうことです。
それは
自分のインナーチャイルドと
相手のインナーチャイルドが
出遭う事です。
自分のインナーチャイルドも
相手のインナーチャイルドも
もろくてこわれそうな
自分のインナーチャイルドと
相手のもろくて壊れそうな
インナーチャイルドが
それでも
なんの鎧もつけず
裸のままで
そこに立っている。
魂で出遭うという事は
今にもよろけそうで
自信のない自分と
おなじように
無防備に
自分をさらけ出している相手とが
その弱さを
許しあい
その弱さを
受けいれることです。
そのためには
まず
辛くて、苦しくて
悲しかった自分を
よわくて壊れそうな自分を
まず自分が
優しく
受け入れることなんだね。
言っておくけど
疑う自分
憎しみをもつ自分は
ぜーんぶ
命が汚されて傷ついて
後からできた
自分の感情だからね。
立派な自分じゃないよ
弁のたつ自分でもない
きばっている自分でもないよ。
ごまかしている自分でも
ないよ
よわーい自分が
正直な自分そのものが
相手の前にたっていることなんだね。
相手に立派な人格を
要求することでもない
何々すべきであるとか
人間としてどうとか
ではなくてね、
むしろ
自分のなかにある
社会的な責任を追究することや
自分のなかにある
自分や相手を縛る
・道徳や・倫理の
規範意識を
そして
相手をコントロールしようとする
自分のエゴを
みーんな
取っ払って
相手のいちばん
よわいところと
相手の中の
いちばんダメなところ
そして
相手の中の
いちばんつらいところに
眼差しをむけ
自分のいちばんつらい
せつなくて
悲しいて
一人ぼっちの自分が
その弱さを
共有することなんだね。
人間はね
みーんな
どっこい
どっこい
だからね。
みーんな
自分とたいして
かわらない。
子どもからみりゃー
大人は立派で強くみえるかもしれないが
そーんなことは
ありゃしない。
大人なんてもう
弱くて
ダメでねえ・・・。
女かならみりゃー
男は立派で強そうに見えるかもしれないけど
そーんなことは
ありゃしない
男もよわくて
うじむしだよ。
男からみると
女は強くで
たくましそうに
見えるかもしれないが
そーんなことは
ありゃしない
女ももろくて
こわれそうなんだよ。
でもねえ
そういう弱さを
わかりあい
受けいれあったとき
はじめて
魂が響き始める。
そして
人間は強くなれる。
ああー
自分だけじゃあないんだ・・・とね。
あなたもほんとうは
そうだったのね・・・と。
ああー私だけが苦しいと
思い込んでいたけれど
あなたも
こんなに悩み苦しんでいたのか・・・と
相手を理解できたとき
人間は強くなれる。
立派でなくていいんだよ
ダメでうじむしで
いいです。
意志も弱く
約束も守れず
そういうダメな自分を
自分がどうしようもできなくて
ただ突っ立っているしかないんです・・・と。
鎧を脱いで
ほんとは
自分はこうなんです。
ほんとは
自分はひとりぼっちなんです
と
うなだれたままの
じぶんを
さしだすとき
あいてはほっとして
じぶんもおなじだよ
と
いうでしょう。
魂でであうという事は
命という
ほら
あかんぼの命を
思い浮かべてごらんよ、
あの弱々しい命が
それでも
全身で呼吸し
全身で泣き
素直に笑い返す
その命どうしが
向き合う事なんだね。
そこには
全幅の信頼がある。
であえると
いいね。
もしであえなくても
もうそこには
魂そのものの
あなたがいる。
それがステキなんだ・・・・。
相手は自分の魂に気づく時間が
必要なんだね。
自分の魂に気づき
自分の弱さや愚かさに
気づいた人は
もう
大丈夫、
相手の弱さに気づいたら
もう
相手に依存することが
どんなに無駄な事かが
分かるでしょ!
もしかしたら
相手は自分よりもっと深い闇の中で
溺れそうなのかも
しれない・・と
見えてくる。
そうしたら相手に持っていた
依存や期待を捨てて
自分は自分の力ででいきるしかないと
分かってくるかもしれないね。
人間はみーんな弱いことを
受けいれて
自分の弱さも受け入れた時
強くなるんだよ。
そして
命は必至で生きようとする
強さもある。
命には
生命力というエネルギーが
絶えず流れ続けているはずだからね。
自分に正直に
じぶんをごまかさず
いつも自分に寄り添って生きる。
そうしているうちに
いつのまにか
自分の魂(命)が
つよくなっていることに
気づくと思うよ。
そうなると
いいね。


