シリーズ・共依存からの脱出!インナーチャイルドについて1 |
もう少し書き残しておかねばと
思いますので
書いてみます。
インナーチャイルドとは
子供の頃の抑圧された自分の記憶と
それに付随する感情で、
主に、
不安や怖れや怯え怒り
そして否定的に扱われたことなど、
その子が親にとって
イイコであるために
心のなかにしまいこんだ感情と
記憶です。
つまり幼児や小児にとって
自分の生存の危機と感じたときに
いわゆる生命保全のために
強く記憶されてしまった
感情です。
子どもは親の保護下でしか
生きれませんから
必然的に
意識における
親への順応と
無意識における
親への対抗という
二重構造の心理を
形成してしまいます。
だからほとんどの子供は
親への対抗が
自分のなかにある・・ということすら
気づかず
インナーチャイルドを
意識は
封印していきてしまうのです。
だから当然のごとく
それら親に対抗する感情は
無意識のなかで生き
その子が
親と対決し
親を退治し
親から脱出しない限り
成長しても
ずーっとその人の
基本的感情のパターンとして
或いは
感情を基調にした
対
他者に対する人間観として
そのひとの感情を
ずーっと無意識から
支配し続えけます。
それは感情の
”短絡的反応”として
絶えずその人間の行動を
コントロールしてしまいます。
つまり
感情が動き出すと
理性の機能が低下してしまいますから、
感情がひとり歩きして
親との関係が全くなくとも
親に似た人や
あるいは
自分にとって
不安な、或いは
恐ろしいというような
幼児や小児の時の危機と
同じような状況になると
感情は反射的に
”短絡的”に
反応してしまいます。
そしてそれが
その人の”人間関係”を結ぶ時の
基礎なものになってしまうのです。
自分にとって御しやすい人…好きなひと
自分にとってコントロールしにくい人…嫌いな人・・・と
言う風にです。
また
自分にかけられた
親からの否定的なもの
親の嫌がること
親のコンプレックスなどが
常に、
自動的、瞬間的に
その人間の感情を支配してしまいます。
つまり自分の行為、行動が
妥当であるか
自分に取って正当であるか否かの前に
感情が動いてしまう。
理性で考えると
自分では
どうにもならない自分が
いる場合は
たいがい
インナーチャイルド
親の縛りで
がんじがらめになっている。
それをとるため、
つまり
親からの呪縛を
取るためには
猛烈に学習し
知識を高め
人間の事を勉強して
自分を相対化して
検証するか、
親との共依存から
自覚的に
脱出する(自他の分離する)か、
或いは
社会に揉まれ
挫折を繰りかえして
前半の人生
(親と周囲の人間からのの情報に
基づいいた、人間観、社会観)が
ボロボロに打ち砕かれないかぎり
その人の人生は
それをずーっと
引きずることになります。
親と離れても
親が死んだ後も
それらのインナーチャイルドの
ネガティヴな感情が
解決されていない限り
その人は常に
自分の人生を制限され
ほんとうは
その人が
その人らしい活力や能力を発揮して
いきるところに
自分の内面(無意識)から
ブレーキがかかってしまうのですね。
世の中が
今ほど物質が豊かでなく
社会も貧困であった頃には
子どもといえども
一家の経済を助けるべく
小学校、中学校を卒業したらもう
すぐに
働きに出ていた頃…以前の社会では
現代ように
親の保護が
親の”密着”になる・・・ようなことは
よほどのことがない限り
ありませんでした。
早く親離れをしないと
生きれなかったのですね。
生きてゆく
お金を稼ぐ
飯を喰う…という事が
切実にあったからです。
しかし
時代は変わりました。
戦後すぐ生まれた私でも
インナーチャイルドの救出は
出来ず
ずーっとそれに
悩まされ続けましたからねえ・・。
自分の中の
インナーチャイルドが
救い出されていないとき
インナーチャイルドは
さまざまに
サインを送ってきます。
それは自分のなかの
負の感情
怒りや嫉妬や妬みや
他人を否定したい欲求など
また
極端な自己否定や
自己憐憫の感情なども
そうです。
さらに
自責や
自己嫌悪や
自己検閲
逆に強い自己規制や
感情抑圧などなど
ほんとうに
その人にとって
生きにくくてたまらない
もう
イラナイ・・・感情と欲求です・・・笑!
それらが
自分の体と頭の中を
巡ってしまうなら
それはインナーチャイルドが
自分を
助けてくれ・・・という
サインです。
それを救い出すには
私は親との対決と
退治しかない・・・と
思っています。
中には癒やす…という事で
インナーチャイルドを癒して
なんとかしよう・・という
プログラムもあるようですが、
まあ
多分
一時的には自分に変容がおきたような
気分には
なるでしょうが、
まあ
それほど甘くはないと
思いますよ。
根本的な傷・・・である
インナーチャイルドが
親から渡された
親のコピー的生き方から
脱出するためには
どのように親を総括し
自分らしい生き方へと
統合していくかという事まで行くには
やはり
親と対決し
親退治による
不安と恐怖の克服が必要だと
思います。
ただねえ、
この親と対決する
親を退治する
親から脱皮する・・・ということが
ものすごい恐怖を呼ぶんですね。
つまり
自分のなかに
その恐怖と不安を乗り越えよう・・・という
覚悟がないと
ダメなんですよ。
この覚悟が
なかなか
つかない・・・・!!
できたら
自分もあまり傷つかずに・・・と、
ほとんどの人が
なんとか
そこを回避して
手に入れようとするんですけど・・・・
そうは
甘くはないねー。
前述の古い時代の人間は
否応がなく
社会のなかにホウリサダレ
自分の思うとおりに
いかないことだらけの中で
何度も何度も自分が深く傷つき
挫折する体験のなかから
脱出していきましたが
今は逆に
親の胎内から出ることが
出来なくて苦しんでいる人が
溢れるようにいます。
覚悟しないで
不安のお風呂のなかに
じーっと浸かっている・・という
蛇のなまごろし
真綿で〆られているような
という状態でしょうかねえ。
親の胎内にいる限り
覚悟をしないすむし・・ねえ!
勿論
親と一体化していますから
自他の分離もできません。
時間がかかっても
勇気を出して
脱出することだと
思います。
反対に
親から囲われた世界をぶっ壊し
親から貰った負の遺産を
蹴っ飛ばして
インナーチャイルドを
救い出した人は
さあ…これからが
自分の人生の本番すぞ!
昔と違って
今は
脳の研究が素晴らしく発達していますから
もう
脳からいうと
親と
子どもの
脳は
ベツモノ・・・だといことが
はっきり証明されてきました。
そうなんです、
親の人生と
子どもの人生は
脳でいうと
はじめから
ベツモノなんですよ。
つまり自分は自分の人生を
創造し
道をつくるのが
”生きる”です。
さて、次回もインナーチャイルドについて
書こうと思います。


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